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February 26, 2005

ナニィはポストメイドさんになり得るか

というわけで娘の踊る「メリーポピンズ」を見て鬼畜親父は考えた。

「ナニィを使って萌えエロ小説は書けんものか?」

ナニィもメイド同様、貴族の家に仕えるものである。メイドとは微妙に違うが、制服のようなものも着る。
しかも子供が成長してくると、家庭教師として「青い体験」みたいな状況に引きずり込むことも可能である。さらには、慈善事業だなんだと忙しい奥方の代わりに旦那様と…というシチュエーションも考えられる。

元々が「乳母」だから、最近続々と帰依者が続出しているという母乳フェチ系のネタ(ちなみにうちにはまだ乳の出る嫁が一人いるが、授乳シーンというのはあまり萌えられるものではないと思う)に引っ張ることも可能だ。

案外、メリーポピンズとサウンド・オブ・ミュージックでナニィと家庭教師を演じたジュリー・アンドリュースって、新時代の萌え原型キャラにできるんと違うだろうか。

最大の問題は、ナニィにしろ家庭教師にしろ、前提となるのは「子持ちの貴族な男がいる」ってこと。オタは気持ち的には一方的に貴族になってしまっているのでこちらについては問題ないが「子持ち」てのがネックになるなあ。

もう少し考えて見よう。

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次男当確

娘が幼稚園でお遊戯会(メリーポピンズだって!)だというので、長男大福丸と次男とを連れて見に行った。

この寒空に、幼稚園の門前では先生方が総出で出むかえてくれたのだが、その先生方、次男がちょこちょこ歩いていくのをみると、「きゃー、ヒデくんかわいー」と一斉に黄色い声を出し始めたのだ。

幼稚園の先生というのは、なんだかんだ言いながら「かわいいものが好き」だからその道に進んだものらしい。しぐさも言動もかわいくねーガキの相手ばかりしていると、そっち方面には不感症になるが、それでもやっぱり「かわいい子」を見ると一般人以上に反応してしまうらしい。確かにうちの次男は顔だけは男前である。中身は怪獣(嫁・談)だが。

というわけで、次男は今日の時点で幼稚園の入園審査に通ってしまったような気がする。恐らく上層部が次男の入園を不許可にしようとすると、現場の先生たちが暴動を起こすだろう。

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February 25, 2005

オタと腐女子が嫌われる理由

本人たちは「えっ?」と驚くかも知れないが、彼ら彼女らが「貴族である」ということが、嫌われる理由の本質であると思う。

大部分の人類、というか圧倒的多数の動物は、個体および種の保存のための努力のみでもって、その生涯のほとんどの時間を浪費してしまう。これらの生涯の目的というのは、ずばり、「生存」に集約されちゃうわけですな。

が、オタや腐女子の場合、その生涯の目的というのは決して個体の生存ではなく(種の生存、という概念はもうどっかに吹き飛んでいる)、個体の快感の充足だったりするわけだ。何でそうなるのかというと、少なくとも個体の生存の方は、ほとんど保証されてしまって特に悩む必要がなくなっているためだ。

しかしそれって社会全体からすれば、誰かが生存のために努力した成果を隣からタダ取りしているから、そうなっているようにしか見えない。だもんで、一般社会は彼らの種の生存への不関与を理由に彼ら彼女らを弾圧するのである。個体の快感を優先している癖に、人類に与えられた最大の快楽である性交時の快感に無知であるとは片腹痛い、というのは、弾圧の際の一つのキーワードになっている。

が、貴族が一方的に人民から収奪しまくっていた、とするのはほとんどマル経またはその影響下にある史学者の脳内妄想であり、現実には李朝のような少数の例外を除けば支配-非支配の関係は程度の差こそあれ双務的なものであった。支配の代償として保護が与えられたり、支配者の側が契約を守らなかった場合にはこれを排除する権利などが与えられていたという例は山ほどある。この双務的な関係がほどよく保たれている場合には、支配者と非支配者との関係は比較的良好なものとなる。これの典型例は、流通経済が発展する以前の日本の中世とかだろう。

ということは、オタおよび腐女子(定義としては種の生存よりも、個体の快感を優先する種族、としておこう)と、生存を優先する種族との間に双務的な関係が築かれれば、この「階級闘争」は収束の方向に向かうのではないか、と考えられる。要するに、オタテイスト・腐女子テイストがほどよく混じったコンテンツを積極的に造り、一般人も楽しませいや、ということになるのだと思う。

ただこの場合、自分たちだけが楽しめるもんにしちゃうと引かれて逆効果になるから気をつけろ、とも言える。

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February 24, 2005

都知事、勝つ

石原閣下が老女を「ババァ」と罵倒した意見を引用したら、名誉毀損で訴えられたそうで。

で、その裁判の一審判決が出たんですが、原告敗訴。

…ババァ、と一回言っただけで裁判起こされるんなら、毒蝮三太夫は絞首刑ですがな。

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痛い話

うちの次男は包茎である。まあまだ1歳3ヶ月なのだから当たり前だ。

だがこのチビの場合、包皮が中身と癒着しており、このままでは嫁さんの貰えない身体になる可能性が高い。で、嫁がなんかそれっぽい大病院に行って医者に見せたんだそうだ。

で、その医者、次男のナニをじーっと見て、状況を確認した後に、力の限り包皮部分を掴んで根元の方に引っ張ったのだそうだ。その瞬間「ばきっ」っというかなり大きな音が聞こえた、と嫁は証言している。

実はこれまで、次男と風呂に入った後に、軟膏塗りながらゆっくりゆっくり癒着を剥がしていこうと努力していた(ガキの癖して生意気にその部分を変形させやがるから結構大変だった)のだが、数ヶ月にわたる父の努力をあざ笑うかのように、その医者は一気に力ですべてを決してしまった、という。

強引に癒着を剥がされてしまい、生まれて一度も外気にさらしたことのない場所をひん剥かれてしまった次男は、しばらくすると我に返って凄まじい声で泣き始めたそうだ。だがそれも、痛みの故ではなく、どっちかというと受けた屈辱に対して抗議するような感じの泣き声だったらしい。

「まだ尿道口の部分に多少気になるところがあるから、また来い」と言われたが、次男のこの受難、果たしてどこまで続くのだろうか。

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薔薇族復刊記念

あたしゃホモではないのだが、最近のオタの好みが「男の子だっていーじゃん」な方向に向かいつつあるというのは認識している。という訳でお宝が出るのならば、その手の趣味がなくても掘ってみたくなるというのが職業文士というもんである。

なんで男なのか、というと、あまりに使用頻度が低かったために、自分の股間にぶらさがっているモノの正しい使い方を忘れてしまったからではないか?と考えた。要するにどんな美少女を剥いていろいろいじらせてみても、相手の快感に共感できなくなってしまっているのだ。理解できるのはもはや自分と同種のものの快感のみ、ということらしい。まあ責める気はないが、成り成りて成り余れるものは、成り成りて成り足らざるものに突っ込むのが正しい使い方というもんだぞ。

さて、かようにして求められるに至った対象というのは、確かに外見においては男の子だが、その内面は女の子である。ある種類の男性にとって、恐怖の象徴(かつては羨望の対象でもあったが)である乳房というものを取り去り(いわゆる「つるぺた」状態)、さらに「将来にわたっても乳房が成熟してくることはない、という誓約の印」を股間にぶら下げただけなのだ。結果的にこの「誓約の印」は、オタ男性の同様の器官より未成熟で小さいため、何かというと他人の同種の器官と自分のそれとを比較し、勝手に鬱になるオタのコンプレックスを解消する役割も果たしている。

要するに「恐怖の象徴抜き」「さらにそれに対する安全保障」「ついでに快感の共有が可能」という属性のついた女性としての「男の子」なわけだ。

そういうのを相手に繰り広げる「絡み」だが、巷に溢れているホモセクシュアル系のメディアにある「ウホッ」なものにはなり得ない。「ウホッ」な行為に持ち込むと、相手の「男」を強調する結果となってしまい、読者としてのオタの気分は急速に萎えていく。重要なのは「快感の共有」であって、成り余れるものを成り足らざるものに合わせることでない。せーぜー咥えてもらうぐらいと違うんか?

ということを考えてたら、なんか面白くなった。その向こうに銭の華が咲くかも知れないと思えばなおさらである(逆にいうと、それがないと見向きもしなかったはずだが)。

企画をまとめてどっか売り込む先を探してみよう。

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February 23, 2005

オタの革命は成就するか?

結論は、「絶対しねえ」。聞くも愚かだがその愚かなことを実地に検証してみよう、というのが今回の趣旨。

まあまずオタの革命の第一段階は、自業自得でモテなくなった連中(本人たちは「宿命によって」と思いこんでいるから始末が悪い)が、革命の前衛としての党を結成するところから始まる。

んで次に、アジる。アジりまくる。この点についてはオタは非常に長じている。アジりまくることにより、「前衛」の部分はかなり肥大化してくる。この過程で彼らは、カリスマの権威を決定づけるための綱領なんぞを制定したりする。既存の文書を聖典認定する場合もある。

次の段階では、時事的問題に関してさまざまな形でコメントするようになり、社会に対して一定の影響力を確保しようとする。マルクスとエンゲルスにおける「ライン新聞」みたいなもんね。

さらに次の段階では、彼らとは全然別のところで進行していた社会的矛盾(これは彼らの研究テーマではあるんだけど)が爆発する形で発生した暴動に乗じ、暴徒を組織化して権力を奪取する、という感じに進む。

レーニンはこうやってプロレタリア独裁(自称)の体制を確立したのだが、オタにこの真似が可能か?答えは否である。なんとなれば、オタとは関係のないところで進行している、オタの研究テーマに即した社会的矛盾というのがそもそも存在しないからだ。職業オタ革命家とは関係のない一般の非モテ男が、モテ男に対して「我々にも女をよこせ」と一斉蜂起する可能性はまずない。少々の度胸と金を持っているヤツは風俗に行ってハイ終わりであるし、客観的に自分が見られるものは、市場における自分自身の商品価値を高めるために、外見・内面を発展させようと努力するからだ。

資本家と労働者の関係の場合、資本家が生産手段を独占することにより、労働者との間に「越えられない壁」を作っている(19世紀の話)のだが、モテ男と非モテ男の場合、モテ男のみがちんこを持っているわけじゃないからねえ。どんなに前衛がワメこうが、「越えられない壁」を一般非モテ男が明確に認識することは困難で、なおかつ一方でその壁が存在しない、あなたもモテ男になれるんだ、という場合によっては幻想になり得る情報を吹き込むやから(わしじゃ)がいるので、壁は実在はますます疑わしいものになる。

で、こっからがさらに重要なのは、非モテ男(自称)の前衛の言うことに耳を傾け、そのもとに結集しようと思う連中は、やっぱり非モテ男だということだ。これでは権力によってすべての構成員の性的価値をゼロ認定し、強制的に再配分することは不可能になる。使用頻度の低い男性器なら山ほど集まるが、その需要を満たすだけの女性器が集まらないのである。

結局そこに成立するのは、カリスマが自分とルサンチマンを共有する輩に対し、その立場を正当化するための商品を売る小さな市場に過ぎない。しかし、多くの革命的前衛組織で見られたように、この手の組織においては、カリスマの座を狙って苛烈な権力闘争が展開され、カリスマは常にその首を狙われるようになる。これを防止するには、革命を成就させ、権力を握って次期カリスマ候補を残らず粛正するしか手がない。権力の奪取が不可能である場合、組織が先鋭的であればあるほど内ゲバをエスカレートさせ、ついには「あさま山荘」的な事件を引起こして壊滅するにいたる、と考えられる。

結論。まだカルト宗教の方が成功の可能性はある。カルトなら女性信者獲得できるからね。

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February 22, 2005

オタの共産革命に思う・その2

オリジナルの共産主義思想が破綻したのは、かなりイカれてはいたけれど頭脳明晰であったマルクスというおっちゃんが、自分を規準にして人間の価値を測ってしまったからだ、と思う。「資本論」において、1エレの布の価値はあーだとかこーだとかちまちまやっていたパラノイアにしては呆れる程の杜撰さだが、結果的にそう見える。

肉体的な能力において、マルクス並みの労働者は山ほどいる、というか、ほとんどがマルクス以上であったように思われる。だが、知識・教養・社会認識に至るまで彼と同質の労働者なんざいるはずがない。んだもんで、後の共産主義革命は、擬似マルクスたる共産党という組織をでっちあげ、プロレタリア独裁とゆーのを強調するに至った、という感じ。

労働者は元々持ってるマルクス以上の肉体に、マルクス並の頭脳が伴うまで、共産党によって「等しく無価値」と決めつけられる。だが、マルクス並にならないものについては、それなりの保護を約束する。で、「頭脳がマルクス並になったら自由にしてやるよ」と、ばら色の未来についての約束をするわけだ。

しかし、この約束は守られない。というか人間の寿命に限界があり、能力の半分弱ぐらいまでが遺伝的要素によって決まってしまうということ、さらにそれなりに基礎のしっかりした教育を受け、独自の倫理観を醸成しない限り、人間の内面的成長はいとも簡単に止まってしまう、という事実を考慮すると、守りようがないのである。こういう約束を導いてしまった原因が、マルクスが能天気であったためか、それとも天性の詐欺師であったためかはわからない。個人的にはたぶん前者じゃないかと思う。「マルクスの後継者(自称)」は残らず後者だが。

ともあれ、そういう守れない約束を基礎に「理想郷を準備する組織」を作ろうとした結果、ナニが現れるかというと、自称弱者による恐怖の逆差別体制ができあがるだけだったりする。構造的には、カルト教団に極めて近いものとなる。

オタクコミュニズム(以降、勝手にオタコミと略す)にこれをあてはめてみよう。ある日突然、オタク界のカリスマ(眼鏡をかけたマルクスを想像しよう)が出現し、男女の性価値を等しく無価値と決めつけ、自律的な市場を権力をもって停止する。しかる後に、市場全体をその手に握ってしまい、計画経済の名のもとに、再分配(自称)を試みる。だが、結果的に無価値の再分配にしか過ぎないため、需給バランスは常に実態と合わないものとなる。その誤差を埋めようとカリスマが介入するので、とどのつまりは、カリスマが独占するものの余得を、カリスマにおもねるものだけが得る、という構図ができあがってしまう。

まあ、そういう感じで見ると、北朝鮮の体制というのは共産主義の骨格を実に忠実に発展というか、暴走させたものだとも言えるし、男女の性的価値の再分配にまでマルクス主義を拡大したという点においては、将軍様は偉大であったのかも知れない。ただし、そういう「偉大な」将軍様が現在世界各国から痴呆呼ばわりされているのも、また否定のしようのない事実であろう。

…という感じで、結構面白くなってきたので、まだしばらくオタコミ考察ごっこを引っ張る所存。

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February 21, 2005

オタによる共産主義革命に思う

ふとしたきっかけで、モテないと思い込んでいる連中の心理について考えてみた。

ちなみにワタクシは、補正なしの状態でのナンパの成功率は、野球の打率みたいなもんだと思ってる。イチローみたいな天才でも4割にはなかなか届かないが、その一方でレギュラーを維持できているのなら、なんぼなんでも2割前後ぐらいは当たる。つまり、俳優並みの美男子がイチローで、金なし地位なし顔もダメな男でも、不振のキャッチャーぐらいに相当すると考えているのだ。だが、実際にはさまざまな補正が入るため、モテるヤツの打率は9割ぐらいにまで跳ね上がるし、モテないヤツは永遠にヒットなしの状態に陥る。なんでそうなるのか。打席で目ぇつぶるようなマネをしくさるからだ。

「目ぇつぶるようなマネ」というのは、目前の異性を見ず、自分も見ない、ということを意味する。いや、異性に対しては、主として外観でその価値がなんぼぐらいかと値踏みをするのだが、自分自身が同じ理屈で値踏みされるのを極端にイヤがるのだ。半端な値段つけられるぐらいなら、タダと言われた方がいい、と思い込んでしまっている。

そりゃオタの値段は安いですよ。でも、タダってこたあない。市場全体から見て適正と思われるレベルまで価格を下げれば、売れますよ。んで、人間のいいところは、売り買いされた時点での価格が最終的な価値にならない、というあたりにある。特に知識と経験を売りにする人間の場合、年喰った方が価値が高くなることが往々にしてある。それまで価値が下落しつづけていたものが、40過ぎてから急反発する、ということはほとんどないのだが、20代30代微増だったものの上昇率が40過ぎてから跳ね上がる、ということはある。

そういう現実を見ようとしない連中は、市場でやり取りされるものの価値を等しくゼロにしようと、共産革命を夢見るようになるんだが、アレをやった後の社会がうまく機能しない、ということは、21世紀においてはもはや常識である。オタの共産主義革命が成功することは絶対にないとはわかりきっているのだが、それでも間近いところでアジ演説やられるとうっさいので、万一そういうのが近づいてきたら力の限りぶん殴ってやろうかと思う。

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ちゅどーんの謎

見つからなかったのでミクシィで「できんボーイ」に関するコミュニティを立ち上げたみた。

が、作ってから丸一昼夜、後で泣く赤鬼のようにそわそわしながら覗いてみても、誰もやってこない。

鴨川・江口・田村と並び称された70年代を代表するギャグ作家の代表作なのにー。「ちゅどーん」を生み出した画期的な作品なのにー。

やっぱこれまでなかったのには、それなりの理由があった、ということなのだろうか。

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微妙にあせる

ひょんなことから不惑を越してエロゲのレビューの仕事なんぞやるハメになった。

んで、土曜の深夜に家族が寝静まってからやってたのだが、ちと衝撃を受けてしまった。

ナニに驚いたかというと、お話のテーマが「自分探し」であって、そこで強引にストーリーを展開させ、かつ終えてしまっている、という点にである。つまり、主人公が主人公以外の人間をそれとして認識できるようになっておしまい、という形だったのだ。この話のパターンそのものは、「エヴァ」以後ぽこぽこ出現してきていたので別に珍しいとは思ってなかったが、あれから10年も経ったので、そろそろ飽きられ、「次のパターン」が模索されるようになってきてる、と考えていたのだ。だが、どうもエロゲ作家のアタマの中では、依然「自分探し」は巨大なテーマであり続けているらしい。

ワタクシにとって、主人公が「自分は何者であるか」と悩むことはさほど大きな問題ではなかった。何者であっても、他者との付き合いの中で持てる才能を最大限発揮するような形に追い込んで話を作っていく、という手法をとっていたからだ。が、あくまで自分探しをし続ける話が想定読者層においてデフォルトであるなら、ワタクシの作った話は理解不可能なものになってしまう。理解されなんだら売れはせんがな。

というわけで、某司法試験浪人の手を借りながら、「自分探し」を部分的に取り込んでプロットの原型を作ってみた。が、ワタクシのやることである。探していた自分が見つかってめでたしめでたし、となる話なぞ作るはずもない。作るのは、自分が見えてない状態で、浮世から何らかのサービス(エロ小説なんだから、美少女たちによる特殊な接待、ということになるわな)を受けてしまい、気持ちいいんでへらへらしてたら、ある日突然請求書を突きつけられた、という感じの話だ。ちなみに請求書には「あなたの命貰い受けます」と書いてある。自分自身の動的な価値というのを見出せていないんだから、命貰うしかない、という理屈だ。

結末はまだ見えてないけど、それでも自分探しにこだわるのならウルトラバッドエンド、探すのをやめて行動すればグッドエンド、ということになるだろう。ゲームだったら両方描けるんだが、小説の結末はひとつしかないので、さてどうしようか。

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February 20, 2005

教育の再生

テレビ見てたら、荒廃した教育をどう再生するか、ということについて討論してた。

ポイントは、教員採用試験を通過してきた能力があるはずの人たちのやる気をいかにして喚起するか、ということになってがが、これはとんでもない間違いだと思う。

だって教員採用試験って能力で取ってるわけじゃないもん。地方の場合、あれはしかるべき文教族の県議会議員に付け届けをして通過させていただくもんだ。

その番組では、「90年代から教員の質の低下問題が起こって…」とか言ってたが、それも当然である。かつては「付け届け枠」以外に「実力枠」と呼べるものがある程度あったのだが、90年代以降、将来の少子化に備えるため採用数を減らしたから、「実力枠」が消滅してほぼ「付け届け枠」のみになってしまったからだ。

とりあえず教育の再生のために必要なのは、地方議会の議員と付け届けの仲介していた校長・教頭を1000人ほど逮捕することだと思うが、どうよ?

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