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March 28, 2005

やんごとない話

てなわけで、やんごとないご一家についてのお話。

ワタクシは大学で赤い教育を受け、その後一時ではあるが教師なんぞになってしまっているので、思想の根本に赤いもんが結構混じってます。今でも、「他の赤い指導者はカスだと思うが、マルクスと毛沢東だけは友だちにできそうだなあ」などと考えているぐらいですな。

そういうワタクシであるから、30代の前半ぐらいまでは、「日本にあの一家はいらねえ」と本気で考えてましたよ、ええ。

しかしここ数年の間に、ワタクシにも微妙な変化が現われてまいりました。いえ、若い時の思想が逆転して、「やんごとなきご一家マンセー」になったわけじゃありません。個人としてあそこの方々を見てると、自分の与えられた職務というのを結構カラダはってやってくれており、一人の特殊な労働者として評価に値するなあ、と思うたのですよ。ワタクシ個人にとって、あそこの御一家の威光というのは必要でもなんでもないが、世の中にはあそこの御一家を必要とする人がいて、しかも結構な数にのぼる、という現実は認めております。それどころか、その必要性というのは、戦後からこっち高まる一方ではないんかなあ、とも感じておるのです。

現在ではあの御一家、ケダモノの集団になりそうな下々のモノどもに対し、「理想の家族とはこういうもんである」というモデルを示すための格好の素材として、メディアに活用されているように思われます。

当代が結婚する時は、下々に「女にとって、三種の神器を持った殿方に望まれて恋愛結婚するのが最高の幸せだ」というイメージがバラ撒かれました。これがある意味日本の経済成長に偉く大きな影響を与えた、と考えられます。当代の場合、「三種の神器」は本物だったのですが、下々の場合は、「テレビ・洗濯機・冷蔵庫」なんかに置き換えられました。

で、次の代の時ですが、「三種の神器」が意味を失ってしまい、皇太子の人は、自分自身の人間的魅力(=誠実さ)とやらで、自立して働く女性をゲットした、というストーリーが作られたのですが、このモデルがバブルという、今となっては非常に特殊な経済状況を前提にしたものであったため、あっさり破綻。真似をしようとした自立指向の女性たちは今、「負け犬」として在庫一掃セールを待つだけの身になってしまっております。たぶん皇太子の人もかなり家庭的な苦労を味わったらしく、ここ数年でめきめきと実質のある「いい男の顔」になってきているのが収穫だとは言えますが…。

結局この事例がモデルケースとして下々に定着しなかったので、次を考えなければならない状況が出てきたのではないですかね。というわけで、お嬢様登場。究極のプリンセス教育を施された(だってプリンセスだもん)箱入り娘が、ある程度社会人として実績を積んだ男のところに嫁入りする。プリンセスのお年が結構いっちゃってるんで、兄ちゃんの時まではあった「世紀のラブロマンス」などの腐れた妄想を挟む余地がなくなっている点がかえっていい感じだと思います。プリンセスはそんな下品な真似はしないもんですしね。

現時点での難点は、男性の側に、「自分の仕事をきっちりやって成果を出し、そのごほうびとしてプリンセスを得た」というイメージがイマイチ希薄な点だと思うのですが、これについては、男子を設けたその後にプリンセスともども皇籍に入り、即位してしまうことにより充分カバーできると思うのですよ。

皇室典範の改定により、女子にも継承権を与える場合、幼時に皇太子となった女子の花婿探しが異様に難しくなります。実際、皇太孫がいて、そちらに帝位継承が内定されていたケース以外で、女帝が自分の子供に帝位を譲った例は皆無です。それどころか皇太孫が決まってなかった場合、女帝は結婚すらできてません。

んだもんだから、皇太孫決定→中継ぎとしてその両親が即位、というパターンは、後の混乱を避けるという意味でもベストかと。この流れでいけば、ワタクシが主張するところの「理想の結婚パターン」というのをいやが上でも明確に下々に示せるので、ワタクシはこれを強く主張していきたいと思うです。

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March 26, 2005

女性に選択権を与えるべきか?

感情論で言やあ与えるべきなんでしょうが、あたしゃ敢えて「剥奪せよ」と言いたいと思いますな。

剥奪しといて、男性の側の「成果」を尺度にしちゃうと、社会維持のためのコストがずっと低く抑えられるんですよ。男にとって、「仕事の成果=自分の性的価値」になるんでね。別途女性獲得のための努力をする必要がなくなる。

いい仕事をした男に、丁寧に育てられた娘(丁寧に育てりゃ美しくかつ性格も良くなる可能性は高くなる)を与える。これでナニが悪いか、と。

このプロセスを経て女を与えられた男は、「父」として必死に妻および子の生存を保証しようとしますよ。契約を履行しないと、氏族の圧力により、人として生きていく資格そのものを剥奪されちゃうんで。

んで、そういう亭主とつがっていれば、自分も社会的存在としてきっちり生き、子孫を残していくことができる。
いい男と子孫を残すこととは関係なしにヤりまくりたいのなら、最上級の男をひっつかまえて余裕のある安定した家庭を築き、その上で不倫すりゃあいいじゃん。とりあえずうちでは、嫁を見合いで貰う前に、「やりたきゃそういうことしてもいいよ。血筋がどうでもうちで育てばうちの子だから」と言っといた。

まあ要するに、足らざるを売買春および限りなくそれに近い関係で補おうとする発想(ここを感情的に非難したい人はすれば?)なのだが、それは一方で、男女の横関係、子孫との縦関係をきっちり押さえ、それぞれに優先順位を付けて整理した上で導き出されたもんだ、といえる。ぽわぽわとした他と共有が困難な感情は満たされないだろうが、その他のものは全部充足される。なんか文句あるか。

ここらをごっちゃにし、優先順位を付けられないと、自分はともかく、産んだ子供の社会人としての生存は保証されなくなる。だからこれらをきちんと整理することのできない小娘には、男の選択権なんぞ与えちゃいかん、とワタクシは思うのである。

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March 25, 2005

悪役な名前

ずっと前から思ってたけど、ダース・ヴェイダーの名前っつーのはカッコいいっす。

通り名の方も平均以上なんすが、本名の「アナキン・スカイウォーカー」はもっといいし、さらに「ヴェイダー卿」と呼ぶとカッコよ過ぎてもうどおにでもして、という感じになりますな。

こんなにカッコいいのに、どうして「ヴェイダー卿」という呼び名は日本では定着しなかったのか?

とまあ、それはおいといて。

おとといあたりから、フランダースのネロ少年にこだわっていたワタクシは、彼の本名が「ネロ・ダース」であったことを知りました。…なんかすごく悪そうな名前だ。

とゆーわけで、いつか自分の小説のキャラクターに
「ネロダース卿」
つーのを出してやろうと思ったのでありました。

役どころは、そうだなあ、ムスカ型の悪役だな。

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本日の格言

「男は教育によってのみ父となり、女は教育によってのみ母を忘れることができる」

メスの場合、まっとうに成熟してタネ植えられれば母になるし、産んでしまえば本能レベルでその子を育てあげていくことができる。が、男というのは、生物として単純に成熟しただけでは、「やり逃げ」するのみで「父」にはならない。一般的なオスの生涯の目的というのは、単に「ヤること」であり、行為の後、タネを植えたメスや、その周囲を巡る環境が(行為後の自分の生存さえもこの中に含まれる)どうなろうと知ったこっちゃないのである。

それをなんとか繋ぎ止め、父という種の生存に責任を持つ生物を発生させるために、社会というものが誕生したのだ、とワタクシは考える。この場合、オスの側には、「この契約を受け入れれば、再度のタネ付け行為が保証される」というエサが提示される。

で、契約成立後に構築された「家庭」においては、この契約を実効あるものとして維持するために、生まれた男子に対して「父となるための」教育を施す、というわけだ。

しかし、この教育システムは、維持することそのものにある程度のコストがかかる。というわけで、すべての男子に対して「父たるための教育」が施されたわけではない。江戸時代までの日本においては、長男に対してしかそういう教育はされなかった。次男三男は成人すると、長男の農奴として一生ヤれずに終わる運命にあった。羽振りのよい家の場合、次男以下にも長男教育を施し、他家に婿養子に送り込む、ということもしたが。

諸外国の場合も、程度の差こそあれこんな感じである。「父」というのは要するに、「一族という単位にまとめられた人間たちの生存に責任を持つもの」で、こうして生まれた「契約」「責任」という概念が、一族を超えて構成される社会集団を維持発展させるためのパーツとして積極的に使われるようになった、と思う。

このシステムの欠点は、「父」となる男子本人に選択権がない、という点と、「父」以外の性欲が基本的に抑圧されるようになってしまっている、というところにあった、と思われる。近代になってから、いろんな連中が前近代の家族制度は、女性を家事労働の奴隷の地位に貶めた、とかなんだとか言い始めたが、それは単なる付随物でしかなかったと思う。より重要なのは、「父」を「父」として繋ぎ止めるために、父の性欲を母のそれよりも優位に立つもの、と認定した点なのではないか、と考える。

ともあれこんな感じだったために、近代に入るといろんな人が、家族制度に対する不満をぶちまけ、破壊しようとするわけだが、それらはひとくくりにすると「もっと自由にヤらせろ!」という叫びにほかならなかったように思われる。フェミニズム運動というのは、前近代の家族制度の父と同様の性的自由を、女性にも与えよ、という運動であったのだと、ワタクシは思う。だってさあ、田○陽子センセイとか、完全に「家事労働の奴隷」の地位からは解放されてるじゃん。

ところが、前近代の「父」にだって、無条件無前提に性的な優越権が与えられていたわけではない。それは常に「一族の生存を保障する」という義務と一対になってたのだ。だけど、前近代的家族制度の見直しを迫る連中には、この「義務」の部分が見えてないのね。見えているけど見えないふりしてる可能性もないではないが。

てな感じで、女性の側にパートナー選択の自由、という権利を与えてしまうと、前近代・近代関係なしに社会というものは崩壊してしまう、とワタクシは思う。そうしちゃうと単なるオスを「父」に変えるためのエサがなくなり、「契約」が成立しなくなるし、すべての契約の無効化と共に、「責任」という概念も消滅しちゃうからだ。

そういうことを覚悟した上で、「われらに性欲の自由を」と喚くのならもうなにをかいわんや、であるが、実際そういう覚悟決めてる人っていないでしょ。社会の崩壊を恐れて、自らの性欲に一部制限を加えるか、それとも、崩壊後の新しい社会秩序(アマゾンの国みたいになるだろうね)の構築に対する責任を負うことと引き換えに自由を得るか。さあどっちにする?

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なぜネロはウケ、そして嫌われるか

まず第一に、ネロは生活者ではなく卵とはいえ芸術家であった、ということを問題にすべきだろう。ネロにとって生活すること、というのはルーベンスの絵を見るという大目的の前提条件に過ぎなかった。実際見たら満足して死んじゃってるしね。

生活することそのものが目的になってしまっている人、あるいはせざるを得ない人にとって、そういう生き方は羨望の対象であるとともに、憎悪の対象ともなる。

なぜ羨むか、というと、生活以外のことを目的にできる、ということは、生活については不自由を感じておらんのだろう、と思えてくるからだ。要するに、額に汗して必死こいて働くだけでおしまい、じゃなく、余裕があるんでしょ、ということだ。

しかし実際にはこういう生き方をしている人の大半はキリギリスであり、目前に「生きるために必要なもの」と「楽しいもの」とを並べられたら、迷わず「楽しいもの」の方を取っちゃうのである。これを見せられると、生活者は怒り、キリギリスに対して、生きることの重み、ということを味合せようとする。んで、キリギリスが生きることの重さに耐えることができなかったら、「それ見たことか」と嘲笑するのである。

…フランダースの犬って、こういう構図にぴったり当てはまるんだよなあ。

前にオタっていうのは、種族の生存よりも個体の快感を優先しちゃう種族だって書いたが、そういう意味ではネロ少年はオタ以外の何ものでもない。違っているのは、ネロにはアロアという情婦がいたが、大抵のオタにアロアはいない、ということだろう。

最後に一言付け加えておくが、ワタクシは自分がネロを嘲笑しようとする側の人間だということは自覚している。

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March 24, 2005

ネロ少年について語る

番組改変期になるとかならずしゃしゃり出てきてお茶の間の涙を誘いまくる老犬とそのおまけの少年について、オフィス内で熱く語り合ってしまった。

中心テーマは、ネロと絵。

ネロはずーっとルーベンスにあこがれていたのだが、最期のあの様子から見て、どうもその絵というのを見たのはあれが生涯最初だったらしい。

てことは、彼が愛していたのは絵そのものではなく、ルーベンスの名声だったということになる。ここでちょっとみんなネロを嫌いになれる。

次に問題となるのは、そのルーベンスの絵というのが、一般大衆の「美しさ」の基準から結構離れてしまっている、ということだ。

だって、わき腹ヤリで刺されて血まみれになった半裸の男を十字架からおろしている絵だぜ。これ、死ぬ前にいっぺんでいいから見てみたい、と思う絵か?しかもネロってまだ●●に毛も生えてないだろうガキだし。

というわけで、教会の奥に飾ってあったのは、実はルーベンスではなく田亀源五郎画伯の作品であった、という仮想戦記を現在脳内で執筆中。

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時を超えたツッコミ

嫁と子供がいなくなった(春休みになったので孫恋しくなった田舎のじいちゃんばあちゃんに拉致られた)ので、朝飯を外で喰うことになった。で、待ってる間の暇を潰すために、本棚にあった適当な本を持って家を出る。

上野の駅のそば屋に入って気づいたが、その本は「山海経」だった。

で、適当にページを開く。「第十八 海内経」。韓流なる人とも化け物ともつかない存在の記述が見つかる。

「韓流は--首が長くて謹耳(未詳)、人面で豕(いのこ)の喙(くちさき)、麟(きりん)の身で大きな股(もも)、豚の趾(あし)であった」

…顔とか体つきとかはどーでもいいんだが、足がブタ? それっていわゆる「チョッパリ」(半島の人が使う日本人に対する蔑称。足袋の足先から「ブタの足」てな意味だと言われる)ってことと違うか?

というわけで、二千年の時を超えて大昔の漢人から韓流に対して送られた、スケールのでっかいツッコミの紹介でありましたとだ。

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March 22, 2005

資本主義って…

仕事でゲーム(もちろんそーいうのだ)の攻略をやってて思った。

「考えてみりゃオタやってんのって、金かかるよなあ。」と。

エロゲというのは、何も考えてなくても「こ、これは」と思うようなインパクトをオタクの脳と股間に与えなければならない。要するに感性商売なわけだ。

が、そのオタの感性というのは天性のものではなく、幾多のオタアイテムを消費することによって養われてきたもんだったりする。オタの先端度というのは、消費したアイテム数に正比例する、とまあここでは言い切ってしまおう。それは、オタアイテムを供給する立場に立てばよくわかる。

なんせ、完全にオリジナルなもんが作れないっすからね。いや、能力の問題もあるんだけど、一番大きいのは市場の問題。広告宣伝に湯水のように金かけられないから、ユーザーが今まで全く知らなかったような新しいモノを世に問うことができないんですよ。んだから、既存のウケた作品の一部をちょちょいと引っ張ってきて作る、というパターンがもっぱらになってしまう。オリジナリティは、そうやってお客を引っ張って、逃げられないようにした段階で出す、という感じですな。

そういう感じで作品が作られているから、受け手の方も、似たようなテイストの作品に釣られて次から次へとゲームその他のオタアイテムを買い漁るようになる。結果、先に述べたように、消費したオタアイテムの量によって、そのオタの感性が先進的かどうかが決定されるように至る。

作り手の方はどうかというと、元はオタなんですが、作品づくりに集中していると、オタアイテム消費のための金・時間がなくなっちゃうんですよ。できるのは日曜の朝にプリキュア見るのがせいぜいで、DVDレコーダー数台を配置して、一週間の間に放送される全アニメを録画し制覇する、なんていう真似は逆立ちしてもできない。んだから、制作が終わったら、「オタアイテムを補給せねば」って、必死になって失われた時間を補完しようとするわけです。結構この作業辛いッスよ。

オタアイテム製造を商売にするようになると、「仕事」してる分だけ消費に回せないので、元がオタでも次第に偽オタになっちまいます。そうならずに、「絶対消費者」を続けてられる真のオタってのは、時間と金があり余ってるんと違うのかなあ、と思わざるを得ないですな。

…女くどいてホテルに引っ張り込む、というバブル期のイケメン(イマドキそんなもんの存在がリアルに記憶に残ってるオタなんざいねぇって)と、現在のネ申オタと、いったいどっちが「資本主義的存在」っすかね。ほとんど変わんないような気がするぞ。

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カウンタの回し方

昨日、ここのサイトのカウンタがこれまでにない形でぶん回った。

ナニが理由であるかはよくわかってるけ、つーか、呼ぶつもりでそういうキーワード埋めこんだんだが。

んでわかったことは、ネットの中の世界ってのは案外狭く、特定のジャンル決め打ちのキーワード埋めこめば、4桁ぐらいのアクセスは簡単に稼げる、ってことだった。

あと、ブログによってそういうキーワードが拡散する速度は、これまでと比べて格段に速くなってる、ということもわかった。上に書いた「特定のキーワード」さえ埋めこんでおきゃあ、デマ拡散装置としてすんごく役立ちますな。

ちなみに、実験に使った書き込みはすでに消しちゃったが、それは内容がデマであったためでもないしクレームが来たからでもない。

単に「伝説化」を狙っただけだ。

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March 21, 2005

もの書きの資質

もの書きで喰って行こう、などと考える人は、基本的に鼻っ柱の強いオナニストでございます。

まあ、それっくらいでないと人様に自分の作品を晒そう、などとは考えないのでしょうから、これはこれで仕方のない現実である、と認めるしかないでありましょう。

しかし、それらの方がみんな「書いて気持ちいい」文章だけを作っている場合、出版業というのは成り立たなくなるわけでございまして。やっぱり「もの書いて喰う」ということを前提にした場合、「読んで気持ちいい」文章にするのが基本ではなかろうか、と。

いえ、「書いて気持ちいい」文章を書くという行為を否定する気はございません。そういう方たちは、商売ではなく趣味としてお書きになればよろしいのです。安永航一郎さまが「恥とせんずりはなんぼかいてもタダじゃっ!」という名言を残しておられますが、同人文もまったく同様で、いくらかいても費用がかかることはございません。ただ、それでおあしを儲けることができないだけでございます。

てな感じで、まず最初に、「自分のためでなく、人のために文章を書けるか」てなとこが、単なるもの書きから商業文士に変身するための第一の壁になるでしょうな。

ま、「人のための文章」とはいえ、完全に万人むけのものにする必要はなく、ある程度「自分と似通った人間」だけをチョイスしてお客さんとすることは許されているし、そこらの絞り込みをきちんとやらんと出版社は潰れてしまう、とも言うことができます。

いずれにせよこの段階で、もの書き候補の鼻っ柱は一度粉砕されなければならないわけです。その過程で、「自分だけは特別」だという思いこみもボロボロにされ、「99%以上よくいるそこらの人間であった自分」というのを思い知らされるのだ、と申せましょう。

で、その事実を受け止めて、なおかつ最後の1%を効果的に使って独自なものを書ければ、使い物になるような気がいたします。

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March 19, 2005

ネタみっけ

いきおいで「ガネーシャが」などとコメントに書き込んで見たあとに、ふと気になって本物の詳細について調べてみた。なにせそれまで名前と格好(あと、インド象である、というところか)ぐらいしか知らなかったからね。

…で、わかったガネーシャの恐るべき素性。

母はパールヴァティ。父はなくて母が身体からこすり落とした垢で作られたそうな。でも美少年だった。

このガネーシャくん、生まれて最初に母親から命じられたのが、母親のお風呂の見張り。よーするに、母のハダカを他のヤツに見せないようにしろと言われたのだ。母ちゃん、生まれたばっかの息子(しかも美少年)に対して最初にしてやることってのは、もうちょっと違うことではないのか?

それはともかくガネーシャ、母の命令を守ってじっと番をしてたのだが、そこに来たのが父(義父)のシヴァ神。こいつは見張りのガネーシャをあろうことかノゾキと勘違いし、キレていきなり首をはねちゃったんだそうな。かわいそうなガネーシャ。

息子を殺されたパールヴァティは激怒し、亭主に「どうしてくれる」と迫る。んで困ったシヴァ、「次にここを通りかかったヤツの頭をぶった切って、こいつにつけて生き返らせるから…」と約束。

というわけで、カモは来ないか、と待ち構えるシヴァの家に、何も知らないのんきなインド象が通りかかる、と。

…インド人ってすごいなあ。ちょっといじるとすぐに小説のネタになりそう。

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March 18, 2005

しゃっほー

先週から今週にかけて怒涛の勢いで仕事がおしかけてきて、なんだかわかんない状況になった。

が、本日iPodしゃっほーを首からぶら下げて神様仏様フレディ様の「We are the Champions」を聴いたらなんかがぜん勇気が出てきた。

これまで何度となく耳から入れるアブナイ薬として利用してきたから、かなり前から効き目は薄くなってきてたはずなのだが、こうまで効いたのはやっぱしゃっほーで聴いたからか?

もしそうだとしたらでかしたしゃっほー。後で買ってやる(実は今日のしゃっほーは借り物)。

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March 17, 2005

ちゅどーん

国連の作った反対人地雷キャンペーンのCMが、アメリカ中のテレビ局に総スカンを喰い、放映不能の状態になってるんだそうな。

http://x51.org/x/05/03/0831.php

一応これ見たが、女子サッカーの試合中に、突然選手がちゅどーん、というモノであった。これがどーもリアルすぎで残酷だ、というらしい。

しかし、モンティパイソン見てたら、これ別に突飛でも何でもないように思えるんですけど。

というわけで、世界で最初にこのCMを放映するのはBBCになるんじゃないかと、今からわくわく。

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March 16, 2005

お釈迦様が見てる

なんか「マリみて」の亜流作品作れないかなー、と思ってタイトルだけ考えてみました。

…中身は「ファンシィ・ダンス」だろうと容易に想像がついてしまうな。

でも「ムハンマド様が見てる」だと作者が暗殺される危険があるんだよお。

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March 15, 2005

次は姉経由ショタ

野村総研のレポートのおかげで、ええ年をしたおっさんまでもが「萌え」なる言葉に注目するようになってきた。偉い話である。

どのぐらい偉いかというと、信用金庫の営業さんの耳元で「萌え」とささやいたら「融資しましょう」などという言葉が口から飛び出してくるぐらい大変なことなのだ。

んで、ちょっと通ぶった人は、「萌え」つーたら「『妹』がね…」と一般人に講釈垂れようとするのだが、「妹」はもう時代の先端ではない。現在はどっちかっつーと「姉」時代らしい。

こういう変化が生まれた背景というのは実に簡単で、要はオタどものマグロ化傾向がさらに悪化しただけのことなのだ。「妹」つーのはありていに言えば「この(キモイ)自分から逃げられない異性」だった。世のお兄ちゃんどもは、この少女の逃げ場を奪った上であーたらこたらしよう、と妄想を膨らませていたのだが、最近ではどうも「逃げ場を奪ってあーたらこたら」さえ面倒になってきたらしい。

で、向こうの方から自分に対して積極的にあーたらこたらしてもらおう、ということになった。かくして「妹萌え」よりも「姉萌え」のがもてはやされるようになったのだ。

オタの場合、自分よりも年長の女性というのは無条件でストライクゾーン外になるはずだった。だが、オタどもは自分の年齢の脳内設定の切り替えを行い、「自分は12歳のショタ少年なのだ」と思い込むことにより、自分の実年齢よりもずっと年下の少女を「姉」と強制的に認識させるというウルトラCをやってのけたのだ。

たぶんそういう豪快な技が使える、と気づかせるきっかけになったのはやっぱり、「姉DVD」なんだろうな。

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March 13, 2005

ゲーム脳話はウケる

なんかこの話についてのトラバがやたら多いみたいで。

案の定ネット上に散らばっている意見には、「ゲーム脳」理論を擁護しているものは皆無だった。だが、ゲームやってるひきこもりを擁護しているもんも案外少なく、ワタクシが書いたような「どっちもどっち」的な論が多数であったように思われる。これは実際にそういうもんが多数を占めていたのか、それともネット上で発見される情報というのは、得てして検索した本人にとって都合のよいもんでしかない、というワタクシの「類は友しか呼べない」理論(裏付けは本人の経験以外にはまるでないことを男らしくここでバラしておこう)に基づいて、自分の意見に似たものだけを引いてきた結果なのかはわからない。

んでも、この手の話がもてはやされるのは、やっぱこの話そのものが、コンプレックス絡みなだけに誰にとってもある程度切実だからなんだろう、と思う。ある意味30過ぎの人間なんて、自分のコンプレックスを解消させるただそのために脳みそ使っているようなもんだし。

そこら逆手にとると、ほどほどにおぜぜを儲けさせていただく、ということができそうだ。

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ブログの本

ブログの内容をそのまんま本にするのが流行ってるそうだ。

で、やってみたら案外受けたので、「次誰かいないか」とみんな血眼になっておもろいブロガーを探しているようだが、一番面白いのはもう最初にやっちゃってるからねえ。以後鉱脈が見つかるかどうか。

無名な人のブログで面白いのが見つからなかった場合、書いた人間の知名度によって何とかしよう、と考えるのは、これまでの書籍が歩んだパターンとそっくり同じなのだが、ブログやってる有名人、ていうと、せいぜいがホリエモン程度でおしまいである。ホリエモンはまあいいが、2番手、3番手に誰がくるか、というと誰もいない。なんとなれば、そこらの有名人だったら、ブログが元であろうが紙媒体向けにはじめから書き下ろしたものであろうがほとんど変わらんからだ。

てな感じで、有名人とブログを組み合わせる場合、もっとも効果的なのはブログというものに全然手を染めそうになく、「えっあの人がブログやってるの?」と思わせる人物を起用する、ということになる。となると、現時点で生存していない人がベスト、となる。ガッツ石松だって仕込めばブログぐらいやれるだろうが、今生きてない人なら、どんなに頑張ってもブログ始めることはできないからね。

で、具体的にはどーいうのがいいか、と考えたかというと

・クワトロ=バジーナのブログ
・曹操のブログ
・ジョナサン=ジョースターのブログ
・江田島平八のブログ
・範馬勇次郎のブログ

とまあ、こんな感じだったりする。ネタとしてはかなり強力だと思うが、どうよ。

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March 12, 2005

オタと年齢

オタの年齢は物理的なモノと論理的なモノの2種類が存在する。

男のオタは、とりあえずホモ・サピエンス・アキバエンシスという霊長類に属するどーぶつであるから、肉体的には他のホモ・サピエンスとほぼ同じ時間をかけて成長し、かつ老化する。要するに物理的年齢の進化のペースは他の人類と同じである。

が、ほとんどの場合、オタは自分自身を脳内で「永遠の19歳」であると認定する。ただしこの年齢は絶対的なものではなく、「お姉さんにいぢめてもらいたい」と欲する場合には12~13歳(精通はあるが発毛はない、とかそんなあたり)に動くし、多少なりとも現実を認めようとするモードに入った場合、27歳までは引き伸ばすことが可能だ。しかし、結婚するか自らキモメン宣言をするかしない場合、その脳内年齢が30以上になることはまずない。

なんでこんなことを考えたのかというと、ある商品を売りこむ場合、「48歳からの○○」とか「30歳のための○○」と対象年齢層を区切り、そのコンセプトを明確化するって重要だよなあ、と思いつき、ひるがえって高齢なオタにモノを売ろうと考えた場合、どーいうキャッチつけりゃいいだろ、と悩んだためであったりして。

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三日坊主

当分更新やめるぞ!と決めたらいきなりトラバとかが増えて来たので、書きたくなってしまった。

三日坊主で日記やめる、てのはよく聞くけど、三日坊主で日記更新停止宣言を撤回するというのはあまりないであろう。

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March 09, 2005

ひみつ

これからいろんなひみつに接する可能性が高いので、しばらく日記を封印しよう。

そういう風に宣言しないと書いちゃうからなあ。

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March 08, 2005

びんぼー性

新型のデジカメが発表された!というニュースを聞くと、すぐに価格.comにアクセスして旧モデルの値段を調べてしまう癖はどうにかしたい、と思う。

この商売しているからにはせめて提灯記事の一つも書いてメーカーからサンプルをふんだくるぐらいの気概を持たねば。

…それとは関係なしに、オリンパスμ-miniはまもなく2万円を切る、か。

こんどはヤフオクを見てみよう。

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March 07, 2005

ニート・エイド

某出版社で、「ここ2年ぐらいは、引きこもり傾向を持つ人に対して、外の世界に出るように背中を押してやるようなコンテンツが受けるんでいっ!」と大見得を切ったら、

「ならば『ニート・エイド』とか名づけて、NPOでも始めるといいかも知れませんね(笑)」と言われた。

NPOとか言うとその胡散臭さに全身がゾクゾクしてきちゃう(うれしがってる)のだが、いかんせんあたしゃこれやって銭儲けようとしてるからなあ。

タテマエ上、非営利のNPOはできねっす。

んでも、「うぃあーざにーと、うぃあーざあだるとちるどれーん」という歌をさっそく作ってしまった。その先の歌詞は考えてないが。

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March 05, 2005

機械の声が聞こえた

ヤフオクで相場が下がってきていたので、リコーのCaplioG4 Wideというデジカメを買った。コンパクトデジカメとしては最も広角よりのレンズを搭載した製品である。

この製品のように個性というか癖のあるコンセプトに基づいた製品の場合、持ってると「こういう風に使ってくれ~」という声のようなものが聞こえるような気がする。デジカメの場合、その声は「こういう写真を撮ってくれ~」ということになる。無論気がするだけで、本当に聞こえたと思うようになったらデジタル系ものかきを廃業しなきゃならないが。

んで、このG4からもその「声」が聞こえたように思われた。それは何かというと
「ボクを使っておっぱいのどアップを撮ってくれ~」である。
確かに広角レンズを搭載し、1cmまで寄れるマクロ機能をサポートしたこいつだと、乳首部分くっきりしているが、裾野部分がいい感じにボケたすんごくエロい乳房写真が撮れそうな気がする。

かといって近場にそういう被写体が安易に転がっているわけではないので、途方に暮れてしまっているのだが。

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March 04, 2005

ただ大人たちに誉められるようなバカにはなりたくない

なんか小学校とかでやってる過激な性教育が問題化しているようで。エロに関わるものとして一言なんかコメントせねばなるまい。

ワタクシとして一番気になるのは、ふつーの絵本のように、明るくさわやかに勃ったり濡れたり突っ込んだり、ということを描こうとしてるとこっすね。これは間違ってると思う。

ガキをこさえる行為っすよ。生きるの死ぬのの騒ぎっすよ。もう少しそういう尊厳ちゅーのを強調しなきゃならんのと違いますか?「おじいさんは、としをとりました。としをとったひとは、しんでしまうんだよ。しんだら、かそうばでやくんです。」こーいう書き方の教科書に違和感を感じるような人は、あっけらかんと明るく書かれた性教育の教科書に違和感感じるんとちゃいますか?

たぶん親としては、子供にできるだけ見せないようにしながら、ちゃんと定期的にやることやり続ける、というのが最高の性教育になるんと違うかな。んでやっぱ、子供にいつか「お父さんとお母さんはあんなことしてたんだ!」と衝撃を与えないといかん、とあたしゃ思うですよ。この衝撃を変な感じに麻痺させると、ロクな大人になりゃせんと考えますです。

んで、学校で性教育するべきか否か、て点ですが、生理始まった女の子に対して、「むやみやたらにサカるとガキできるから気をつけろ」ということを教えるのは必須だと思います。この場合、「完全な避妊方法なんて都合のいいもんはねえ」ということを教えるのを忘れてはいかんすね。ついでにひとりエッチの方法も教えとけば完璧じゃないでしょうか。要は、社会的存在としての自己のあり方に深刻な影響を与えちゃうから、可能な限り自分の性欲はコントロールせいよ、ということ。男は成長すれば自分で勝手に抜くようになるから、教えなくていいです。ほどほどに女の子から隔離しておきさえすれば。

まあ、間違いなく全員に周知しておく場、となると学校しかないんだが、生徒って基本的に「学校で教わったことは、卒業と同時にぜーんぶ忘れていいことだ」と無意識に思い込んでいるからなあ。

この法則が生きているからこそ、あほ教師がどんなに過激な性教育やったところで意味はない、とも言えるんだが。

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ショタ萌え小説計画

てな感じで思いついたのが、12歳ぐらいの、かろうじて精通はあるが、発毛はまだぐらいのショタ美少年を主人公とした小説だ。

役目は何かっつーと、読者であるオタの人のための、作中での依童ね。

オタの人の場合、実年齢がいくつであっても、脳内では自分は永遠の19歳だと思ってるのだが、精通直後のショタ美少年や、同年齢のロリ子にも自分自身を憑依させることは充分可能だと思う。

んで、このショタ少年を、さまざまなおねぇさんにイタズラさせるわけ。だが、最後までやらせちゃうと、憑依したオタが痛がるので、本番行為は厳禁。あくまでも手。手でやるシーンばっかにすると、オタが日常自分自身でやってる行為とシンクロさせられる(なにせ、違うのは指の細さぐらいだ)ので、リアルにその感覚を思い出すことができるであろう。

これを見せつけることによって、とりあえず自分自身で何とか始末するのではなく、「おねぇさんにそうやってもらいたいなあ」ぐらいは思わせたい、と考えるのだが、それでうまくいくかなあ。

うまく引きずっていくためには、もう一工夫ぐらい必要かもしれない。

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二次元恋愛

お知り合いなブログに、ときメモオンラインに関する記事があった。

間接的にここを参照するだけでも、ネカマ大増殖とか、ネット世界でも藻男大発生とか騒ぎ始めているようだが、当方としては「やれやれもっとやれ」というのが素朴な感想。

別にいいでしょ。実性別とネット上性別が違ってたって。ネット上の恋愛を実生活上の出会いに結びつけようというのがアホなのだ。

あと、顔とスタイルという、世の藻男が自分がモテなくなった理由だと考えているモノが覆い隠されるネット上で、なおかつモテなくなる、というのは、自分自身でネット上における分身を「モテなくなるように」演出した結果であるとしか言えない。自分からモテなくなるような行動取っておいて、「自分はモテない。この不幸な自分を誰かちやほやしてくれ」はないでしょ。そーいうのにかまってくれるほど世の人は暇じゃない。

とまあ、藻男のカリスマとかに毒づくのはこの辺にしといて、多少前向きな視点から話すると、三次元での出会いに直結させ、話をとんでもねえ方向に引きずっていくのさえ慎めば(特にネット上性別と実性別が異なる場合)、いいリハビリの場になるんと違うか?というのがワタクシの意見でありますな。

萌えエロ文書きを商売にしてから、どーも大量のエロゲとかエロ小説とかを相手にするようになり、最近の萌えエロ事情にアンテナが追随できるようになった結果、「最近のオタって、すでに女性に対する挿入行為を快感であると認識することが困難になっとるんと違うか?」と思えるようになってきたのだ。だってエロゲの処女喪失シーンって、実際には絶対あり得ないSFになっちまってるもの。都知事閣下の小説じゃあるまいし、ぴーで穴の奥にキレイに貼ってある「膜」をばりんと破くのがデフォルトって、これどうよ。この描写にツッコミ入れられないほど実体験ないと、エロシーンをリアルに書いても反応してくれんわな。

まあ、これは別に非難するべきことではなく、現実なのだと納得するべきことである。んでも、今後ずっとそうであり続けることは不幸なことだと勝手に思うから、せめて2万握り締めて千束4丁目の大衆店に行こうと思うぐらい、そっち方面に対する執着というのを再生してみたいと思う。なおかつそれで金稼げれば言うことはありませんな。

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March 01, 2005

パズーとムスカの方程式

キャラ萌えな創作物のばやい、作中に読者の依代というものが必要になる。

で、この依代、女の子の争奪戦が中心テーマになるケースにおいては、2種類に分割しておいた方が何かと都合がよい。片方は読者の白い属性代表で、もう片方は読者の黒い属性を代表するものである。仮に、前者をパズー、後者をムスカと名づけよう。なお、この便宜的なネーミングと実在するアニメ作品に登場するキャラクターとの間に関連性はないものとする。どんなに突っ込まれようとも認めないぞ。

この両者、本質的には同一物ではあるが、全体の枠組みにより微妙にやれること・やれないことに差が出てくる。

一応、清く正しく美しく「正義は勝つ」なエンディグに持っていく場合、ムスカには言葉責めは許されるが、争奪の対象となる少女キャラクターの膝以上鎖骨以下の部分に触れることは固く禁じられる。言葉責めをする際に顎を持ち上げる行為と、美少女キャラクターが逃げる際に手首を掴むことは認められるが、乳尻などに触ろうとする場合、死を覚悟しなければならない。ムスカにとって、美少女キャラを縛りあげることは重要な役目の一つであるが、実際に彼自身が美少女キャラに触れることはできないため、それ専用に女幹部などを雇用することもあり得る。

一方、清く正しく美しい「パズー」だが、正義の名の元不自然なまでの自由が与えられる。海で溺れたフリをして美少女キャラに人工呼吸して貰ってもいいし、まだ言葉を交わしていない初対面の状況でいきなりお姫さまだっこをしても無問題である。パンツだって見放題だ。ようするに、二人分のスキンシップ券が読者とグルになっている作者に与えられている、というわけだ。んでもって最後には、自分の分身であったはずのムスカを葬り去ってしまう。冷静に考えると、やってることはかなり鬼畜なのだが、彼に対して非難をしてはいけないお約束になっているのだからしょうがない。

枠組みが「悪は栄える」な感じになった場合、パズーとムスカの立場は逆転する。ムスカの封印は解き放たれ、あんなことやこんなことをしても万事オッケー、ということになる。エロゲの場合、さらに「鬼畜エンド」という安全装置付きの「if」を前提にすることにより、美少女キャラを人格崩壊にまで追い込んでしまうことすら認められてしまうのだ。この場合、鬼畜シナリオが始まる前にパズーが体よく始末されてしまうことは言うまでもない。

小説の場合、「鬼畜エンド」というifを作ることは困難なので、よほど枠組みの設定をうまくやらない限り、パズーが勝つ方向に持っていかざるを得ないだろう。ただし、先に書いたように冷静に考えれば正義シナリオの場合のパズー程悪いヤツもそういないので、良心的な作者であれば、何らかの形でパズーにしっぺ返しを食らわせるエンディングを用意すべきであろうかと思われる。

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