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February 28, 2005

手をとりあって

すぺさるオリンピックスでのイメージソングとやらにQueenの「Teo Toriatte」が使われていると聞いて驚いた。

たぶん採用した人は何も考えずにタイトルがそれっぽいから選んだんだろうが、あれって英語版の歌詞は「自分が死んでもどーたらこーたら」というえれえ虚無感の漂う歌じゃなかったっけ。なんせ口を開けば「カルマ」しか言わなくなったブライアン大先生の作ったもんだから、そうそう間違ってないと思うが。

とりあえずこれ聞いて英語圏の人とかむっとしたりはしないのかね。これが大丈夫だったら、「Who Want to Live Forever」もどっかのイベントでテーマソングに使って欲しいもんだが。

ところで、Teo Toriatteの冒頭部分をエキサイトで翻訳したら凄まじく笑えたので、以下にそれを引用。

私がいないときに、If Iを不思議に思うどんな必要性も、同じ風が吹く輝きが
私たちでは両方の、And時間が論文であるにすぎないのでBeにお尻を出すあなた
の同じ月がなくないと思いません。

…尻ってなんだ、尻って。

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February 27, 2005

ひろしの年齢

某製薬メーカーのコマーシャルに出ている「ど根性ガエル」のひろしが「男30歳…」とか言ってやがるが、たしかきゃつはワタクシが小学生の時に中学生ぐらいという設定だったはずだ。

それが今30歳?シラをきるのもええかげんにせい、とワタクシは言いたい(笑)。

それともなにかなあ、あの登場人物は十数歳外見が若く見えるように整形でもしとるんかしらん。

てことは、あと数年もするとマイコーのようになったひろしとピョン吉が見られるかも。見たくないが。

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お昼のニュースで

各都道府県のマスコットキャラクターコンテストで優勝した群馬県のキャラクター「ゆうまくん」というのが出てた。

群馬県だから馬になったらしい。

ではワタクシの出身地である茨城県のマスコットキャラクターは何だったのだろうかと考えてみる。

……ビオランテ?

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February 26, 2005

ナニィはポストメイドさんになり得るか

というわけで娘の踊る「メリーポピンズ」を見て鬼畜親父は考えた。

「ナニィを使って萌えエロ小説は書けんものか?」

ナニィもメイド同様、貴族の家に仕えるものである。メイドとは微妙に違うが、制服のようなものも着る。
しかも子供が成長してくると、家庭教師として「青い体験」みたいな状況に引きずり込むことも可能である。さらには、慈善事業だなんだと忙しい奥方の代わりに旦那様と…というシチュエーションも考えられる。

元々が「乳母」だから、最近続々と帰依者が続出しているという母乳フェチ系のネタ(ちなみにうちにはまだ乳の出る嫁が一人いるが、授乳シーンというのはあまり萌えられるものではないと思う)に引っ張ることも可能だ。

案外、メリーポピンズとサウンド・オブ・ミュージックでナニィと家庭教師を演じたジュリー・アンドリュースって、新時代の萌え原型キャラにできるんと違うだろうか。

最大の問題は、ナニィにしろ家庭教師にしろ、前提となるのは「子持ちの貴族な男がいる」ってこと。オタは気持ち的には一方的に貴族になってしまっているのでこちらについては問題ないが「子持ち」てのがネックになるなあ。

もう少し考えて見よう。

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次男当確

娘が幼稚園でお遊戯会(メリーポピンズだって!)だというので、長男大福丸と次男とを連れて見に行った。

この寒空に、幼稚園の門前では先生方が総出で出むかえてくれたのだが、その先生方、次男がちょこちょこ歩いていくのをみると、「きゃー、ヒデくんかわいー」と一斉に黄色い声を出し始めたのだ。

幼稚園の先生というのは、なんだかんだ言いながら「かわいいものが好き」だからその道に進んだものらしい。しぐさも言動もかわいくねーガキの相手ばかりしていると、そっち方面には不感症になるが、それでもやっぱり「かわいい子」を見ると一般人以上に反応してしまうらしい。確かにうちの次男は顔だけは男前である。中身は怪獣(嫁・談)だが。

というわけで、次男は今日の時点で幼稚園の入園審査に通ってしまったような気がする。恐らく上層部が次男の入園を不許可にしようとすると、現場の先生たちが暴動を起こすだろう。

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February 25, 2005

オタと腐女子が嫌われる理由

本人たちは「えっ?」と驚くかも知れないが、彼ら彼女らが「貴族である」ということが、嫌われる理由の本質であると思う。

大部分の人類、というか圧倒的多数の動物は、個体および種の保存のための努力のみでもって、その生涯のほとんどの時間を浪費してしまう。これらの生涯の目的というのは、ずばり、「生存」に集約されちゃうわけですな。

が、オタや腐女子の場合、その生涯の目的というのは決して個体の生存ではなく(種の生存、という概念はもうどっかに吹き飛んでいる)、個体の快感の充足だったりするわけだ。何でそうなるのかというと、少なくとも個体の生存の方は、ほとんど保証されてしまって特に悩む必要がなくなっているためだ。

しかしそれって社会全体からすれば、誰かが生存のために努力した成果を隣からタダ取りしているから、そうなっているようにしか見えない。だもんで、一般社会は彼らの種の生存への不関与を理由に彼ら彼女らを弾圧するのである。個体の快感を優先している癖に、人類に与えられた最大の快楽である性交時の快感に無知であるとは片腹痛い、というのは、弾圧の際の一つのキーワードになっている。

が、貴族が一方的に人民から収奪しまくっていた、とするのはほとんどマル経またはその影響下にある史学者の脳内妄想であり、現実には李朝のような少数の例外を除けば支配-非支配の関係は程度の差こそあれ双務的なものであった。支配の代償として保護が与えられたり、支配者の側が契約を守らなかった場合にはこれを排除する権利などが与えられていたという例は山ほどある。この双務的な関係がほどよく保たれている場合には、支配者と非支配者との関係は比較的良好なものとなる。これの典型例は、流通経済が発展する以前の日本の中世とかだろう。

ということは、オタおよび腐女子(定義としては種の生存よりも、個体の快感を優先する種族、としておこう)と、生存を優先する種族との間に双務的な関係が築かれれば、この「階級闘争」は収束の方向に向かうのではないか、と考えられる。要するに、オタテイスト・腐女子テイストがほどよく混じったコンテンツを積極的に造り、一般人も楽しませいや、ということになるのだと思う。

ただこの場合、自分たちだけが楽しめるもんにしちゃうと引かれて逆効果になるから気をつけろ、とも言える。

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February 24, 2005

都知事、勝つ

石原閣下が老女を「ババァ」と罵倒した意見を引用したら、名誉毀損で訴えられたそうで。

で、その裁判の一審判決が出たんですが、原告敗訴。

…ババァ、と一回言っただけで裁判起こされるんなら、毒蝮三太夫は絞首刑ですがな。

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痛い話

うちの次男は包茎である。まあまだ1歳3ヶ月なのだから当たり前だ。

だがこのチビの場合、包皮が中身と癒着しており、このままでは嫁さんの貰えない身体になる可能性が高い。で、嫁がなんかそれっぽい大病院に行って医者に見せたんだそうだ。

で、その医者、次男のナニをじーっと見て、状況を確認した後に、力の限り包皮部分を掴んで根元の方に引っ張ったのだそうだ。その瞬間「ばきっ」っというかなり大きな音が聞こえた、と嫁は証言している。

実はこれまで、次男と風呂に入った後に、軟膏塗りながらゆっくりゆっくり癒着を剥がしていこうと努力していた(ガキの癖して生意気にその部分を変形させやがるから結構大変だった)のだが、数ヶ月にわたる父の努力をあざ笑うかのように、その医者は一気に力ですべてを決してしまった、という。

強引に癒着を剥がされてしまい、生まれて一度も外気にさらしたことのない場所をひん剥かれてしまった次男は、しばらくすると我に返って凄まじい声で泣き始めたそうだ。だがそれも、痛みの故ではなく、どっちかというと受けた屈辱に対して抗議するような感じの泣き声だったらしい。

「まだ尿道口の部分に多少気になるところがあるから、また来い」と言われたが、次男のこの受難、果たしてどこまで続くのだろうか。

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薔薇族復刊記念

あたしゃホモではないのだが、最近のオタの好みが「男の子だっていーじゃん」な方向に向かいつつあるというのは認識している。という訳でお宝が出るのならば、その手の趣味がなくても掘ってみたくなるというのが職業文士というもんである。

なんで男なのか、というと、あまりに使用頻度が低かったために、自分の股間にぶらさがっているモノの正しい使い方を忘れてしまったからではないか?と考えた。要するにどんな美少女を剥いていろいろいじらせてみても、相手の快感に共感できなくなってしまっているのだ。理解できるのはもはや自分と同種のものの快感のみ、ということらしい。まあ責める気はないが、成り成りて成り余れるものは、成り成りて成り足らざるものに突っ込むのが正しい使い方というもんだぞ。

さて、かようにして求められるに至った対象というのは、確かに外見においては男の子だが、その内面は女の子である。ある種類の男性にとって、恐怖の象徴(かつては羨望の対象でもあったが)である乳房というものを取り去り(いわゆる「つるぺた」状態)、さらに「将来にわたっても乳房が成熟してくることはない、という誓約の印」を股間にぶら下げただけなのだ。結果的にこの「誓約の印」は、オタ男性の同様の器官より未成熟で小さいため、何かというと他人の同種の器官と自分のそれとを比較し、勝手に鬱になるオタのコンプレックスを解消する役割も果たしている。

要するに「恐怖の象徴抜き」「さらにそれに対する安全保障」「ついでに快感の共有が可能」という属性のついた女性としての「男の子」なわけだ。

そういうのを相手に繰り広げる「絡み」だが、巷に溢れているホモセクシュアル系のメディアにある「ウホッ」なものにはなり得ない。「ウホッ」な行為に持ち込むと、相手の「男」を強調する結果となってしまい、読者としてのオタの気分は急速に萎えていく。重要なのは「快感の共有」であって、成り余れるものを成り足らざるものに合わせることでない。せーぜー咥えてもらうぐらいと違うんか?

ということを考えてたら、なんか面白くなった。その向こうに銭の華が咲くかも知れないと思えばなおさらである(逆にいうと、それがないと見向きもしなかったはずだが)。

企画をまとめてどっか売り込む先を探してみよう。

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February 23, 2005

オタの革命は成就するか?

結論は、「絶対しねえ」。聞くも愚かだがその愚かなことを実地に検証してみよう、というのが今回の趣旨。

まあまずオタの革命の第一段階は、自業自得でモテなくなった連中(本人たちは「宿命によって」と思いこんでいるから始末が悪い)が、革命の前衛としての党を結成するところから始まる。

んで次に、アジる。アジりまくる。この点についてはオタは非常に長じている。アジりまくることにより、「前衛」の部分はかなり肥大化してくる。この過程で彼らは、カリスマの権威を決定づけるための綱領なんぞを制定したりする。既存の文書を聖典認定する場合もある。

次の段階では、時事的問題に関してさまざまな形でコメントするようになり、社会に対して一定の影響力を確保しようとする。マルクスとエンゲルスにおける「ライン新聞」みたいなもんね。

さらに次の段階では、彼らとは全然別のところで進行していた社会的矛盾(これは彼らの研究テーマではあるんだけど)が爆発する形で発生した暴動に乗じ、暴徒を組織化して権力を奪取する、という感じに進む。

レーニンはこうやってプロレタリア独裁(自称)の体制を確立したのだが、オタにこの真似が可能か?答えは否である。なんとなれば、オタとは関係のないところで進行している、オタの研究テーマに即した社会的矛盾というのがそもそも存在しないからだ。職業オタ革命家とは関係のない一般の非モテ男が、モテ男に対して「我々にも女をよこせ」と一斉蜂起する可能性はまずない。少々の度胸と金を持っているヤツは風俗に行ってハイ終わりであるし、客観的に自分が見られるものは、市場における自分自身の商品価値を高めるために、外見・内面を発展させようと努力するからだ。

資本家と労働者の関係の場合、資本家が生産手段を独占することにより、労働者との間に「越えられない壁」を作っている(19世紀の話)のだが、モテ男と非モテ男の場合、モテ男のみがちんこを持っているわけじゃないからねえ。どんなに前衛がワメこうが、「越えられない壁」を一般非モテ男が明確に認識することは困難で、なおかつ一方でその壁が存在しない、あなたもモテ男になれるんだ、という場合によっては幻想になり得る情報を吹き込むやから(わしじゃ)がいるので、壁は実在はますます疑わしいものになる。

で、こっからがさらに重要なのは、非モテ男(自称)の前衛の言うことに耳を傾け、そのもとに結集しようと思う連中は、やっぱり非モテ男だということだ。これでは権力によってすべての構成員の性的価値をゼロ認定し、強制的に再配分することは不可能になる。使用頻度の低い男性器なら山ほど集まるが、その需要を満たすだけの女性器が集まらないのである。

結局そこに成立するのは、カリスマが自分とルサンチマンを共有する輩に対し、その立場を正当化するための商品を売る小さな市場に過ぎない。しかし、多くの革命的前衛組織で見られたように、この手の組織においては、カリスマの座を狙って苛烈な権力闘争が展開され、カリスマは常にその首を狙われるようになる。これを防止するには、革命を成就させ、権力を握って次期カリスマ候補を残らず粛正するしか手がない。権力の奪取が不可能である場合、組織が先鋭的であればあるほど内ゲバをエスカレートさせ、ついには「あさま山荘」的な事件を引起こして壊滅するにいたる、と考えられる。

結論。まだカルト宗教の方が成功の可能性はある。カルトなら女性信者獲得できるからね。

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February 22, 2005

オタの共産革命に思う・その2

オリジナルの共産主義思想が破綻したのは、かなりイカれてはいたけれど頭脳明晰であったマルクスというおっちゃんが、自分を規準にして人間の価値を測ってしまったからだ、と思う。「資本論」において、1エレの布の価値はあーだとかこーだとかちまちまやっていたパラノイアにしては呆れる程の杜撰さだが、結果的にそう見える。

肉体的な能力において、マルクス並みの労働者は山ほどいる、というか、ほとんどがマルクス以上であったように思われる。だが、知識・教養・社会認識に至るまで彼と同質の労働者なんざいるはずがない。んだもんで、後の共産主義革命は、擬似マルクスたる共産党という組織をでっちあげ、プロレタリア独裁とゆーのを強調するに至った、という感じ。

労働者は元々持ってるマルクス以上の肉体に、マルクス並の頭脳が伴うまで、共産党によって「等しく無価値」と決めつけられる。だが、マルクス並にならないものについては、それなりの保護を約束する。で、「頭脳がマルクス並になったら自由にしてやるよ」と、ばら色の未来についての約束をするわけだ。

しかし、この約束は守られない。というか人間の寿命に限界があり、能力の半分弱ぐらいまでが遺伝的要素によって決まってしまうということ、さらにそれなりに基礎のしっかりした教育を受け、独自の倫理観を醸成しない限り、人間の内面的成長はいとも簡単に止まってしまう、という事実を考慮すると、守りようがないのである。こういう約束を導いてしまった原因が、マルクスが能天気であったためか、それとも天性の詐欺師であったためかはわからない。個人的にはたぶん前者じゃないかと思う。「マルクスの後継者(自称)」は残らず後者だが。

ともあれ、そういう守れない約束を基礎に「理想郷を準備する組織」を作ろうとした結果、ナニが現れるかというと、自称弱者による恐怖の逆差別体制ができあがるだけだったりする。構造的には、カルト教団に極めて近いものとなる。

オタクコミュニズム(以降、勝手にオタコミと略す)にこれをあてはめてみよう。ある日突然、オタク界のカリスマ(眼鏡をかけたマルクスを想像しよう)が出現し、男女の性価値を等しく無価値と決めつけ、自律的な市場を権力をもって停止する。しかる後に、市場全体をその手に握ってしまい、計画経済の名のもとに、再分配(自称)を試みる。だが、結果的に無価値の再分配にしか過ぎないため、需給バランスは常に実態と合わないものとなる。その誤差を埋めようとカリスマが介入するので、とどのつまりは、カリスマが独占するものの余得を、カリスマにおもねるものだけが得る、という構図ができあがってしまう。

まあ、そういう感じで見ると、北朝鮮の体制というのは共産主義の骨格を実に忠実に発展というか、暴走させたものだとも言えるし、男女の性的価値の再分配にまでマルクス主義を拡大したという点においては、将軍様は偉大であったのかも知れない。ただし、そういう「偉大な」将軍様が現在世界各国から痴呆呼ばわりされているのも、また否定のしようのない事実であろう。

…という感じで、結構面白くなってきたので、まだしばらくオタコミ考察ごっこを引っ張る所存。

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February 21, 2005

オタによる共産主義革命に思う

ふとしたきっかけで、モテないと思い込んでいる連中の心理について考えてみた。

ちなみにワタクシは、補正なしの状態でのナンパの成功率は、野球の打率みたいなもんだと思ってる。イチローみたいな天才でも4割にはなかなか届かないが、その一方でレギュラーを維持できているのなら、なんぼなんでも2割前後ぐらいは当たる。つまり、俳優並みの美男子がイチローで、金なし地位なし顔もダメな男でも、不振のキャッチャーぐらいに相当すると考えているのだ。だが、実際にはさまざまな補正が入るため、モテるヤツの打率は9割ぐらいにまで跳ね上がるし、モテないヤツは永遠にヒットなしの状態に陥る。なんでそうなるのか。打席で目ぇつぶるようなマネをしくさるからだ。

「目ぇつぶるようなマネ」というのは、目前の異性を見ず、自分も見ない、ということを意味する。いや、異性に対しては、主として外観でその価値がなんぼぐらいかと値踏みをするのだが、自分自身が同じ理屈で値踏みされるのを極端にイヤがるのだ。半端な値段つけられるぐらいなら、タダと言われた方がいい、と思い込んでしまっている。

そりゃオタの値段は安いですよ。でも、タダってこたあない。市場全体から見て適正と思われるレベルまで価格を下げれば、売れますよ。んで、人間のいいところは、売り買いされた時点での価格が最終的な価値にならない、というあたりにある。特に知識と経験を売りにする人間の場合、年喰った方が価値が高くなることが往々にしてある。それまで価値が下落しつづけていたものが、40過ぎてから急反発する、ということはほとんどないのだが、20代30代微増だったものの上昇率が40過ぎてから跳ね上がる、ということはある。

そういう現実を見ようとしない連中は、市場でやり取りされるものの価値を等しくゼロにしようと、共産革命を夢見るようになるんだが、アレをやった後の社会がうまく機能しない、ということは、21世紀においてはもはや常識である。オタの共産主義革命が成功することは絶対にないとはわかりきっているのだが、それでも間近いところでアジ演説やられるとうっさいので、万一そういうのが近づいてきたら力の限りぶん殴ってやろうかと思う。

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ちゅどーんの謎

見つからなかったのでミクシィで「できんボーイ」に関するコミュニティを立ち上げたみた。

が、作ってから丸一昼夜、後で泣く赤鬼のようにそわそわしながら覗いてみても、誰もやってこない。

鴨川・江口・田村と並び称された70年代を代表するギャグ作家の代表作なのにー。「ちゅどーん」を生み出した画期的な作品なのにー。

やっぱこれまでなかったのには、それなりの理由があった、ということなのだろうか。

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微妙にあせる

ひょんなことから不惑を越してエロゲのレビューの仕事なんぞやるハメになった。

んで、土曜の深夜に家族が寝静まってからやってたのだが、ちと衝撃を受けてしまった。

ナニに驚いたかというと、お話のテーマが「自分探し」であって、そこで強引にストーリーを展開させ、かつ終えてしまっている、という点にである。つまり、主人公が主人公以外の人間をそれとして認識できるようになっておしまい、という形だったのだ。この話のパターンそのものは、「エヴァ」以後ぽこぽこ出現してきていたので別に珍しいとは思ってなかったが、あれから10年も経ったので、そろそろ飽きられ、「次のパターン」が模索されるようになってきてる、と考えていたのだ。だが、どうもエロゲ作家のアタマの中では、依然「自分探し」は巨大なテーマであり続けているらしい。

ワタクシにとって、主人公が「自分は何者であるか」と悩むことはさほど大きな問題ではなかった。何者であっても、他者との付き合いの中で持てる才能を最大限発揮するような形に追い込んで話を作っていく、という手法をとっていたからだ。が、あくまで自分探しをし続ける話が想定読者層においてデフォルトであるなら、ワタクシの作った話は理解不可能なものになってしまう。理解されなんだら売れはせんがな。

というわけで、某司法試験浪人の手を借りながら、「自分探し」を部分的に取り込んでプロットの原型を作ってみた。が、ワタクシのやることである。探していた自分が見つかってめでたしめでたし、となる話なぞ作るはずもない。作るのは、自分が見えてない状態で、浮世から何らかのサービス(エロ小説なんだから、美少女たちによる特殊な接待、ということになるわな)を受けてしまい、気持ちいいんでへらへらしてたら、ある日突然請求書を突きつけられた、という感じの話だ。ちなみに請求書には「あなたの命貰い受けます」と書いてある。自分自身の動的な価値というのを見出せていないんだから、命貰うしかない、という理屈だ。

結末はまだ見えてないけど、それでも自分探しにこだわるのならウルトラバッドエンド、探すのをやめて行動すればグッドエンド、ということになるだろう。ゲームだったら両方描けるんだが、小説の結末はひとつしかないので、さてどうしようか。

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February 20, 2005

教育の再生

テレビ見てたら、荒廃した教育をどう再生するか、ということについて討論してた。

ポイントは、教員採用試験を通過してきた能力があるはずの人たちのやる気をいかにして喚起するか、ということになってがが、これはとんでもない間違いだと思う。

だって教員採用試験って能力で取ってるわけじゃないもん。地方の場合、あれはしかるべき文教族の県議会議員に付け届けをして通過させていただくもんだ。

その番組では、「90年代から教員の質の低下問題が起こって…」とか言ってたが、それも当然である。かつては「付け届け枠」以外に「実力枠」と呼べるものがある程度あったのだが、90年代以降、将来の少子化に備えるため採用数を減らしたから、「実力枠」が消滅してほぼ「付け届け枠」のみになってしまったからだ。

とりあえず教育の再生のために必要なのは、地方議会の議員と付け届けの仲介していた校長・教頭を1000人ほど逮捕することだと思うが、どうよ?

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February 19, 2005

今度はブラインドタッチか!

ゲーム脳に関するタワごとに関連して調べもんしたら、今度はこんなのが出てきた。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__990435/detail

>「ブラインドタッチができる人は小脳だけで条件反射的に無意識で打つ。そうなると、指先を動かす脳の部位の隣にある大脳のブローカ野(言語中枢)への血流が悪くなってしまうんです。文字は手書きで書いて、指先を刺激するほうが大脳を活性化させます。また、電車の中でも携帯電話を見ていると、脳が休まる暇がない。脳にとってはマイナスです」

この教授には、手書きの数倍の量の商業文をブラインドタッチで量産しつづけているワタクシの脳を調べていただきたい。言語中枢と小脳とどっちが発達しているか、よーく調べてくれ。

医者にはこの手の幼児的な「ねたましく恐ろしい」の感情を制御できないヤツが多いように思えるのは気のせいか?

…医者って、もともと科学者というより呪術者の系譜に属する職業だからかなあ。

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「ゲーム脳」脳の恐怖

寝屋川で小学生に殴りこみをかけたガキに対して、「ゲーム脳の恐れがある」などと指摘する専門家(たぶん自称)などが出てきたそうだ。

「ゲーム脳」なるものが単なる妄想であることは、元祖となった本が出てから半年以内に証明されてしまったと思う。が、にも関わらず「ゲーム脳」の存在を信じている、というか、より強く信じざるを得ない人が少なからず存在する。こーいう構造の脳を持った人を「『ゲーム脳』脳」と名づけたい。

実在可能性が幽霊やUFOとほぼ同程度である「ゲーム脳」よりも、実在が確実(少なくとも言い出しっぺの大学教授はそうだ)でなおかつそのアヤシイ言説を広めつつある「『ゲーム脳』脳」の方が社会的にはずっと問題だと思う。

「『ゲーム脳』脳」とは言っても、脳の構造そのものがどうこうというわけではなく、専門家でなくても指摘できる簡単な心理構造の問題であろう、とワタクシは考える。要はゲームやってる人間に興味があるが、理解できないのでねたましくかつ恐ろしいのである。この学者センセイの場合、自分の権威付けのために、ゲーマーを狙い撃ちにしたのだが、「ねたましくかつ恐ろしい(でもやっぱちょっと興味ある)」という心理は、他の「ゲーム脳」信者同様たっぷり持っているのだと思う。興味を持つのはいい。だけどねたむな恐れるな。それは迷惑だし、本来恐れを取り除くためにある学問を、恐れを強化するために使ってしまうのは、学問そのものに対する冒涜である。

まあ、「ゲーム脳」信者を否定すると、家に篭もってエロゲやってるやたら理屈っぽくなったヤツとかが、我が意を得たりとばかり尻馬に乗ってくるのだが、そういう連中の心理構造も「『ゲーム脳』脳」とそっくり同じだからね。社会的名声とか女性とかに興味があるが、その本質を理解できない(本人は自分が疎外されていると誤解している)からねたましくかつ恐ろしく感じるようになり、攻撃的になる。

結局「ゲーム脳」の教授ってのは、自分の影に向かってウェーハッハッハと吠えていただけなのか。結局、人ってのは、「自分」を表現することしかできないんだなあ、と妙に納得したりして。

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不景気の元凶

サザエさんの視聴率が上がると不景気、だが、その不景気の元を連載しとったのは朝日新聞だよな。

…つくづく国の足を引っ張ることしかやらん組織だ。

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February 17, 2005

サザエさんと株価

サザエさんの視聴率が低いと株価が上がる、ということを大和総研がまとめて発表したとのこと。

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_02/t2005021730.html

ならば打ち切ってしまえ。萎縮しまくったマイホーム市場主義は悪影響しか及ぼさんのだから。

あと、恐らくロリエロアニメよりもここ三十年青少年に悪影響を及ぼしまくったドラえもんも永久封印を希望。

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最後に記憶に残るもの

商業文士としては、何をおいてもまず多くの人に読んでもらえるような文章を書かにゃあかんです。

が、読者の妄想をきれいにトレースしただけの話では、読み終わった後に「これ誰が書いたんだっけ?」と奥付見て貰えない。だから、90%ぐらい読者の妄想に合わせつつ、最後の10%で意表をつかにゃいかん、と思います。まあ、これは基本の型みたいなもんだから、本を出すタイミングとか版元とかによって臨機応変に変えていかなきゃならんもんでもありますが。

で、読者の心に長期に渡って残るイメージ、つーのをどっかで盛り込まなきゃいかん。そこでワタクシ、喜怒哀楽どのような感情が一番長期にわたって印象に残るんか、ということを考えてみた。

その結果得た結論が「微妙にグロい心地よさというのが一番長く残る。」とゆーものであった。

何か抽象的なメッセージというのも長期に渡って残るんだが、今現在ふりかえってみて、中学生ぐらいの頃に読んだり見たりした作品のメッセージ、っつーのをほとんど忘れている自分がいるわけで。メッセージが形を持ったものであればあるほど、時代の流れとともに陳腐化したりもするしね。

大量に仕事こなして頭がボケた時、ワタクシの頭の中に最後まで残るのは、映画版の「デューン」の最後の頃のポウルの妹エイリアが、炎の中恍惚とした表情で頭を振るところだったりする。あれがワタクシにとっては「微妙にグロく心地よいイメージ」の極致なのだ。

最近の作品は、「千と千尋」がそういう心地よいグロさに溢れている。あれはきっと多くの人の心に長期に渡って居座る作品となるぞ。

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February 16, 2005

ドラえもんとのび太の秘密

とは言っても大したことではないです。今朝方ふと気づいたのですが、設定上ワタクシはのび太やジャイアンたちと同じ年(1964年生まれ)なんですな。

ということは、のび太・ジャイアン・スネ夫は今年本厄だ、ちゅーことなんですわ。

のび太厄除けの大祈祷、とかやらんのですか?>佐○厄除け大師さま。

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ネタもと

ひとつ前の「秋葉原の王者オターザン」のネタもとは、比較的最近(ターザン映画としては)作られた「グレイストーク」つー映画だ。アーアーとほたえてロープで空飛ぶ筋肉ダルマ、ではなく割とマジメにジャングルに捨てられた貴族の子であるジョン・グレイストークの苦悩というのを描いたもんである。公開された当時高校生だったが、妙に印象に残った。んで、後になってから主演が同じクリストファー・ランバートの「ハイランダー」なぞにハマったのだから、どうもああいうテイストの映画に引かれる素養というのを持ってたのだろう。ショーン・コネリー(禿を隠さなくなった後)も好きだし。

いずれにしろ、こーいう70~90年代のメジャーになりきれなかった映画というのは、萌えエロ小説のネタもとになるんとちがうかなー、と最近思うようになってきたのだった。「グレイストーク」は、主人公を美少女に変えてしまうと、洋風「もののけ姫」になるし。最近ハリウッドの人たちは日本の漫画・アニメばっか見てネタ漁ってるんで、テイスト的にはかなり近くなってると思うです。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」は「ポーの一族」のパクリだし。

てな感じで、「これ使えるんと違うか?」と思うようになった作品はこんな感じ。
「美少女ロビン・フッド」(ネタもとはコスナーのに限定しなくても可)
「アーサー王もの」(これも最近の「キング・アーサー」ではなく、「エクスカリバー」なんかでも可)

あと、かなりいじらなければならないだろうが、「フラッシュ・ゴードン」を下敷きにし、「フレッシュ・ゴードン」風味を混ぜた萌えエロ小説はかなり面白いものになりそうだと思う。

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秋葉原の王者オターザン

相次ぐ幼女に対する猟奇犯罪発生とは直接関係ない「オタをなんとかしろ」という世論に負けた日本政府が、秋葉原と呼ばれる地をコンクリートの壁で外界から隔ててからX年。秋葉原は文明を忘れたオタクとやおいが生息する野生の世界となっていた。

そんな中、伊豆大島の温泉旅行から帰る途中のイギリス人貴族・グレイストーカー卿の自家用飛行機が神田川に墜落する。グレイストーカー卿とその妻は墜落のショックで死んでしまったが、二人の息子は奇跡的に生き延びた。群れを離れて秋葉原の片隅で生活していた心優しいやおいが、赤ん坊を拾って数年育てた。やがて育ての母は、狂暴なオタクに虐殺されるのだが、その子は一人でたくましく生き延びる。約20年の後、かつての赤ん坊は、すべてのオタク・やおいを屈伏させる秋葉原の王者として君臨するようになったのだ。

秋葉原の状況を日本政府に報告するためやってきた学術調査団の一員・ジェーンは、好奇心に駆られ一人で危険な中央通りの奥地に行き、そこでオターザンにさらわれる。むちむちうはうはナイスバディのジェーンをさらって来たのに、何もせずにDVDでエロアニメを見て興奮するオターザンにキレたジェーンは、2次元画像よりも自分の方が魅力的であることを、この野生児に教えこもうとするのだった。

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February 15, 2005

乳首に負ける人たち

ふと思い立ってGoogleで「シャラポワ 乳首」というキーワードを指定して検索かけてみた。

すると3万2000件以上のページがヒットしたのだ。

これは相当な有名人でなければ超えることのできない数字だ。

ちなみに「山本リンダ」だと約2万5000件で、シャラポワの乳首に負けているのである。だが悲しむことはない。日本国民のほとんどすべてが、ロシアの小娘の乳首に知名度で負けている。

とは言うものの、自分の名前でぐぐるのがちと怖くなったな。

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さらに次のネタ

思いついたら忘れないように書いておこう。

どうせ出せる版元は限られているので、タイトルだけで中身がわかるようなのがいい。てなわけで出て来たのが

「木綿の忍者・桃影」

てなの。木綿は仮面と韻を踏んでたからてけとーに付けただけ。これから強引に意味づけしていくことになるだろう。「桃影が戦国最強のくの一と恐れられるようになったのは、奇跡の衣料『木綿のぱんつ』を身につけていたからである」とかなんとか。

あとはまあ、元が赤影なんだから「○○がまだ××と呼ばれていた頃、△△に□□教という…」というフレーズを考えるべきだな。「金正日がまだ将軍様と呼ばれていた頃…」

いかん。現代劇にするとヤバくなるから時代劇にしよう。

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February 14, 2005

タルコフスキー万歳

一応、「萌えネタ」ということで、ビーチバレーの無敵デュオが宇宙のあっちこっちに出かけて無茶な死闘を繰り広げる、という話の輪郭を考えてみた。

ラストバトルの会場は惑星ソラリスの海岸である。

敵は実体化した自分の心の中の自分自身ということになるんだろうか。なんかかっこいいぞ。

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偽札

韓国で偽ウォン札が大量に出まわっているそうだ。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/02/14/20050214000002.html

年季の入ったオタとしては、こういうのを聞くと必ず「おほっ、ウォンまであるぜ、世界中あら~な。」というセリフを条件反射で思い出してしまうのですな。

同時に、これらの人の脳内には、「ウォンってのは、偽札製造業者が『国際的』という評価を得るために最後に手を出す通貨である」というのが刷り込まれていたりして。

これもやはり民族的偏見と呼ばれてしまうのだろうか。

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新作に着手

11月の初旬からPC系の仕事ばっか怒濤のごとく押しかけて来たが、2月頭になってそれが一段落した。で、このままPC系の仕事が来なくなったらどうしよう、などとちょっとだけ怯えながら(ちょっとだけ悲観的になった方がいいことを経験から知った)、エロ小説のプロット出しとか執筆に取り掛かった。

これまた経験から知ったことだが、この版元の場合(他の場合は知らんよ)、表紙でがっちりと「何がテーマの本か」ということを知らしめないと売れない。んで、今回は「バイクに乗った女の子」ということにした。表紙はバイクを背景にレザースーツのジッパーを半分ぐらい下ろしてるとこである。これなら「バイクが出てくるやらしい本」ということはわかるだろう。

ここで問題になったのは、ワタクシのバイク関連の知識が10年以上前に止まってしまっている、ということである。そういや乗ってた750を腐らせて廃車にしてからもう5年も経っている。で、必死こいて抜けた「記憶」を埋めるために資料集めてみた。ふーむなるほど。最近ではレーサーそっくりの市販車って、カワサキしか出しておらんのね。昔はヤマハとスズキが特に熱心だったような気がしたが。

なんのかんの考えた上で、ヒロインが乗るバイクはZX-10Rということにした。昔の日本のナナハンの倍以上のパワーがあるが、車体小さい(上野のバイク屋で現物を見た)から、女の子が乗っても不自然ではないだろう。後は細部のでオタのみなさんに喜んで貰えるような描写ができるかどーか、という点だが、カワサキのサイトにあったビデオ見ると、アイドリング時のエンジン音が上記の腐らせて捨てたGPX750Rとそっくり同じだったので、あれに乗ってた体験をそのまま文章にすりゃあいいか、と思った。

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February 11, 2005

宣伝するぞー!

つーわけでして、うちの事務所を間借りしているソフトハウスのデビュー作ができあがったので紹介しておくです。

保健室純愛アドベンチャー「Pure×Cure」!

アマゾンってエロゲも売っておったんですねーたんですねー。

んで、肝心の内容ですが、前評判すっごく高いです。アマゾンのランキングもさっき見たら5位だし。

かなり短期間に初回版消えてなくなると思いますんで、早く買わないと後悔しますぜ。

原画はこのページの左下の本の挿絵描いてくれたぎん太さんなんで、パッケ絵のノックアウトされた人はこっちも合わせてゲットだ!

なお、この書き込みに関しては、似たようなことをやっている仲間内のサイトでトラバ付けまくって臨時ウェブリンクを作ることとする。

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戦争はじまってるよねぇ

将軍さまがサッカーに負けた腹いせに核保有&六カ国会議無期限ぶっち宣言をした。

んで、某掲示板とかでは「上等だ。日本も宣戦布告しろ」とか「テポドンが飛んでくるガクガクブルブル」とかの書き込みが相次いでいるが、ワタクシ的には戦争ってもうとっくに始まっちゃってるんだと思うけどどうよ?

正月前後に相次いで見つかったニセ札って、大元を辿ればやっぱり現代のカリオストロ公国に行きつく、と思ってるのはワタクシだけじゃないだろう。いや、確証とかはまるでないんですけど、「かーねでこころをよごしてしまえ」の死ね死ね団方式をリアルでやってきた、というあたりに例の国の一連の行動に通じるヒッキー特有の短絡というか、オタクスピリットが感じられるのです。たぶん向こうにしてみれば、これで経済戦争を仕掛けたつもり。でも、日本政府によって船を締め出され、事実上100倍返しを喰らってしまっている。

この後は、要人暗殺未遂とか、地下鉄サリンみたいな都市テロとかが発生する可能性がある程度高まるとは思う。が、その前に周辺諸国が将軍さまの心をもう一回折っちゃえば(すでに一回2002年9.17に折られている)、ゲームは終わる、とワタクシは考える。周辺諸国の政治・経済的圧力によって折られるのが一番出血が少なくて望ましい。普通の国なら、国内の反政府勢力が心ともども首の骨を物理的に折りにいく、てのも考えられるんだが、あそこだと可能性低いだろうね。

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ニートの日

何でも昨日2月10日はニートの日だったということで、あっちこっちで(主として掲示板内)記念式典というか、ニートに対して罵声を浴びせるステキなイベントが催されたらしい。

んで、お友達のミクシィの日記でも、それが話題になって、「ニートなんていう横文字で呼ぶから付け上がるんだ。『珍走団』並みに恥ずかしい名前にしろ!」という意見が出てきた。

そんでワタクシ頭を捻って考えて、「ひでぷ」なる呼称を考えたのですがいかがなもんでしょう。「ひっきー」で「ぷー」だから「ひでぷ」。そーいやもともとの「ニート」には「家にひきこもる」という意味は入ってないな。学校に行かない、仕事してない、修行してない、って意味だものな。

それはともかく「ひでぷ」である。この言葉には、いつまでもひっきーでぷーな生活をしていると、いつの日か革ジャンを着た怖いお兄さんがやってきて「貴様には地獄すら生ぬるい!」とか言って正体不明のツボを突かれ、「ひでぷ」と叫んで爆裂することになるんだよ、という恐怖のイメージをこめたつもりなんすけど。そうなりたくなかったら働け、って感じで。

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February 10, 2005

怒濤の営業

自転車操業でコケないようにするためには、最も忙しい時期に必死こいて営業活動をするのが鍵となる。

昨年、2~3月と7~8月に仕事のピークがあったのだが、忙しさにかまけて営業せんかったら5月と9月が暇になり、あとで必然的な貧乏に苦しまなければならなかった。

んで、11月から今年の1月にかけてやってきたピークの際には、その点を反省して仕事しつつあっちこっちに営業かけたのだが、これが今になって芽をふいてきた。かけた先の大部分がエロ小説関係というのがなんだが、一つだけエロでなく、しかもかなりの大物がかかっているので、逃がさないように慎重に詰めないといかんだろう。

ついでに、出入りしているライターの人も、いつもかかずらわっている零細版元以外でも大きめの仕事貰ったんで、前にこのブログで設立を宣言した「タウリン2005」なる集団にも実績ができ、総合エロ小説創作集団として世間一般に認知していただけるようである。こんなことすると、また嫁に「子供が思春期になる前に足を洗え」と言われそうだが。

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February 08, 2005

民主主義について考える

中国で、旧正月に帰宅するボンボン学生が田舎の両親に見せるための「恋人」を借りるというビジネスが流行している、というニュースを見た。

http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050208-0008.html

中共は成立当初はみんな貧乏だったから結果的に「平等」になったけど、多少金が入るとたちまち先祖返りし始めたようである。たぶん今は民国初期から清朝末期の境目ぐらいになるんだろう。完全に清朝に戻る前にもう一回革命が起こるのかどうかは予測できないけれど。まあ、革命と呼ばれるかどうかはともかく、大規模な流血を伴うろくでもない事件は起きることになるんだろう。

日本における左巻きの人々は、結構能天気に「弱者は美しく、連帯し、助け合う」と昼日中から夢見ているが、「貧すれば貪す」のことわざ通り、社会的に底辺に置かれた集団ほどその内部での階層区分は厳密になり、差別が激しくなる傾向がある。半島北部の国家に、呆れるほどの階層区分が存在するのはその典型的な例だろう。

マルクスが「万国の労働者よ団結せよ」と言ったのは、たぶんそう言わないと労働者どもは永遠に内ゲバを繰り返し続ける、と考えたからだとも思う。あのおっさん基本的にイカれているが、時たま鋭いものの見方をする。

それはともかく、差別が激しい社会になると、その中にぽつんといる「人」が、外部から勝手に「旦那」「奴隷」などと再定義されるようになる。ただ「人」であることは許されない。近代社会はこれを嫌って万人をただの「人」にするために構築されてきたのだが、その結果生まれたただの「人」は、「人」である限り無価値であり、自分自身の実力で自分自信を再定義し続けなければならない、という羽目に陥る。例えば、ワタクシがエロ小説書いて「風俗紊乱文筆業者」と後ろ指指されるのも、ある意味ただの「人」でいつづけることができない(餓死するわい)から行なった自己再定義活動の結果である、と言えるのだ。まあ、中には医者の一人息子とか、自己再定義の必要のないのもいるが、一応日本においては自己再定義が必要な連中の方が主流派だということができるだろう。で、自己再定義をする能力がないヤツが、社会に出ることを恐れてひきこもる、と。

別に能力がないことは罪ではない。生物学的に同じ種族なんだから、能力に差のないのがあたりまえで、差がつくような能力を持っている方が異常なのだ。ないやつに能力を要求する社会の仕組みの方が間違っているのである。

ここで最初に話が戻るのだが、順調に中華帝国に先祖返りしつつあるかの大陸国家の中では、自己の努力によって自己の再定義が困難であるというデメリット(能力のあるヤツにとっては致命的)があるが、その反面、ほっといても自分が何ものかに再定義されるので、すべての人が生まれながらに何らかの社会的価値を持ってしまうのである。

まあ、価値とはいっても「ボンボンの正月帰郷の添え物」とか「乞食」とか「売春婦」とかになるのが大半なんだけれど、それを受け入れちゃえば、大きな外的変動がなければそれなりに生きていくことができる。

現在「平等国家」たる日本において、あーいう国のシステムに多少なりとも憧れを抱いちゃうヤツがいる、ということは、隠然たる事実だと思うんだがどうよ?

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February 07, 2005

つくってないよっ!

また長男大福丸の話。最初に断っておくが、実話である。

今日、一緒に風呂に入っている時のこと。大福丸ナニを思ったかいきなり
「ぼくねー、お風呂の中でおしっこするんだ。」といい始めた。

「いかんぞ。そんなことをしたらおしりを叩いてやる。」

「お風呂の中でおしっこするのー。」
「おしりを叩く!」
「お風呂の中でおしっこー」
「おしりを叩く!」
「おしりの中でおしっこー。」

…その時、40度近くはあるはずの風呂の中の湯が、オホーツクの海よりも冷たいものにワタクシには感じられた。息子よ。頼むから将来ウホッな人にはならないでくれ。

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まっくすはぁと

昨日日曜日の話である。

腹が痛くて眠れなかったので、結構早く起きてしまった。で、娘の相手などをしていると、テレ朝で例の番組がはじまっちゃったわけね。

オープニング曲が以前とおんなじだけど、合いの手に「MaxHeart」と入れると何となく新番組っぽさが出てきた。たいしたもんだと感心する傍ら、これはネタになるぞと思いついた。

んで、昼食(メシがまだ喉を通らないからスープだ)を喰っている時、「N○Kのど自慢」が始まった。うちの娘(5歳)と長男大福丸はどういうわけだかこのテーマソングが大好きで、これが始まるとにこにこしながら手を叩き始める。

そこへ父の悪魔の唆し。
「いいか、この合間のところで、『まっくすはーと!』と叫ぶのがイマいんじゃ。しっかりやって幼稚園で流行らせろ」

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いつか使いたいフレーズ

忘れるといけないので、ここに書いておこう。

「所詮この世はどっかで寝ている俺の夢に過ぎないのだ。」

だから一世一代の大博打を打ったとしても、それは必ず自分に有利な方に転ぶのだ、という偉い不遜な台詞である。
土台になってるのは、「一炊の夢」だけどね。

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February 06, 2005

息子大福丸の変貌

親馬鹿と言われるのを承知でいうが、うちの娘(5歳)と次男はかなり今風のイケた顔をしている。

長男・大福丸だけはぱっと見「将来が楽しみだねえ」と言われる顔ではないのだが、目は大きいし色は必要以上に白く、唇の色もよい。ついでに睫毛が長い。さらに言うと1000人に一人の見事なほっぺたの持ち主である。つまり、構成はアレだがパーツ単体は決して悪いものを持っているわけではないのだ。

さらに長男、目が奥二重であり、普段はほぼ一重にしか見えないのだが、風邪とかひいてやつれるとぱっちり二重に変わる。で、今回ちょっとひどめの風邪を引き込んだため、かなりはっきり二重になってしまったのだ。

その変化を見た嫁は、「お父さん大変だ、息子が美少年になってしまった」と言ってきた。確かめてみるとその通りなのだが、今風のイケた感じにはほど遠い。もともとがお公家さん風の顔なので、目と睫毛が必要以上に強調されることにより、歌舞伎役者の子供か美少年モードのパタリロみたいになってしまっていたのだ。妙な色気さえ漂うようになってしまった目元は親から見てもちょっとキモい。

大福丸は午後になって風邪のダメージから復活し、がつがつメシを喰ったらもとのトボけた3歳児に戻ったが、いつまた歌舞伎調美少年に変貌してしまうとも限らない。そういう息子を見たくないので、彼の健康管理はしっかりやろうと、嫁と誓い合ったのであった。

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February 05, 2005

さようならみなさんさようなら

おとといの夜に腸が動かなくなる風邪にかかった娘(5歳)がけろけろけろっぴになって以来、わが家は洗面器と浣腸の乱れ飛ぶ阿鼻叫喚のスカトロ地獄となった。

娘がある程度元気になったかと思ったら、今度は嫁がトイレの友となり、さらに長男大福丸が倒れた。嫁は「このままでは浣腸が必要かも知れん」などといい始めていたが、ワタクシには自分の女房に浣腸かける趣味はないし、嫁の側にもされる趣味はないらしかったので、そっちの方は放置することにした。

で、どういうわけか元気であった次男をさっき寝かせつけてふと気づいたのだが、なんだか腹が重い。

うちの場合、この手の病気の最後の犠牲者になるのはワタクシなのだが、どうも今回も順番が巡ってきてお迎えが来たようである。

というわけで、さようなら、みなさん。さようなら。

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表現の自由について考える

いや別に深刻な話じゃないんですけどね。

実は今仲間内で、「電子出版やろう」という計画が持ち上がってるんですわ。

電子出版の場合、現在ではまだ「著作権の切れたかつての名作か、しろーとの自己満足作品しか売られてない」という状況なんですけど、そこに商業出版物を作った経験のある連中が、そのノウハウをつぎ込んで「著者直販」の形で売れば、ちょっとした小遣い稼ぎ程度にはなるんと違うか、と思ったのですよ。

無論「著者直販」とは言っても、ライターが書いた原稿をそのまま垂れ流すのではダメで、挿絵・扉絵などを込みにしてきっちりパッケージングするわけです。ただ、目的は既存の電子出版市場で流れている「商品(多分に自称)」と比べて誰の目から見ても優位にあると認められることで、紙媒体の素材に投入されているのと同じコストを投下することはないです。そうすると明らかに赤字になるから。

で、こーいう作品になると、編集者の縛りが消失するので、紙媒体の出版物で「そのネタやばいからやめて」と言われるようなもんも書けちゃう、ということなんですね。とりあえず、メジャーなライノベの場合エロはご法度で、マイナーなアキバ系書籍の場合、エロはOKだけど、時事ネタの一部とか、あまりにネタ元が見透かされるパクリ(つまり同人レベルのパロディ)はNG、なんて感じになる。電子出版系でも、時事ネタの一部とかモンティパイソン級のギャグはNGであり続けるんだろうけど、同人レベルのパロディはある程度まで許容されるんと違うかなあ、と考えておるですよ。

要するに、結論としては、電子出版なら「まうみん」を書けるかなあ、やっぱダメかなあ、と悩んでいる、ということなのですが。

ちなみに「まうみん」がなんだかわからない人はこの日記のバックナンバーを参照のこと。

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地球のファンタジー

PC系の仕事が一段落していたので、ここんとこ主に創作系の仕事の準備などをしていた。

で、ファンタジー系の作品のプロットなどを作っていたのだが、そこで気づいたことが少々。

ライノベなんかの半分ぐらいはファンタジーな舞台設定もつけど、そのほとんどは背景となる世界を独自に作り出すことができず、既存の大ファンタジーの二次創作的な立場になってるわけですな。ネタ元になっているのは言わずと知れたトールキン大先生の指輪物語ですが。

これに対して、オリジナルのファンタジックワールドを構築できているのは50本あればいい方で、思いつくとこでは、ハワードのコナンシリーズ(ギリシャから見た蛮族の世界がベース)、ナウシカ(未来の話だけど、中央アジア系)後宮小説(中国の架空王朝)なんかがある。基本的にファンタジーはなんか土台になる神話伝承が必要なんだけど、ゲルマン・ケルトの場合トールキン大先生の縄張りになっているので、ここで新規になんか作るのは難しい。

で、それを避けたい人たちが中央アジアとかローマとかを舞台にしたのを作って、そこそこ成功しているように見える。

ワタクシもファンタジーするからには、トールキン大先生の縄張りを荒らすのよりは、影響のない世界をベースにして、多少なりともオリジナルっぽい、と評価してもらいたいと考えた。

幸いというかなんというか、ワタクシはモグリの歴史学者モドキであった時代がちょっとあったので、その時の知識を生かしてファンタジックワールドを一個作ってみた。ロシアとその東方・北方からビザンツを見る、という感じの世界で、たぶん日本のライノベレベルではこっちから話作る人はいなかったんでは、と考える。もうちょい南の方からビザンツ見たのはあると思うけど。

全体的に見た場合、ヨーロッパとその周辺部で残っているのは、あとはフィンランドの神話伝承ベースのやつぐらいじゃないかなあ、と思う。ここはムーミンとその亜流「まうみん」しか作品が存在せず、「カレワラ」がほとんど手付かず(ワイナミョイネンだけがガンダルフのベースキャラクターとして抜かれた気もするが)で残っているから。

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プリンセスメーカー

幼稚園で胃腸にくる風邪をもらってきたらしい娘(5歳)が、ちょっと粗相をしてしまった。

あとしまつがちゃんとできないのでは?と思って、手伝うためにトイレのドアを開けたら、開口一番

「ヘンタイ」

と言われた。

この場合もやはり娘を誉めるべきなのだろう。

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February 03, 2005

墓穴を掘る人たち

「自分は結構上手に世渡りしてるんだ」と思っている人はそれなりに多いんだろう。

が、そういう人に限って、なんか肝心なところが大幅に抜けていて、モノを書くと「わたくしは間抜けでござい」という証拠を文章の中に残していったりする。

ごく最近の有名な例では「1200度で焼いた骨からはDNA鑑定はできないはずだ(ウェーハッハッハ)」というアレがありますな。これだけの短い文であるにも関わらず、読んだ人のほぼ100%から「たかが火葬にどうして1200度もの高温を発生させる必要があったんじゃ!」という突込みを引き出すことに成功している。

また、ミクシィなんかでは、自分がオタであるその事実をひたすら隠し、社交的でファッションなんかにも興味あるよーということを強調しようというプロフィール持っている人とかが見つかるが、必死になってそうしているが故に正体バレバレだったりする。

これまでワタクシは、「こいつら、ひょっとするとわざとそういう風にしてるんじゃなかろうか、いや、それは考えすぎだ」と思っていたのだが、さすがにこうも大量にそういう例を見せ付けられると、「わざとだ」と断言せざるをえない。彼らは理解できないししたくもないが、そうやって自分の墓穴を掘りまくって穴に飛び込み、マゾ的な快感に浸っているのに違いない。

こういう風に物事を断言しちゃうと、視野が狭くなって将来的に付き合っていける人間の数が減るんだけど、断言しておくとその後さまざまな推論を巡らすのが楽になり、短期間であるものごとについて考えたことの結論を出すことができるようになる。付き合える人間の数が減ったところで、どうせ有限の人生、すべての人と善隣外交で付き合っていくだけの時間なんぞないのだから、はたで考える程不都合は生じない。

墓穴人間は上の1200度の例を見てもわかるように、往々にして鬱陶しい「かまってちゃん」であることが多いので、ワタクシは今後とも相手の人格にかわいげがない限り無視し、縁を切りつづけるだろう。

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ピラニア

本日午後6時頃、ここのページの参照数が急激に上がったのですよ。

アクセス解析のとこみて、「なんでこんな風になったのか?」と思ったら、アップルのこと書いたせいだ、ということに思い当たった。

なんかみんな新製品とかスゴイ裏情報とかがあるようだ、と考えたらしい。

悪かったねえ。悪口で。

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すごいぞアップル

さっきアップルストアを見て驚いた。

どういう神経していれば、デジカメを相場の1万円高で通販できるようになるのだ。

ちなみに、アマゾンもえーかげん高いが、アップルに比べると数千円安かった。

でも、ここで買っちゃう人っているんだろうなあ。

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台北の秋葉原で火事

光華商場でぼやだそうです。死傷者なしだとか。

どうやら火元は地下だったようだから、古本とか海賊版CD・DVDのショップ(今は売ってるのか?)とかが燃えたんでしょう。

http://www.taiwandaily.com.tw/index03.php?news_id=37285&datechange=2005-02-03&news_top=c7

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February 02, 2005

奇怪なる改革者

ふと思いついたこと。日本の場合、左っかわの人ほどキレイ事をいい、自分を良識ある人物に見せようとする傾向が強いように見える。

が、左っかわの人って、最終的には既存の秩序を星一徹のごとくひっくり返すのが目的であるわけで、ということは旧体制から見ると秩序の破壊者であるわけだ。

つまり、革命に成功してひっくり返しに成功しない限り、犯罪者と呼ばれることを甘受しなければならん、ということなんですな。

で、現在の状況を見る限り、外見的には日本は共産革命を経験しなかったわけで、そっち方面の理想に向かって努力していった人は、墓の下に入ってもなお、「ど外道」と罵倒されまくらなければならないのですが、あんまりそうなってませんな。というか、死ぬ前にそういう覚悟を決めていた人すら、ほとんどいないのではなかろうか、と。

世の中すべてが「勝てば官軍」ではないことは明らかなんですが、困ったことに「革命」とか「改革」とか、「既存秩序への挑戦」なんかを志向してしまった場合、「勝たないと何の意味もない」という状態にロジック上はなってしまうのですね。だもんだから、革命を成就させずにくたばった日本の左っかわの活動家に対しては、右も左も唾を吐くべきであって、こんなものを称えてはイケナイ。称えるのはなんか気持ち悪い。

そういうことするのは、死んだ後でも「あれはモラルのないオトコだった」と言われることを覚悟した上でエロ小説書いているワタクシ以下と言われてもしょうがない、と思って欲しいです。

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February 01, 2005

貴腐人の微笑

根本的に「笑い」というのは、その笑いの元になる感情を、笑みを向けられた相手と共有するためにあるんとちゃうか、と思う。

例としては、ワタクシがへらっと笑った次男を抱き上げ「おーそうかー、うれしいのかー」というのなんかが挙げられる。次男はまだ1歳の赤ん坊だが、笑うことによって親とかにうれしいという感情を共有させる術だけはしっかり身につけている。

が、世の中には、「ごめんその感情共有できんわ」というタイプの笑みを浮かべる人、というのがいるのだ。千代田区のどまんなかに住まうやんごとなき御一家というのもそうだが、あの場合生活環境が一般人と違い過ぎるので、共感させられない方の責任も共感できない方の責任も追求することはできない。単にそういう事象がある、と言えるだけで、それについてああこう言うことは意味がない。

ああこう言えそうなのは、年季を経てあさっての世界に行ってしまったオタクや貴腐人が時たま見せる微笑みの方だろう。これは半ば以上自分から望んで(自覚しているかどうかはともかく)笑いかけた相手との感情の共有がないのと前提としているように見える。微笑みかけられた方が「ごめん悪いけどその感情共有できない、というかはっきり言ってしたくない」と思っちゃうように見える笑顔を、向けられたことあるでしょ?(同意を求めてどうする)

まあ意味はないけど、この笑みが出せるかどうかが、腐女子と貴腐人の境界線になるのかなあ、と例によって根拠もなく思ったのであった。

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続・張り倒せ!

娘(5歳)が朝食の後、幼稚園の制服に着替えずにぱんつ丸出しで走り回っていたので、ひとつ教育してやろうと思った。

「こらこら。家族以外にぱんつを見せびらかしてはいかん。」

すると娘(5歳)、こちらを見て「家族ならいいんだね」と天使の笑みを浮かべると、父の側にきて

「ほらお父さんぱんつぱんつ」

といって父の目前で尻を振り始めた。

…今回は負けを認めざるを得まい。

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