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May 13, 2005

少女監禁事件をネタにするぞ

綾瀬の事件のようなもんが発生すると、自称良識の味方がさんざん湧いて出て、犯人が持っていたエロゲとかそーいうのをネタにバッシングを始める。今回もまたそういう風むきになっているようだ。

だが、エロゲ好きが犯罪者になる、てのと、犯罪者がエロゲ好きであった、てのは完全に別の次元の話だ。

これがまかり通ると、「また小林姓の猟奇犯罪か。小林を狩れ」とか、「裕福な家の大事にされている息子を狩れ」という話になる。

で、その手の業界の一端に身を置くものとしては、そういう事件によってこちらの商売の邪魔をされてはたまらないので、逆襲させていただくことにする。

逆襲するとは言っても、とっつかまっている容疑者の所に行って相手を殴ったりするんじゃなく、もの書きらしい方法でやらせていただく。具体的に言うと、この事件をネタに小説の一本も書いてくれよう、ということなのである。

無論、この容疑者は悪役。いたいけな少女をとっ捕まえ、実際にあったような虐待を加えるわけね。そこらの描写は、誰もが嫌悪感を抱けるようにどぎつくやる。どんなにその手の陵辱系が好みの人間でも「こいつだけは許せない」と思えるように描く。

その一方で、現実には存在しなかった、捕まった少女ととある偶然で引き離されてしまった少年、というキャラクターを創造する。で、少女は再び少年に会うために逃げようとし、少年は少女を助けようとする。悪党に汚されてしまったため、自分に果たして少年の前に立つ資格があるのだろうか、と少女は悩むし、少年も悩むが、最後にそこらはうまく昇華させ、ぼろ服をまとった少女と教会の前で再会、ひしと抱き合う……てのはどうか。

んで、加害者の方はというと、最終的に自分のやったことの報いを受けて、人ではないものの手によって刑罰を受ける、と。その刑罰はってえと、やっぱり「宮刑」だろうなあ。

……実際にこれ作ったら、やっぱり自称良識人の方は、「青少年に害毒を流す本」とバッシングしてくるのかね。バッシングしてくれれば有名になりそうだから、やってもらいたいもんだが。

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昔書いた文章

ふとしたはずみから、よそのサイトに書いた昔の文章が出てきた。

●インド人
1979年以降の日本のアニメ界を読み解くのに不可欠の概念。最初に自作品にこれを出したのは、その後もインド人萌えの大家として名を馳せることになった富野由悠季。彼の解釈によればインド人とは「妻にして母にしてブチ殺して萌えるもの」であった。インド政府が聞いたら激怒しそうな解釈だが、これがどういう訳か日本のアニメオタクに受けまくり、その後次々とインド人を登場させた作品が制作されることになる。富野作品以外においては、自称宇宙発アトランティス経由エジプト出身(要するに出身地不明ということだな)のナディア(1990)とか、「百合の花嫁」こと姫宮アンシー(1997)とかがいる。しかし、ナディアには妻属性と母属性のいずれも(ついでに良識も)がなく、アンシーには母属性(と人格そのもの)がなかった。
「欠落」そのものはインド人キャラの一つの重要な要素(例えばララァ・スンにおいては、瞳とぱんつが欠如している)であるのだが、己の分身であるクワトロ様が涙を流していまわの際にその必要性を訴えた「妻」と「母」属性を落とすとは何事だと、他のお芸術監督のインド人造形に怒った本家インド人萌えの富野氏が放ったインド人キャラの決定版がシャクティ・カリン(1993)である。このキャラは、西楚の覇王に股間を撫でられかねないロリ世代の癖して、主人公ウッソ(=コ○ンのコスプレをしたカントク本人=クワトロ・バジーナ様)の堂々たる妻であり、なおかつこれでもかという程所帯くささを漂わせる母でもあった。結果的に富野カントクはシャクティを始末しそこねたが、わざわざ「フランダース」などという名前の犬を傍らに侍らせていたのだから初期の段階においては殺す気満々であったことは疑いない。哀れなのはシャクティを殺せずフラストレーションが溜まったカントクの気晴らしに皆殺しにされてしまったシュラク隊のおねーさま方であった。一方、シャクティを殺されずに済み、クワトロ・バジーナへの道を突き進まずに済んだウッソ少年は、インド人妻以外のすべてを失ったとはいえ「Vガン」のみならずすべての富野作品の登場人物の中で最も幸運な口であったと評すべきであろう。
とまあ、明らかにインド人というナショナリティを与えられているキャラでさえ、これだけの役割を日本アニメにおいて果たしてきたことはお分かりだろう。インド人そのものではないが、この他にもインド絡みのキャラクターは、セーラ・クルーとかクェス・パラヤとか数多く、インド人的キャラクターを抽出し、考察することが21世紀のオタク史研究において不可欠であると考える。

……今とあまり芸風が変わってないな。

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May 09, 2005

息子の息子の運命について

風呂の中でふと「ちゃんと剥けねえなあ」と思ったら、検診で「包茎の疑いあり」とか言われた。

その後、専門と称する医者の手によって強引に包皮が剥かれたのだが、今度は「尿道下裂なのではないか」だって。診せにいった某大学の付属病院では、数分で「しりつだ!」と医者が叫んだ、と嫁が報告してきた。この病気(というか先天的異常)になると、立っておしっこができなくなるし、将来的にはちゃんと嫁さん貰うことも難しくなるらしい。

それは大変だと思ったので、暴れる息子(次男)を押さえつけて、また包皮を剥いて調べてみた。たしかに、先端部分に尿道口予定地のようなくぼみはあるのだが、そこに穴は開いていない。よーく見ると、いわゆる「ネクタイの結び目」の奥(まだちょっと強情な皮があって完全に露出させることができない)に、穴が開いているみたいだ。

ネットで調べてみると、尿道下裂のひどいのは、ほとんど男性器か女性器かわかんない状態になってしまうみたいだ。ちんちんの皮が、陰核包皮状態になるため、常に下に向かって引っ張られる格好になり、ちゃんと勃起させられない、というのも、写真を見たらすぐわかった。確かにそうなれば、しりつは必要だろう。

が、次男の場合、そこまで行ってない。とりあえず、立っておしっこするのは可能だろうし、皮が下に引っ張られる状態にはほど遠いので、きちんと勃たせることも可能(つーか実験したが)だろう。比較的マジメに記事が書いてあるサイトには「あとは美容的見地から問題になるぐらいですかねえ」とあった。なるほどね。

てか、このあたりに関しては、「何が何でも切ってやる」という医者が比較的多いんでちょっと辟易する。たぶんこの医者も一種血に酔ってしまった切りたがりの可能性が高いので、とりあえず別の医者に「切る必要ありますか?」と聞いてみることにしよう。

なお、細かいところがどうなっているのかを確認するために、超接写マシーンCaplioG4 Wideで撮影した次男の局部写真があるのだが、公開すると逮捕されるかも知れないので載せません。

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May 08, 2005

ヘンゼルとグレーテル

グリム童話は案外萌えエロ話のネタにしやすいのでは、と思った。

グリム童話の特性として、「残酷性」があるというのはすでに指摘されているが、あれって極限状況に追い込まれた人間が見せる生への執着が根源となってると解釈できる。昔のドイツって貧しかったんだね。

で、生への執着が個体内で完結している場合は、「食欲」になるし、完結しない場合には「性欲」になる。これらがぶつかり遭うと、相当どろどろな争いのドラマが展開される、というわけ。

ヘンゼルとグレーテルは、まさにこのパターンの王道を行っている。

まず、主人公ヘンゼルとグレーテルは、決していい子ではない。というか、はっきり欲望の化身である。原作童話の方では、その欲望は個体の生存、つまり食欲方面に限定されているが、アレンジする場合、これに性欲も加えるべきだろう。形としては「お兄ちゃんと妹」の記号を利用できるので、読者にアピールしやすくなる。

つぎに、捨てる側の両親であるが、これについては、今の子供を育てるよりは、次の子供を作る行為しか頭にない、というキャラに作り変えてしまうといいと思う。子供を育てる、という行為はかなり長期におよぶ計画性がないとなしとげられないが、極限状態に至れば当然そういうことは考えられなくなるが、その一方で、子孫を残せ、という本能からの指令が強烈になるので、性衝動は強まる。こういう状況を下敷きにすれば、かなり話はリアルな形になるだろう。ちなみに、原作を元にしたオペラに「ヘンゼルとグレーテルは床にミルクをこぼしてしまったから、実母に追い出された」とあったことから、こうした展開を考えついた。

んで、魔女だけれど、これについてはヘンゼル・グレーテルの両親とは違い、あくまで娯楽として性行為を楽しんでいる人物、という感じに描写する。原作では外見はばばあだが、こっちでは当然若く美しくするわけだ。魔女は気まぐれで、迷い込んできたヘンゼルを誘惑する。欲望の化身であるヘンゼルは、食欲が満たされると、当然のように魔女の誘いに応じるようになる。魔女は最初それを喜ぶが、そのうち単調なヘンゼルとの行為に満足しきれなくなり、グレーテルも混ぜて、とことん趣味に走ろうとする。で、最後には趣味的な性交ということの意味がわからないケダモノ二人に、責め殺されてしまう、と。まあ、人生すなわち趣味の実現でしかない魔女は、責め殺される、ということに果てしない陶酔感を味わうことになるので、本人にとってはこれはハッピーエンドになるだろうなあ、と思うのだが。

というわけで、結構面白そうな骨ができた。後はこれを、「ヘンゼルとグレーテル」という皮を被せたまま練り上げるか、それとも元ネタを隠して作り直すかですな。

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