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December 14, 2005

手塚の祝福高橋の呪い

なんかどっかのページで「海外にオタ文化は通じるか」とか、というアンケートがやられてるのを見た。

この問い対し、ワタクシが思うのは「基本的に通じる、が、条件はある」というものである。

日本のオタ文化が発生してからかれこれ最低でも四半世紀、この間に少年期を過ごしたものは程度の差こそあれ「人物」というものを、「目・口・鼻といったパーツが徹底的にデフォルメ化されたアニメ絵」として認識するようにのうみそが初期化されてしまっていると考える。低年齢のうちにこの初期化の処理を受けてしまったものは、長じて絵を描くと自然とアニメ絵になる。初期化が遅れたものたちは、平均的にアニメ絵を描くための技術が、それより若い世代より劣る。中には、どんなに努力してもその手の絵を描けないしものがいる。さらに年齢が上がると、「アニメ絵」そのものを「気味の悪いもの」としか認識できないようにすらなる。

数年前まで、「アニメ絵」の描画というのは日本の独占技術で、外国人はどんなに頑張ってもワンダーウーマンみたいな「ラムちゃん」しか描けなかったのだが、今では韓国・台湾の特定年齢層より下の人たちが、日本人に勝るとも劣らないぐらい見事なアニメ絵を描く。彼らは幼少時に、日本人の大多数が受けたのと同じのうみその初期化処理を受けているからだ。

ワタクシはこれを勝手に「手塚の祝福」と名づけることにした。

ワタクシがさらに勝手に思うに、この祝福の主であった手塚治虫大先生は、大いなる父性、というか心の底から「男性」であり、氏の描くところの「ぽわぽわとした柔らかく小さいもの」というのは、守護の対象であると同時に、性欲・食欲という二大衝動のはけ口でもあった。手塚作品を素直に読むと、そういうメッセージばかりが満ちあふれていることがわかる。予想以上に、「愛玩の対象だったものが破滅して(典型的なパターンが「喰われて」)終わり」という話は多いのだ。

戦後の一時期においては、この手の思想は危険な要素を多分に孕んでいたが、今ではこうした思想に基づいて行動する人が相対的に減少したため、かえって貴重なものとなりつつある。上でアニメ絵(実は手塚絵)への初期化処理のことをあえて「祝福」と呼んだのはそのためだ。

「手塚の祝福」は、かなり普遍的な父性原理であるため、他の国でも、というか、オスであれば共感することができる。女性であっても、客観的に父性原理がどういうものであるか、ということを観察できれば理解可能だろう。

ところが日本のオタクの大部分というのは、「手塚の祝福」の後に、もう一つの初期化処理を受けているのではないか、とワタクシはさらに考える。それが「高橋の呪い」だ。

これは端的に言ってしまうと、あまりにも男性的過ぎる「手塚の祝福」に対する反動みたいなもんで、端的に言えば徹底した女性崇拝なんではなかろうか、と思う。

基本的にはこちら側の初期化を受けたものは、「手塚の祝福」が本来持っている攻撃性を、根こそぎ引き抜かれてしまう。「手塚の祝福」により「価値あるもの」とされた「ぽわぽわとした柔らかく小さいもの」の安全は、徹底的に保証されてしまう。

で、これが「父性」に対する「母性」であれば、優勢になったとしてもいつかはその反動を受け入れ、バランスを取れるようになるのだが、どうやらこいつの正体は「女性」ではあるが「母性」ではないようなのだ。根源にあるのは、男性的な力・変革というのを「受け止めよう」とする姿勢ではなく、「否定しよう」とする態度である。要するに去勢への圧力なのだ。

これは普遍的ではない。

というわけで、こっちの方の要素は理解されることはない、と思うのだ。その予測の結果がどうであるかは、ある意味ハリウッド版「エヴァンゲリオン」が日本の観衆にどのように評価されるかによって決まってくる、と思う。

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