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March 26, 2005

女性に選択権を与えるべきか?

感情論で言やあ与えるべきなんでしょうが、あたしゃ敢えて「剥奪せよ」と言いたいと思いますな。

剥奪しといて、男性の側の「成果」を尺度にしちゃうと、社会維持のためのコストがずっと低く抑えられるんですよ。男にとって、「仕事の成果=自分の性的価値」になるんでね。別途女性獲得のための努力をする必要がなくなる。

いい仕事をした男に、丁寧に育てられた娘(丁寧に育てりゃ美しくかつ性格も良くなる可能性は高くなる)を与える。これでナニが悪いか、と。

このプロセスを経て女を与えられた男は、「父」として必死に妻および子の生存を保証しようとしますよ。契約を履行しないと、氏族の圧力により、人として生きていく資格そのものを剥奪されちゃうんで。

んで、そういう亭主とつがっていれば、自分も社会的存在としてきっちり生き、子孫を残していくことができる。
いい男と子孫を残すこととは関係なしにヤりまくりたいのなら、最上級の男をひっつかまえて余裕のある安定した家庭を築き、その上で不倫すりゃあいいじゃん。とりあえずうちでは、嫁を見合いで貰う前に、「やりたきゃそういうことしてもいいよ。血筋がどうでもうちで育てばうちの子だから」と言っといた。

まあ要するに、足らざるを売買春および限りなくそれに近い関係で補おうとする発想(ここを感情的に非難したい人はすれば?)なのだが、それは一方で、男女の横関係、子孫との縦関係をきっちり押さえ、それぞれに優先順位を付けて整理した上で導き出されたもんだ、といえる。ぽわぽわとした他と共有が困難な感情は満たされないだろうが、その他のものは全部充足される。なんか文句あるか。

ここらをごっちゃにし、優先順位を付けられないと、自分はともかく、産んだ子供の社会人としての生存は保証されなくなる。だからこれらをきちんと整理することのできない小娘には、男の選択権なんぞ与えちゃいかん、とワタクシは思うのである。

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March 25, 2005

悪役な名前

ずっと前から思ってたけど、ダース・ヴェイダーの名前っつーのはカッコいいっす。

通り名の方も平均以上なんすが、本名の「アナキン・スカイウォーカー」はもっといいし、さらに「ヴェイダー卿」と呼ぶとカッコよ過ぎてもうどおにでもして、という感じになりますな。

こんなにカッコいいのに、どうして「ヴェイダー卿」という呼び名は日本では定着しなかったのか?

とまあ、それはおいといて。

おとといあたりから、フランダースのネロ少年にこだわっていたワタクシは、彼の本名が「ネロ・ダース」であったことを知りました。…なんかすごく悪そうな名前だ。

とゆーわけで、いつか自分の小説のキャラクターに
「ネロダース卿」
つーのを出してやろうと思ったのでありました。

役どころは、そうだなあ、ムスカ型の悪役だな。

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本日の格言

「男は教育によってのみ父となり、女は教育によってのみ母を忘れることができる」

メスの場合、まっとうに成熟してタネ植えられれば母になるし、産んでしまえば本能レベルでその子を育てあげていくことができる。が、男というのは、生物として単純に成熟しただけでは、「やり逃げ」するのみで「父」にはならない。一般的なオスの生涯の目的というのは、単に「ヤること」であり、行為の後、タネを植えたメスや、その周囲を巡る環境が(行為後の自分の生存さえもこの中に含まれる)どうなろうと知ったこっちゃないのである。

それをなんとか繋ぎ止め、父という種の生存に責任を持つ生物を発生させるために、社会というものが誕生したのだ、とワタクシは考える。この場合、オスの側には、「この契約を受け入れれば、再度のタネ付け行為が保証される」というエサが提示される。

で、契約成立後に構築された「家庭」においては、この契約を実効あるものとして維持するために、生まれた男子に対して「父となるための」教育を施す、というわけだ。

しかし、この教育システムは、維持することそのものにある程度のコストがかかる。というわけで、すべての男子に対して「父たるための教育」が施されたわけではない。江戸時代までの日本においては、長男に対してしかそういう教育はされなかった。次男三男は成人すると、長男の農奴として一生ヤれずに終わる運命にあった。羽振りのよい家の場合、次男以下にも長男教育を施し、他家に婿養子に送り込む、ということもしたが。

諸外国の場合も、程度の差こそあれこんな感じである。「父」というのは要するに、「一族という単位にまとめられた人間たちの生存に責任を持つもの」で、こうして生まれた「契約」「責任」という概念が、一族を超えて構成される社会集団を維持発展させるためのパーツとして積極的に使われるようになった、と思う。

このシステムの欠点は、「父」となる男子本人に選択権がない、という点と、「父」以外の性欲が基本的に抑圧されるようになってしまっている、というところにあった、と思われる。近代になってから、いろんな連中が前近代の家族制度は、女性を家事労働の奴隷の地位に貶めた、とかなんだとか言い始めたが、それは単なる付随物でしかなかったと思う。より重要なのは、「父」を「父」として繋ぎ止めるために、父の性欲を母のそれよりも優位に立つもの、と認定した点なのではないか、と考える。

ともあれこんな感じだったために、近代に入るといろんな人が、家族制度に対する不満をぶちまけ、破壊しようとするわけだが、それらはひとくくりにすると「もっと自由にヤらせろ!」という叫びにほかならなかったように思われる。フェミニズム運動というのは、前近代の家族制度の父と同様の性的自由を、女性にも与えよ、という運動であったのだと、ワタクシは思う。だってさあ、田○陽子センセイとか、完全に「家事労働の奴隷」の地位からは解放されてるじゃん。

ところが、前近代の「父」にだって、無条件無前提に性的な優越権が与えられていたわけではない。それは常に「一族の生存を保障する」という義務と一対になってたのだ。だけど、前近代的家族制度の見直しを迫る連中には、この「義務」の部分が見えてないのね。見えているけど見えないふりしてる可能性もないではないが。

てな感じで、女性の側にパートナー選択の自由、という権利を与えてしまうと、前近代・近代関係なしに社会というものは崩壊してしまう、とワタクシは思う。そうしちゃうと単なるオスを「父」に変えるためのエサがなくなり、「契約」が成立しなくなるし、すべての契約の無効化と共に、「責任」という概念も消滅しちゃうからだ。

そういうことを覚悟した上で、「われらに性欲の自由を」と喚くのならもうなにをかいわんや、であるが、実際そういう覚悟決めてる人っていないでしょ。社会の崩壊を恐れて、自らの性欲に一部制限を加えるか、それとも、崩壊後の新しい社会秩序(アマゾンの国みたいになるだろうね)の構築に対する責任を負うことと引き換えに自由を得るか。さあどっちにする?

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なぜネロはウケ、そして嫌われるか

まず第一に、ネロは生活者ではなく卵とはいえ芸術家であった、ということを問題にすべきだろう。ネロにとって生活すること、というのはルーベンスの絵を見るという大目的の前提条件に過ぎなかった。実際見たら満足して死んじゃってるしね。

生活することそのものが目的になってしまっている人、あるいはせざるを得ない人にとって、そういう生き方は羨望の対象であるとともに、憎悪の対象ともなる。

なぜ羨むか、というと、生活以外のことを目的にできる、ということは、生活については不自由を感じておらんのだろう、と思えてくるからだ。要するに、額に汗して必死こいて働くだけでおしまい、じゃなく、余裕があるんでしょ、ということだ。

しかし実際にはこういう生き方をしている人の大半はキリギリスであり、目前に「生きるために必要なもの」と「楽しいもの」とを並べられたら、迷わず「楽しいもの」の方を取っちゃうのである。これを見せられると、生活者は怒り、キリギリスに対して、生きることの重み、ということを味合せようとする。んで、キリギリスが生きることの重さに耐えることができなかったら、「それ見たことか」と嘲笑するのである。

…フランダースの犬って、こういう構図にぴったり当てはまるんだよなあ。

前にオタっていうのは、種族の生存よりも個体の快感を優先しちゃう種族だって書いたが、そういう意味ではネロ少年はオタ以外の何ものでもない。違っているのは、ネロにはアロアという情婦がいたが、大抵のオタにアロアはいない、ということだろう。

最後に一言付け加えておくが、ワタクシは自分がネロを嘲笑しようとする側の人間だということは自覚している。

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March 24, 2005

ネロ少年について語る

番組改変期になるとかならずしゃしゃり出てきてお茶の間の涙を誘いまくる老犬とそのおまけの少年について、オフィス内で熱く語り合ってしまった。

中心テーマは、ネロと絵。

ネロはずーっとルーベンスにあこがれていたのだが、最期のあの様子から見て、どうもその絵というのを見たのはあれが生涯最初だったらしい。

てことは、彼が愛していたのは絵そのものではなく、ルーベンスの名声だったということになる。ここでちょっとみんなネロを嫌いになれる。

次に問題となるのは、そのルーベンスの絵というのが、一般大衆の「美しさ」の基準から結構離れてしまっている、ということだ。

だって、わき腹ヤリで刺されて血まみれになった半裸の男を十字架からおろしている絵だぜ。これ、死ぬ前にいっぺんでいいから見てみたい、と思う絵か?しかもネロってまだ●●に毛も生えてないだろうガキだし。

というわけで、教会の奥に飾ってあったのは、実はルーベンスではなく田亀源五郎画伯の作品であった、という仮想戦記を現在脳内で執筆中。

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時を超えたツッコミ

嫁と子供がいなくなった(春休みになったので孫恋しくなった田舎のじいちゃんばあちゃんに拉致られた)ので、朝飯を外で喰うことになった。で、待ってる間の暇を潰すために、本棚にあった適当な本を持って家を出る。

上野の駅のそば屋に入って気づいたが、その本は「山海経」だった。

で、適当にページを開く。「第十八 海内経」。韓流なる人とも化け物ともつかない存在の記述が見つかる。

「韓流は--首が長くて謹耳(未詳)、人面で豕(いのこ)の喙(くちさき)、麟(きりん)の身で大きな股(もも)、豚の趾(あし)であった」

…顔とか体つきとかはどーでもいいんだが、足がブタ? それっていわゆる「チョッパリ」(半島の人が使う日本人に対する蔑称。足袋の足先から「ブタの足」てな意味だと言われる)ってことと違うか?

というわけで、二千年の時を超えて大昔の漢人から韓流に対して送られた、スケールのでっかいツッコミの紹介でありましたとだ。

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March 22, 2005

資本主義って…

仕事でゲーム(もちろんそーいうのだ)の攻略をやってて思った。

「考えてみりゃオタやってんのって、金かかるよなあ。」と。

エロゲというのは、何も考えてなくても「こ、これは」と思うようなインパクトをオタクの脳と股間に与えなければならない。要するに感性商売なわけだ。

が、そのオタの感性というのは天性のものではなく、幾多のオタアイテムを消費することによって養われてきたもんだったりする。オタの先端度というのは、消費したアイテム数に正比例する、とまあここでは言い切ってしまおう。それは、オタアイテムを供給する立場に立てばよくわかる。

なんせ、完全にオリジナルなもんが作れないっすからね。いや、能力の問題もあるんだけど、一番大きいのは市場の問題。広告宣伝に湯水のように金かけられないから、ユーザーが今まで全く知らなかったような新しいモノを世に問うことができないんですよ。んだから、既存のウケた作品の一部をちょちょいと引っ張ってきて作る、というパターンがもっぱらになってしまう。オリジナリティは、そうやってお客を引っ張って、逃げられないようにした段階で出す、という感じですな。

そういう感じで作品が作られているから、受け手の方も、似たようなテイストの作品に釣られて次から次へとゲームその他のオタアイテムを買い漁るようになる。結果、先に述べたように、消費したオタアイテムの量によって、そのオタの感性が先進的かどうかが決定されるように至る。

作り手の方はどうかというと、元はオタなんですが、作品づくりに集中していると、オタアイテム消費のための金・時間がなくなっちゃうんですよ。できるのは日曜の朝にプリキュア見るのがせいぜいで、DVDレコーダー数台を配置して、一週間の間に放送される全アニメを録画し制覇する、なんていう真似は逆立ちしてもできない。んだから、制作が終わったら、「オタアイテムを補給せねば」って、必死になって失われた時間を補完しようとするわけです。結構この作業辛いッスよ。

オタアイテム製造を商売にするようになると、「仕事」してる分だけ消費に回せないので、元がオタでも次第に偽オタになっちまいます。そうならずに、「絶対消費者」を続けてられる真のオタってのは、時間と金があり余ってるんと違うのかなあ、と思わざるを得ないですな。

…女くどいてホテルに引っ張り込む、というバブル期のイケメン(イマドキそんなもんの存在がリアルに記憶に残ってるオタなんざいねぇって)と、現在のネ申オタと、いったいどっちが「資本主義的存在」っすかね。ほとんど変わんないような気がするぞ。

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カウンタの回し方

昨日、ここのサイトのカウンタがこれまでにない形でぶん回った。

ナニが理由であるかはよくわかってるけ、つーか、呼ぶつもりでそういうキーワード埋めこんだんだが。

んでわかったことは、ネットの中の世界ってのは案外狭く、特定のジャンル決め打ちのキーワード埋めこめば、4桁ぐらいのアクセスは簡単に稼げる、ってことだった。

あと、ブログによってそういうキーワードが拡散する速度は、これまでと比べて格段に速くなってる、ということもわかった。上に書いた「特定のキーワード」さえ埋めこんでおきゃあ、デマ拡散装置としてすんごく役立ちますな。

ちなみに、実験に使った書き込みはすでに消しちゃったが、それは内容がデマであったためでもないしクレームが来たからでもない。

単に「伝説化」を狙っただけだ。

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March 21, 2005

もの書きの資質

もの書きで喰って行こう、などと考える人は、基本的に鼻っ柱の強いオナニストでございます。

まあ、それっくらいでないと人様に自分の作品を晒そう、などとは考えないのでしょうから、これはこれで仕方のない現実である、と認めるしかないでありましょう。

しかし、それらの方がみんな「書いて気持ちいい」文章だけを作っている場合、出版業というのは成り立たなくなるわけでございまして。やっぱり「もの書いて喰う」ということを前提にした場合、「読んで気持ちいい」文章にするのが基本ではなかろうか、と。

いえ、「書いて気持ちいい」文章を書くという行為を否定する気はございません。そういう方たちは、商売ではなく趣味としてお書きになればよろしいのです。安永航一郎さまが「恥とせんずりはなんぼかいてもタダじゃっ!」という名言を残しておられますが、同人文もまったく同様で、いくらかいても費用がかかることはございません。ただ、それでおあしを儲けることができないだけでございます。

てな感じで、まず最初に、「自分のためでなく、人のために文章を書けるか」てなとこが、単なるもの書きから商業文士に変身するための第一の壁になるでしょうな。

ま、「人のための文章」とはいえ、完全に万人むけのものにする必要はなく、ある程度「自分と似通った人間」だけをチョイスしてお客さんとすることは許されているし、そこらの絞り込みをきちんとやらんと出版社は潰れてしまう、とも言うことができます。

いずれにせよこの段階で、もの書き候補の鼻っ柱は一度粉砕されなければならないわけです。その過程で、「自分だけは特別」だという思いこみもボロボロにされ、「99%以上よくいるそこらの人間であった自分」というのを思い知らされるのだ、と申せましょう。

で、その事実を受け止めて、なおかつ最後の1%を効果的に使って独自なものを書ければ、使い物になるような気がいたします。

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