貴腐人の微笑
根本的に「笑い」というのは、その笑いの元になる感情を、笑みを向けられた相手と共有するためにあるんとちゃうか、と思う。
例としては、ワタクシがへらっと笑った次男を抱き上げ「おーそうかー、うれしいのかー」というのなんかが挙げられる。次男はまだ1歳の赤ん坊だが、笑うことによって親とかにうれしいという感情を共有させる術だけはしっかり身につけている。
が、世の中には、「ごめんその感情共有できんわ」というタイプの笑みを浮かべる人、というのがいるのだ。千代田区のどまんなかに住まうやんごとなき御一家というのもそうだが、あの場合生活環境が一般人と違い過ぎるので、共感させられない方の責任も共感できない方の責任も追求することはできない。単にそういう事象がある、と言えるだけで、それについてああこう言うことは意味がない。
ああこう言えそうなのは、年季を経てあさっての世界に行ってしまったオタクや貴腐人が時たま見せる微笑みの方だろう。これは半ば以上自分から望んで(自覚しているかどうかはともかく)笑いかけた相手との感情の共有がないのと前提としているように見える。微笑みかけられた方が「ごめん悪いけどその感情共有できない、というかはっきり言ってしたくない」と思っちゃうように見える笑顔を、向けられたことあるでしょ?(同意を求めてどうする)
まあ意味はないけど、この笑みが出せるかどうかが、腐女子と貴腐人の境界線になるのかなあ、と例によって根拠もなく思ったのであった。
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