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February 28, 2006

萌えとエロと犯罪と

「幼児強姦被害数とエロゲーの歴史」という図を見た。

http://www10.plala.or.jp/MOKUBAZA/eroge.gif

この図を作った人は、あくまでエロゲとの関連で分析しているけど、これ、別の方向からのツッコミもできるなあ。

ワタクシがどう思ったかというと

吾妻ひでお作品などによって美少女マンガブームが起こった頃から急速に減り始め、児ポ法が施行されたら増えた」ということ。

結論「防波堤って大切だ」。

だいたいにおいてオタの精液なんざ日本の石油みたいに枯渇が心配される貴重な資源なんだから、エロくてなおかつ萌えられる作品が出てくると、それによって搾りつくされて、犯罪に使う分なぞ残らなくなるんだろうな。一般的傾向としては。

ちなみにワタクシはその貴重な精液をフィギュアにぶっかけさせたりして浪費するんではなく、「父」への道に向かうようにと滾らせようと文章書いてるつもり。

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現代の僧侶階層としてのオタク

まあ例によって漠然と思ったのだけれど、一部のオタクは「僧侶化」してるんじゃねえか、と。

僧侶っつーと、正常な現代人の脳裏に描かれるのは、伝統的なもんだと「葬式屋」であり、新しいものだと「詐欺師」とほぼ同じイメージなんで、はなはだ印象が良くない。

が、おおもとの意味を辿っていくと、社会の枠外にあって(出家)、一定の教養を保持し、社会内部のためにもなる理念を追求し、それを伝えるもの、というのが僧侶の本質なんだろうと思う。ここらが忘れられて悪徳の部分だけが印象に残るようになったのは、「出家」という言葉を成り立たせている「家」そのものが崩壊しているからだろう。

なるほど。そうすると電波男の言説なんざ、「オタクの僧侶」として実に正しい方向を向いている、ということになるわけだ。と、一人勝手に納得。

でまあ、僧侶、つまり出家となるからには、やっぱ守って欲しいことがいくつかあるわけで、これを守らないと、出家は出家としての威厳を保つことができず、いわゆる「売僧」ということになるのですが。

それは何かっつーと、在家と一定の距離を保ち、過度の干渉をしないことと、在家にとっても利益となる知識の追求をしっかりやっていただきたい、ということですな。陰でホモに走ってても文句言わないから。

これだと、一般衆生つーか、在家の人からたまに「教えてエロい人」と慕われるようになると思うのですが。

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February 27, 2006

コンドームが生んだ「オタクの敵」

昨日書いた乱暴な理屈では、人間のオスというのは、単純に性欲のみに突き動かされている生物となる。
だもんで、それに対応する「メス」というのも、やっぱり性欲のみに突き動かされている生物だ、と定義せざるを得まい。

が、自然状態においては、やっちゃうと一定の確率でご懐妊してしまうのである。仔を孕み出産してしまうと、その個体は否応なしに「母」となってしまい、半ばは自分の内部にROMとして埋めこまれたプログラム、また残りは社会一般が「母たるものかくあるべし」と定めたルールに従って活動するようになる。その時点において、彼女の行動の大部分を規定するのは「性欲」ではなくなる。

「オス」同様に性欲のみを行動原理とするためには、やっても孕まない仕組みが必要になるわけっすね。

で、近代において避妊具なるものが開発され、女性は「孕むために交わる」のではなく、純粋に楽しみのためだけに交わる、ということが可能になった。失敗して孕んじゃうのもいっぱいいるけど。

要するにナニが言いたいのかというと、人類誕生の時点で存在した種族は「オス」と「母」だけであり、歴史時代に入るあたりから「父」が生まれ、それよりもずっとずっと後の近代になってから「メス」という種族が生まれたのだ、ということなのだ。

性欲だけを至上の価値とする人類の♀が存在したからといって、それを道義的に非難するつもりなんぞはワタクシにはない。ただ、それを貫徹するために必要な社会的インフラが整ってないので、そこらを個人の努力で埋めていかないと、あとで破局が来るよ、ということは言いたい。で、その社会的インフラっつーのがいわゆる「共産主義社会」だったわけなんだけど、これが実現する可能性は、現在ではほぼゼロですから。

ある意味「キモオタ」ってのは、人類のメスという近代になってから生まれた不安定な種族の犠牲者なんだろうな、とは思う。てか、実際彼らは自分たちでそう言い張ってたか。が、彼らがあくまで、自分たちの居場所を人類のメスの対極の位置におこうとするのなら、彼らが最終的に到達するのは人類のメス同様やっぱり破滅でしかない。途中で使用した阿片がどんなに効き目抜群のものであったとしても。

つーわけで、キモオタの皆さんに、キモオタというラベルに固執するのではなく、微妙に立ち位置の近い「父」へとシフトし、より効率的に、充実した生活を送るようにしようよ、というのが、ここ数回にわたって書きなぐってきた駄文の仮の結論だったりする。

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February 26, 2006

というわけで萌えオタと父性についての話の続き

前の書込みでオスとかメスとか父とか母とか書いたから、そこらをまとめてみる。

ワタクシの理解する範囲内では、オスってのの生涯の目的は、「種族繁栄」であり、要するに自分のタネをあっちこっちに巻き散らかすことである。行為が済んだ後、タネを植えつけられたメスおよびその結果生まれる仔がどうなろうとオスにとっては知ったことではない。というか、行為が終わった後、自らの生命の存続すらどうだってよくなるのがオスの本質なんだろうと思う。

とまあ、自然の状態でこういう感じであると、タネを植えつけられる方(=母)は仔育てのリスクをすべて負ってしまうことになり、はなはだ都合がよろしくなくなる。んで、行為が終わってしまった後も、何とかしてオスを側に置いておき、仔および自分の面倒を見させようとする。最初の時点においては、仔を産んだ後、再度の性交渉を保証することにより、「ヤること」だけが目的のオスがどっかに行っちゃうのを引き止めたんだろうと、まあこう考えている。

その後、オスを手元に置いておくためにさまざまな理由が考え出され、ルールとして定められるようになる。このルールを承認し、積極的に遵守すべく契約を結んだオスが「父」となる。ワタクシの定義では、単にメスを孕ませただけじゃダメなのだ。オスは完全に生物学的なレベルで語れる存在、母は半分生物学的レベル、もう半分は社会学的なレベルで説明しなきゃならない存在で、父は純粋に社会的な存在である、とみなす。だからといって「父」が無条件に「母」より偉いなんつー、フェミの仮想敵(たぶん実在しない)が言う論などを主張する気はない。現象としてそうなっている、ということを指摘しているだけだ。

ここで言っている「父」に生物学的な実体はない。だから容易に第二現実内部でリアルなものとしやすい。で、リアルなものとしても破綻させにくい。つか、第二現実内部でリアルな「他人との絆」を求めていっちゃうと、結果的にそれは「父」が他の家族に対して取り結ぶものとよく似たものになっちゃう、というのが、最初の話の概略だったりする。

で、その萌えオタの人が完全に「父」になることができるのかっつーと、ある条件さえクリアすればOK、ということになると思う。その条件というのは、「父」を「父」たらしめている各種のルールを承認し、それに従うかね?ということだ。

古い日本の伝統社会の場合、この「ルール」は非常に量が多く、身体に叩き込むにはかなり長い時間を必要とする。すでに30を超えた人たちが主流となっている「父になりたいオタク」に対し、これをゼロから学習させるのはとてつもなく困難なことだ。だいたい、教師役になる者が死滅しつつあるので、教わりたくても教われない。

しかし重要なのは、何らかのルールを作り、それを受け入れることであって、それが古い日本の伝統に則したものである必要はない。そのルールによって「お前は父親なのだ」という形で、社会的な存在として認めて貰うことが第一目的なんである。少なくとも、そっちの方が「キモオタ」などという自虐的な看板を掲げるよりずっとマシだろう。

ただ、萌えるオタクの生活から自然発生的に「父になるためのルール」を作り上げるには、最低でも数十年はかかるだろうとは思う。

というわけで、次は今回わざと残した「メス」について適当なことを言う所存。

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February 25, 2006

キモがってもらいたいオタクが案外多い件について

前回の書込みは、検索エンジンにひっかかるような単語を結構含んでいたせいで短時間のうちにあっちこっちに広まったみたいだった。で、短い感想とかも履歴辿って拾ってくることができた。

んで、基本的に前回のは、ワタクシが「オタク=キモイ」という定説(?)を政治的に破壊しようとしてぶち上げた話(つまり、アジ演説)であり、そういう意味ではオタクを救済するための文章だと言えるんだけど、これに対して批判的なコメントを付ける人が結構いた、ということにちょい驚いた。

つまるところ、オタクをキモイままにしておきたい、と考える人(無論ワタクシの文章に反応するのだからオタクである可能性が高い。類は友しか呼べないのだから)がそれなりの数いるらしい、ということだ。

まあそれについては事実として存在するなら認めちゃうし、本人がキモイ状態でいたいのなら放置するしかあるまい。つか、「キモイオタク」というカードを使わないと、「自分は何ものか」という問いへの答えを用意できなくなっている程、現代の社会っつーもんは崩壊しまくっているのか、とそっちの方に驚いた。

ワタクシは「萌え」の元祖は手塚治虫先生だと言っとるのだけど、「キモオタ」のルーツではないとは考えている。キモオタが等しく抱えているアイデンティティに対する危機感というのは、手塚作品には希薄だと思う。江戸時代から続く医者の家系で、自分もまた医者として世に出ているので、「自分は何ものか?」ということについて手塚先生はほとんど悩む必要がなかったためではないか、と思う。百姓家の長男であるワタクシにはその点よく理解できる。

んじゃあ「キモオタ」の元祖は誰かっつーと、ワタクシはこれを梶原一騎だと睨んでおるんすな。彼は「親も文士」つー根なし草のエリート家系に生まれてる。で、その生涯はつまるところ「自分探し」の連続であったと言えばそれで言い切れちゃうようなもんだったと思う。ついでに言うと、「よど号」の連中がほざいた「われわれはあしたのジョーである」という意味不明のセリフは、彼らもまた自分探しが必要な「根なし草」であると自任していた、とするとある程度理解できる。ちなみに、梶原作品に出てくる「自分探し」の意味はワタクシにとってはまるっきり説得力を持たない(それは作品的にすぐれている、すぐれていないとかのレベルではない)ので、その「面白さ」については、手塚先生同様不感症である。「どこが面白いのか俺に教えてくれ」という手塚先生のセリフの方に親近感を感じる。

それはともかく、上記の梶原的「わたしは誰?」は恐らく、敗戦のショックで親とか前の世代に対する信頼を一気に失った団塊世代に共通する心象風景であるんじゃなかろうか、と思う。んで、それは微妙に形を変えながらもその子の世代に受け継がれる。

彼らは「自分は誰?」という問いに対する一番簡単な答えが「家族の一員」だっつーのはわかってるんだけど、どーもリアルな親とはうまくいかない。それは半ば以上、その親がさらにその親の世代といがみあった因果が巡ってきてそうなったせいで、親とうまくいかない彼らのせいではないかも知れない。が、理由はどうあれ、うまくいかないという現実(第一現実)があり、それを補うように、妹・姉・母などと良好な関係を持つ「第二現実」が作り出されたんではないかなあ、とこう思うんである。

手塚作品においては、現在の「萌え」感情の対象である「目玉のおっきな、やわからそうなモノ」てのは明白に性欲の対象であったし、なおかつしばしば食欲の対象ですらあった。不思議なことに、リアル世界で「父」としての地位を確立していた(つまり、社会の中での自分の立ち位置を確保していた)手塚作品においては、オスの衝動(「ヤリてえ」、と「喰いてえ」)が強くアピールされるようになっており、リアル世界では「父」足り得ず、ただのオスとして生きていた梶原作品において、オスとしての衝動よりも心情的な結びつきの方が価値あるものとして描かれる傾向が強かったりするのね。

話がだいぶそれたけど、強引にまとめてしまえば、美少女(ちぬちぬ付きを含む)にハァハァしてしまう連中ってのは基本的にみんな手塚チルドレンなんだけど、それだけに留まらずより精神的な絆を求めようとする連中は、おおざっぱに言えば梶原派である、つーことになるのでは。

ワタクシの場合、無前提で「オタク」といったら手塚チルドレンのことを念頭に置いている。恐らく、世界的に見てもそこらが一般的な定義ということになるんではと思う。「キモオタ=梶原派」ってのは、声がでかく正統派を自称する少数派、つまるところは初期のボリシェヴィキみたいなもんだと考えておるのですよ。

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February 23, 2006

オタクがキモイと言われるようになったのはいつからだっけ?

20世紀の終わりから21世紀のはじめにかけては、「オタクはキモイ」というのは郵便ポストが赤いぐらいアタリマエのことだ、と言われるようになっていた。

だもんだからついつい、オタクはその発生当初から「キモイ」ものだと思わされちゃうんだけど、よくよく考えてみると、少なくとも80年代においては、オタクは「キモイ」ものではなかったような気がする。

この国におけるオタクの元祖は誰なのか、というと、そりゃあもうヴァンパイヤの系譜よりも明らかに、手塚治虫大先生が「真祖」であると言い切れる。で、手塚先生はキモかったか?答えは否だろう。どう弁護しても変人であることは免れない方ではあったが、ただそこにいるだけで時に生理的レベルに達する不快感を醸し出すような人物ではなかった。

現在大流行の「萌え」に直結する概念の創始者だとワタクシが勝手に断じている吾妻ひでお先生の場合、確か「不条理日記」だと思うが「正常だとサベツされてしまう」などというセリフを書込んでいた。それはアシスタントと比べると、自分は性倒錯の度合が低いのだ、と語ったものだが、性倒錯の度合が低くても、オタクとしてのディープさは、文句なしに吾妻先生の方が上だった。この時点においても「オタク」と「キモさ」というのは一致していない。

要するに80年代のオタク(まだオタクという言葉すらなかったが)は、単に「ヘン」なだけであって、「キモく」はなかった。そりゃまあ、後に「キモい」と呼ばれるようになる要素の萌芽みたいなもんはありましたよ。が、その「キモさ」の度合は、ディープなもんで田丸浩史氏描くところの「サムソン&アドン」の肉体程度であって、田亀源五郎氏の描く小太りの中年(しかも包茎)ぐらいの、もう逃げも隠れもできない境地にまでいっちまってはいなかったんじゃないか、と。

この「ヘン」さというのは、70年代に出た「がきデカ」「できんボーイ」の登場人物の「ヘン」さに通ずる。こまわり君にしてもちゃっぷまんにしても、人前で堂々と下半身を露出したりするが、その姿はあくまでも「ヘン」であって「キモく」はなかった。なんでかというと「内にこもるいやらしさ」というのが、彼らにはまるでなかったからだ、と思われる。

ともあれ、80年代までは、大部分のオタクはヘンではあったが、キモくはなかったんじゃなかろうか、というのが、ワタクシの記憶を掘り起こして得られた仮の結論なのである。

となると、オタクが「キモい」と言われるようになったのは90年代からだ、ということになる。で、今、オタクはキモがられているのか、というと、確かに30過ぎの大きなお友達はキモがられているんだが、20代や10代にとっては、オタクであることはごくあたりまえのことであって、オタクであるからキモいんだ、などと認識しているのはごく一部であるように思われる。

んー。こうやって考えると、「キモイ」のと「オタク論」とか「萌え論」てのを結びつけようとするのは、実はとんでもない間違いだった、という結論が得られそうだぞ。

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February 22, 2006

虹萌え男は脳内娘の夢を見るか?

あっちこっちのニュースサイトに掲載されたおかげで、ここのページのアクセスカウンタがすんごい勢いでぶん廻った。が、開設以来で比較すりゃあ、二番目だ(一番廻ったのは故ソ○トマジック倒産の時)。

とまあ、それはともかく、ウケたら話の続きをするのが正しい商業文筆業者の道なので、前回の続きなど。

ワタクシは1000年続いた百姓家の長男として生まれているので、基本的にその立場を「是」とし、その要となっている家父長の復権、というのが現在の諸問題の解決に寄与する、と思ってる。

家父長の立場の復権、とかは、石原閣下とか細木数子とかも提唱しているが、あれはワタクシにしてみれば本質を見失った粗雑な論に過ぎない。彼らは「家父長は無前提で偉い」と思いこんでいるが、実はそんなことはなく「ある責務を果たすからこそ、一定以上の権力が与えられる」というのが正しい。

責務についてあれこれ説明するとくどくなるのでここでは割愛しちゃうけれど、そのうちの一つは「祭祀」であり、もう一つは「経済的基盤の維持」である。これを果たすからこそ、妻子を持つ権限(これも半ば以上義務だけれど)が与えられるようになる、というわけ。閣下とかの場合、「経済的基盤の維持」という観点(よーするに、妻子を食わせるということだ)は割とはっきり見えてるけど、「祭祀」という観点が抜け落ちている。細木某の場合、一見「祭祀」を重要視しているようにも見えるが、結局のところ墓石業者のセールスレディの口上に過ぎないのでマトモに聞く価値はない。

人間が永遠の生命を持ち、なおかつその能力が無限に発展していくものである、と仮定すると「祭祀」なんざまるで必要はないのだけれど、残念なことに死なない人間というのはお話の中にしか存在しない。誰もが老いやがてくたばっていくのなら、そこらの始末を正当づける理屈が必要だし、能力の発展が中年以降停止するのなら、もうこれ以上上を目指すことのできない連中をなだめるための理屈が必要になる。要するに、「阿片としての宗教」が要るんだ、ということですな。

んでも、近代民主主義とやらを支えている啓蒙思想ってのは、困ったことに人間の寿命とその能力の発展の可能性を無限、と規定することを基礎にしてるようなんですな。確かにそう仮定すりゃあ阿片としての宗教は不要だわ。が、これが少なくとも現時点においては現実と乖離している仮定だ、ということは明らかなわけで。やっぱり、要るんですよ阿片が。

この手の阿片というのは、怪しげな人間によって上から与えられるモノと、自然発生してじわじわ拡がっていくモノの二種類があると思うんですわ。前者の品質は、おおむね教祖となる人間の能力に比例するんですが、全般的に低質ですな。高校の歴史の教科書と内容的にあんまり変わらない「経典」書いてる教祖さまとかいるし。期待するべきは後者だと思われます。まああたしゃ「萌え」なるキーワードによって顕在化したオタ男性たちの「救われる(=癒される)ための方法論」てのは、実は後者であると考えておるのです。

というわけで、「癒される」ためにはナニが必要なのか、ということを考えてみようかと。

若いオスの場合、とりあえずは「ヤリたい」という欲求が考えられますな。が、現在のオタの場合、前回書いたようにどうもそのあたりの欲求は希薄で、それよりは自己が社会的存在として有用である、ということを認めてもらいたい欲求の方が強いみたいっす。ちなみにオタの場合、特殊浴場とかに引っ張っていって一発やらせると、その後で「僕が求めていたものはこんなのじゃない」って腕組みして悩んじゃうんですよね。あたしゃ本田透他数名を使って実験し、こういう傾向があることを確認しております。

性欲は全く消え去ったわけではないし、オタ自身が自分の欲望が「社会の中で認められること」と「性欲の成就」の2種に分類可能であることを明確に自覚していないから、これらは大抵ごっちゃになってるんですけど、そんでも「社会的に認められる=第二現実」と、「性欲の成就=第三現実」という形でまとめることが可能だよ、というと「なるほどそうか」と納得しちゃう人は結構いるかと思います。で、ほとんどの人が第二現実が第三現実に優越すると考える、と。第一現実の位置がどこになるのかは、あんまり深く考えてないです。でも、人により凄く差があるような気がする。

第二現実こそが絶対であり、第一・第三現実を切り捨てて第二現実を純化することこそ救いへの道である、とでも要約できるような教義が、今オタさんの間でもてはやされているような気がするんですが、これは「阿片」としての効能だけで言えば効果は抜群だと言えるでしょう。第一現実を無視しまくるために、副作用が激烈で、効果が切れると凄まじい激痛が服用者を襲うことになるとも思うのですが。

ワタクシもまあこういう阿片を服用したい、と考える人の気持ちはわからんでもないのですが、自分自身は「百姓家の長男」であるというどーしよーもない現実の縛りにより服用するわけにはいかんかったし、その現実の縛りがあるからこそ、阿片不要で生きていくことができるようになったわけでして。というわけで「最小の社会の構成単位である家庭を指向せよ、そこには副作用の少ない阿片があるぞよ」と言うことを訴えたいかな、と思い始めたのですな。だもんだから「萌え」という感情を掴まえて「それは父性だ。それを育てて心の平安の地を得よ」とか言い出してみたわけで。

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February 17, 2006

萌えは成熟しない父性であるとか言ってみるテスト

最初に断っときますが、これは単なる思考実験で、他人様に「こうなんだ」と押しつけられるもんではありません。少なくとも、現時点においては。将来的にそのような形にしてしまうことについてはやぶさかではありませんが。

と、言っといた上で、「萌え」つーのは未成熟な父性である、などと言ってしまうことにする。

オタの人の「理想の異性(多分に脳内妄想の産物ですが)」てのは、5割がロリで2割5分が姉。結構相手に対して「血の繋がり」もしくはそれに準ずるもんを求めようとしてるんですね。

で、こいつをワタクシはかつて「キモオタである自分から逃れられない相手」であると言ってみたわけですが、なんか最近そうでもねえんじゃないか、と思うようになった次第で。

なんでそう思ったかと言うと、弱いんですわ。オタの性欲って。

んだもんだから、相手が逃げれば逃げたでよし、としちゃうんじゃないかなあ、と。それを無理やり監禁して、陵辱の限りを尽くすなんてこたあ、妄想内ではやろうとするけど、現実にやっちゃう度胸はほぼなくなっているんじゃないだろうか、と。

無論、アニメとかゲームの中の世界は、客観的に言えば妄想の産物ですが、オタの人にとってはそれは今や「第2現実」ですからね。こういうのに登場するキャラに対し、脳内結婚ができちゃうような人は、同様の理由でもって特定のキャラに対し、「脳内レイプ」や「脳内殺人」はできなくなっているのではなかろうかと。現実世界で犯罪へと突っ走っていくことのできない、「良識人」ならね。

そういう人が殺人ぽんぽんやる作品とか、レイプばんばん出てくる作品とかを読みたがらない、とは言いません。てか、結構読むんだけど、それって彼らの脳内では、「第2現実」よりリアリティの少ない「第3現実」になっているんじゃなかろうか、と。

「妹」「姉」と呼ばれる肉親系キャラが、第3現実世界に入り込んでいる人の場合、血の繋がりがどーだろうがそんなのには考慮せずにやりまくっちゃうんですが、今ではその手のを「第2現実」にしまうヤツが増えてきたんではなかろうか、というのが、ワタクシの根拠のない観察だけで導き出された仮の結論なんすよ。

んでも、彼らはそういう状況にはまりこんでも「妹萌え」「姉萌え」はやめない。どころかますます深みにハマりこむ。さらに突き進んじゃうと、脳内結婚の相手が自分と肉体関係を持とうとするかどうかが問題じゃならなくなると同じで、「妹」「姉」でありながら自分とデキなくても(この辺かなり屈折してる)どうということはない、という結論に突き進んでいくんじゃあるまいか、と。

最終的に彼らが求めるのは、「血の繋がり」であり、そうなってきちゃうとそれはもう、「父の愛情」と同質のものになってしまうのではなかろうか、と。何でそんなこと言えちゃうのかというと、うちには娘がいるわけで、その娘に対して抱く感情というのは、オタの人たちの「肉親萌え」から徹底的に性的要素を排除したのとそう変わりはない、と自覚しているからなのだけれど。

この特性、ほっといても「父性」に育っていくものではないが、少なくとも「育てても何の成果も得られない」という種類のものではない。要するに、イマドキの若い女性に「婦大学」を教えこむことなんかとは比べ物にならないくらい、うまくいく可能性があるのではないか、ぐらいは言えると思うのだ。

まあ、本当に「父親」になるには、この原初的な父性を自覚的なものにまで育て上げるのとともに、家族を維持する、という目的に対する禁欲的な使命感を植えつける必要がある、とも思うのだけど。後者ってはある意味自己犠牲の精神なんで、「おおきなシンジ君」たちには100年講義したって身につかねえものだけれど。

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February 16, 2006

もえけん

という本がエンターブレインさんから出た。アキバBlogさんとこでも紹介されてた。

で、こいつだが、元はと言えば、故ソ○トマジックから出るはずだった本だったりする。ちょうど企画の打ち合わせして「主人公に日本全国回らせて、あっちこっちでの女の子との出会いをSSにすりゃあいいんでない?」と言ったのが、ソ○トマジック崩壊の数日前だったような気がする。元は当然エロを前提にして作られた骨組みだったんだけど、最終的に出たとこがエンターブレインさんだったから、エロは抜いたんだろうな、たぶん。

本来ならば、この本は去年の9月ぐらいに出る予定で、それだとぎりぎり「萌えるなんとか」ブームに間に合ったようにも思える。が、いまだとねえ。うちと付き合いのある小さい版元さんだったら、エロがあっても赤字だったでしょうな。「あふがにすタン」が出たあとだったら、あたしゃGoサイン出さなかったっす。

しかし、これで倒産時に立っていた企画のうち、ワタクシ本人が立てたもの以外はほとんど本になってしまってたりして。自分の分はどうなったか、というと、状況見て新しいのをなんぼでも立て直せるから、ほとんど執着しなかった。ニホンちゃんにしろ、まるくすタンにしろ、企画立てたのは倒産後だしね。

でも、去年7月に出す予定だった「ウホッ(ホモ本ではなくホモネタ本)」だけはちょっと惜しいかな、と今でも思う。あれ予定通りに出せたら。HGのブレイク時期と一致したんで、そこそこいけただろうし。

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February 08, 2006

難易度の高い萌えに挑戦する

「ツンデレ」以来どーも「○○デレ」つーのがあちこちで濫造されているようで。

こないだはついに「ムスカデレ」なる語も発見して少し引いた。

が、しばらく経つと、これよりも凄いのを作ってやろうじゃないか、と思う自分がいる。

で、考えました。
「カズデレ」

これは、何かっつーと
「あんた、地獄に落ちるわよ」
と(好きな相手に)ズバリ言っちゃう占い美少女なのですが。

元のお方、どうやらオタにとって気になる人物であることは間違いなさそうなので、美少女化するとイケるキャラになるんじゃないかと思います。

補足の特徴

・妙に家庭的
・占いは、大抵外れる
・失言で追い詰められる
・主人公に改名を迫る
・料理は基本的にうまいが、たまに「ハズレ」がある
・伝統的な、古風な発想をするが、自分の勝手な思いこみであることが多く、本来の伝統とはまるで違う形になることが多い

……「地獄少女」がすでにあるっつー話はスルーということで。

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February 01, 2006

企画

「ニホンちゃんパート2」を作るつもりなんだけど、それとは別にこれを補完する感じでネタをいくつか考えてみた。

で、その中で自分でも気に入ったけど、同時に「どこで出すんだい」と頭を抱えてしまったのがあったので、ここで公開してみることにした。

そのネタのタイトルは「トクトV&メイキングオブトクトV」ての。

トクトVてのは、「日本のクリエイターがテコンVにインスパイアされて作ったウリジナルロボットアニメ(の企画)」という仮想戦記みたいな作品。

で、「メイキング」の方は、惜しみなくオマージュを捧げようと思っても、「その思いがテコンVの本質に届かない!捧げたつもりが対馬海峡上でUターンして日本産の別のアニメに向かってしまう!困ったぞ!」とスタッフ一同が頭を抱え、その後どうやって、他の何者でもない「テコンV」にインスパイアされた作品を作っていったかという激闘の記録……という設定の仮想アホドキュメンタリーなのですが。

えー、こういうにウケてくれるお客さんは存在しているはずなのですが、そのお客さんにきちんと作ったモノを届けることができる版元さんが見つからなくて。

しかしまあ「コリアンジェノサイダー」が出版できるご時世になってはいるんで、探せばどこか商業的に成功させることのできる版元さん見つかるでしょう。

追記:「ニダ休さん」は版権がらみのハードル高過ぎてできんわい。誰かついたての中から虎を追い出してくれればやるけど。

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すばらしい宣伝

ここんとこ、レビログさんに非常に良くして貰ってる。トップのバナー貼ってもらったりとか。

そんだけでもありがたいのに、今回なまじなレビュー書いて貰うよりものすごい宣伝をしてもらえた。

ええ、見た瞬間腹抱えて笑っちゃいましたよ。「心は萌え」さんありがとー!

というわけで、どういう宣伝なのか見たい人はここの下の方参照のこと。

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