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April 28, 2005

負けることはキモチいい

自称負け組のオタどもは、大抵が何かと死ぬ気で競り合って勝負し、その結果負けたのではなく、最初っから勝負そのものを放棄して、自分を負け組の地位に落とし込んでいったように思われてならない。

負けると自動的に、周囲すべてに対して恨みごとを無制限に言い散らす特権を手に入れられるからね。

勝負に勝つためには、実力と実績と運と気力が必要になるけど、最初っから負け組になるのには、何の努力も必要ない。努力が要らず、なおかつ上記のような特権をころりと手に入れることができるのだから、こりゃあとてつもなくオイシイ話に思えますよ。

でも、負け組にも実は優劣があり、よりレベルの高い負け組は、「自分がいかにして悲劇的に勝負に負け、現在の不幸な境遇に陥ったか」ということを、とうとうと周囲に語る訳ですな。自分が必然的に敗れるためのルールというのを必死になって構想する、というその姿は、自分が必然的に勝つためのルールを作り、そのルールを実践できる場をこしらえることによって、戦う前に勝ちを収めていた宮本武蔵やアントニオ猪木、大山倍達のそれとかなりダブります。結論は完全に逆だけど、プロセスがかくも似ているために、教祖的オタは格闘技に走ろうとするのでしょうな。

んで、甘美な負けに酔いしれる、ということになるんですが、その向こうにあるのは、選択したのが「負け」である以上確実な破滅以外はないわけで。破滅の後に何か残るか、というと、たぶん何も残らない。三島由紀夫とか大槻ケンヂとかも見事にこのパターンに填まっているけど、彼らは完全な負け組コースを選択する前に実績残しちゃっているんで、破滅後も負け組になる前の遺産で何とか名前を保つことができる。

でも、実績残さずに最初っから負け組コースを選択した場合、

「残るのは汚れた下着が2~3枚でしょうね」(by金藤日陽)

なんだよね。徹底した負け犬となって、誰に対しても謝罪汁と賠償汁を分泌できるのは、すごくキモチいいんだけどね。

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金糸雀(かなりや)

こないだテレビで流しているのを聴いたんだが、西條八十作詞のこの曲って、実はニートの歌だなあ、としみじみ思った。

要するに、一般社会で才能を発揮することができなくなった「唄を忘れたかなりや」を、世間は後ろの山に棄てたり背戸の小薮に埋めたり、柳の鞭でぶったりしようとするのだが、それに対して「いえいえそれはなりませぬ」と制止して、これまでの実績に対して不似合いな厚遇をすると「忘れた唄をおもいだす」のだそうだ。

実際にそういう人が出てくるかどうかは、「唄」の価値次第だと思う。

言葉はきれいだし、そこから作られるイメージも悪くないので、いい詞だとは思うんですがね。これは尾崎豊の歌にも通じるところがある。

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April 25, 2005

ドラえもんの声優

なんか合わねえとかイメージ違うとか元に戻せとか言ってますが。

大山のぶ代の前のドラえもんの声を聞いた自分からすれば、どうってことねえっす。

あたしにとっては、チャーリーブラウンは谷啓であり、なべおさみではない。ましてやカートゥーンに出ていたガキんちょではない。

ムーミンはやっぱり岸田今日子である。

しかしそうこだわってはいても、目の前の現実は受け入れる。これがオトナというものである。

成長せよ、若人よ。

……実は何を主張したいんだかほぼ自分でもわからなくなっている。

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最後のNPBスター

これからのお話はほとんどフィクションであり、実在の団体・個人等には関係はないということを最初に申し述べておきます。

てなわけで、その昔「きよマララー」という名前の野球選手がおりました。

競技自体が滅びてしまって数百年経った現在では、すでに「野球」という語をどう読んでいいのかさえわからなくなっていますが、ここでは便宜的に「のたま」と呼ぶことにします。

野球は19世紀の終わり頃にアメリカから日本に伝えられ、独自の発展を遂げたようです。で、20世紀の中盤ぐらいにかなり隆盛したようなのですが、21世紀に入るあたりから急速に人気を失います。「きよマララー」が現役であったのは、どうやらその頃のようです。

さてその「きよマララー」、才能はあったようなのですが、努力という言葉を辞書に持たない生物だったようです。ですから、プロになってから数年経つと、もうロクな成績を残せないようになったのですが、競技そのものとは関係のないところで徹底的に運動し、自分を第一線の「人気選手」であり続けさせようとしたらしいのです。

21世紀のごくごく初期においては、「きよマララー」のこのやり方はファンから嫌われたのですが、彼はこのやり方を変えません。それで何とかなったのは、彼には、全体から見ればごく一部ですがコアなファンがついていたためです。

が、数年後、かつては全体の中で少数派だった「きよマララー」の支持者が、なぜか過半数を占めるようになります。しかも、全員が熱狂的に「きよマララー」を支持するようになってきたではありませんか。

しかしこれ、かつては「きよマララー」を嫌っていた、どちらかというと薄めの「野球」ファンが「きよマララー」ごと野球を見放してしまった結果でしかなかったのですね。結局、彼の引退とともに決定的に支持者層を失った野球は、この後急速に衰退し、滅亡することになります。

…自分を嫌うものを残らず粛正すると、確かに自分の派閥は多数派になりますが、その頃にはその集団全体がかなりお寒い状態になる、というのは、洋の東西を問わず、どこでも通用する話のように思われまする。

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