March 21, 2005

もの書きの資質

もの書きで喰って行こう、などと考える人は、基本的に鼻っ柱の強いオナニストでございます。

まあ、それっくらいでないと人様に自分の作品を晒そう、などとは考えないのでしょうから、これはこれで仕方のない現実である、と認めるしかないでありましょう。

しかし、それらの方がみんな「書いて気持ちいい」文章だけを作っている場合、出版業というのは成り立たなくなるわけでございまして。やっぱり「もの書いて喰う」ということを前提にした場合、「読んで気持ちいい」文章にするのが基本ではなかろうか、と。

いえ、「書いて気持ちいい」文章を書くという行為を否定する気はございません。そういう方たちは、商売ではなく趣味としてお書きになればよろしいのです。安永航一郎さまが「恥とせんずりはなんぼかいてもタダじゃっ!」という名言を残しておられますが、同人文もまったく同様で、いくらかいても費用がかかることはございません。ただ、それでおあしを儲けることができないだけでございます。

てな感じで、まず最初に、「自分のためでなく、人のために文章を書けるか」てなとこが、単なるもの書きから商業文士に変身するための第一の壁になるでしょうな。

ま、「人のための文章」とはいえ、完全に万人むけのものにする必要はなく、ある程度「自分と似通った人間」だけをチョイスしてお客さんとすることは許されているし、そこらの絞り込みをきちんとやらんと出版社は潰れてしまう、とも言うことができます。

いずれにせよこの段階で、もの書き候補の鼻っ柱は一度粉砕されなければならないわけです。その過程で、「自分だけは特別」だという思いこみもボロボロにされ、「99%以上よくいるそこらの人間であった自分」というのを思い知らされるのだ、と申せましょう。

で、その事実を受け止めて、なおかつ最後の1%を効果的に使って独自なものを書ければ、使い物になるような気がいたします。

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March 19, 2005

ネタみっけ

いきおいで「ガネーシャが」などとコメントに書き込んで見たあとに、ふと気になって本物の詳細について調べてみた。なにせそれまで名前と格好(あと、インド象である、というところか)ぐらいしか知らなかったからね。

…で、わかったガネーシャの恐るべき素性。

母はパールヴァティ。父はなくて母が身体からこすり落とした垢で作られたそうな。でも美少年だった。

このガネーシャくん、生まれて最初に母親から命じられたのが、母親のお風呂の見張り。よーするに、母のハダカを他のヤツに見せないようにしろと言われたのだ。母ちゃん、生まれたばっかの息子(しかも美少年)に対して最初にしてやることってのは、もうちょっと違うことではないのか?

それはともかくガネーシャ、母の命令を守ってじっと番をしてたのだが、そこに来たのが父(義父)のシヴァ神。こいつは見張りのガネーシャをあろうことかノゾキと勘違いし、キレていきなり首をはねちゃったんだそうな。かわいそうなガネーシャ。

息子を殺されたパールヴァティは激怒し、亭主に「どうしてくれる」と迫る。んで困ったシヴァ、「次にここを通りかかったヤツの頭をぶった切って、こいつにつけて生き返らせるから…」と約束。

というわけで、カモは来ないか、と待ち構えるシヴァの家に、何も知らないのんきなインド象が通りかかる、と。

…インド人ってすごいなあ。ちょっといじるとすぐに小説のネタになりそう。

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March 18, 2005

しゃっほー

先週から今週にかけて怒涛の勢いで仕事がおしかけてきて、なんだかわかんない状況になった。

が、本日iPodしゃっほーを首からぶら下げて神様仏様フレディ様の「We are the Champions」を聴いたらなんかがぜん勇気が出てきた。

これまで何度となく耳から入れるアブナイ薬として利用してきたから、かなり前から効き目は薄くなってきてたはずなのだが、こうまで効いたのはやっぱしゃっほーで聴いたからか?

もしそうだとしたらでかしたしゃっほー。後で買ってやる(実は今日のしゃっほーは借り物)。

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March 17, 2005

ちゅどーん

国連の作った反対人地雷キャンペーンのCMが、アメリカ中のテレビ局に総スカンを喰い、放映不能の状態になってるんだそうな。

http://x51.org/x/05/03/0831.php

一応これ見たが、女子サッカーの試合中に、突然選手がちゅどーん、というモノであった。これがどーもリアルすぎで残酷だ、というらしい。

しかし、モンティパイソン見てたら、これ別に突飛でも何でもないように思えるんですけど。

というわけで、世界で最初にこのCMを放映するのはBBCになるんじゃないかと、今からわくわく。

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March 16, 2005

お釈迦様が見てる

なんか「マリみて」の亜流作品作れないかなー、と思ってタイトルだけ考えてみました。

…中身は「ファンシィ・ダンス」だろうと容易に想像がついてしまうな。

でも「ムハンマド様が見てる」だと作者が暗殺される危険があるんだよお。

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March 15, 2005

次は姉経由ショタ

野村総研のレポートのおかげで、ええ年をしたおっさんまでもが「萌え」なる言葉に注目するようになってきた。偉い話である。

どのぐらい偉いかというと、信用金庫の営業さんの耳元で「萌え」とささやいたら「融資しましょう」などという言葉が口から飛び出してくるぐらい大変なことなのだ。

んで、ちょっと通ぶった人は、「萌え」つーたら「『妹』がね…」と一般人に講釈垂れようとするのだが、「妹」はもう時代の先端ではない。現在はどっちかっつーと「姉」時代らしい。

こういう変化が生まれた背景というのは実に簡単で、要はオタどものマグロ化傾向がさらに悪化しただけのことなのだ。「妹」つーのはありていに言えば「この(キモイ)自分から逃げられない異性」だった。世のお兄ちゃんどもは、この少女の逃げ場を奪った上であーたらこたらしよう、と妄想を膨らませていたのだが、最近ではどうも「逃げ場を奪ってあーたらこたら」さえ面倒になってきたらしい。

で、向こうの方から自分に対して積極的にあーたらこたらしてもらおう、ということになった。かくして「妹萌え」よりも「姉萌え」のがもてはやされるようになったのだ。

オタの場合、自分よりも年長の女性というのは無条件でストライクゾーン外になるはずだった。だが、オタどもは自分の年齢の脳内設定の切り替えを行い、「自分は12歳のショタ少年なのだ」と思い込むことにより、自分の実年齢よりもずっと年下の少女を「姉」と強制的に認識させるというウルトラCをやってのけたのだ。

たぶんそういう豪快な技が使える、と気づかせるきっかけになったのはやっぱり、「姉DVD」なんだろうな。

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March 13, 2005

ゲーム脳話はウケる

なんかこの話についてのトラバがやたら多いみたいで。

案の定ネット上に散らばっている意見には、「ゲーム脳」理論を擁護しているものは皆無だった。だが、ゲームやってるひきこもりを擁護しているもんも案外少なく、ワタクシが書いたような「どっちもどっち」的な論が多数であったように思われる。これは実際にそういうもんが多数を占めていたのか、それともネット上で発見される情報というのは、得てして検索した本人にとって都合のよいもんでしかない、というワタクシの「類は友しか呼べない」理論(裏付けは本人の経験以外にはまるでないことを男らしくここでバラしておこう)に基づいて、自分の意見に似たものだけを引いてきた結果なのかはわからない。

んでも、この手の話がもてはやされるのは、やっぱこの話そのものが、コンプレックス絡みなだけに誰にとってもある程度切実だからなんだろう、と思う。ある意味30過ぎの人間なんて、自分のコンプレックスを解消させるただそのために脳みそ使っているようなもんだし。

そこら逆手にとると、ほどほどにおぜぜを儲けさせていただく、ということができそうだ。

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ブログの本

ブログの内容をそのまんま本にするのが流行ってるそうだ。

で、やってみたら案外受けたので、「次誰かいないか」とみんな血眼になっておもろいブロガーを探しているようだが、一番面白いのはもう最初にやっちゃってるからねえ。以後鉱脈が見つかるかどうか。

無名な人のブログで面白いのが見つからなかった場合、書いた人間の知名度によって何とかしよう、と考えるのは、これまでの書籍が歩んだパターンとそっくり同じなのだが、ブログやってる有名人、ていうと、せいぜいがホリエモン程度でおしまいである。ホリエモンはまあいいが、2番手、3番手に誰がくるか、というと誰もいない。なんとなれば、そこらの有名人だったら、ブログが元であろうが紙媒体向けにはじめから書き下ろしたものであろうがほとんど変わらんからだ。

てな感じで、有名人とブログを組み合わせる場合、もっとも効果的なのはブログというものに全然手を染めそうになく、「えっあの人がブログやってるの?」と思わせる人物を起用する、ということになる。となると、現時点で生存していない人がベスト、となる。ガッツ石松だって仕込めばブログぐらいやれるだろうが、今生きてない人なら、どんなに頑張ってもブログ始めることはできないからね。

で、具体的にはどーいうのがいいか、と考えたかというと

・クワトロ=バジーナのブログ
・曹操のブログ
・ジョナサン=ジョースターのブログ
・江田島平八のブログ
・範馬勇次郎のブログ

とまあ、こんな感じだったりする。ネタとしてはかなり強力だと思うが、どうよ。

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March 12, 2005

オタと年齢

オタの年齢は物理的なモノと論理的なモノの2種類が存在する。

男のオタは、とりあえずホモ・サピエンス・アキバエンシスという霊長類に属するどーぶつであるから、肉体的には他のホモ・サピエンスとほぼ同じ時間をかけて成長し、かつ老化する。要するに物理的年齢の進化のペースは他の人類と同じである。

が、ほとんどの場合、オタは自分自身を脳内で「永遠の19歳」であると認定する。ただしこの年齢は絶対的なものではなく、「お姉さんにいぢめてもらいたい」と欲する場合には12~13歳(精通はあるが発毛はない、とかそんなあたり)に動くし、多少なりとも現実を認めようとするモードに入った場合、27歳までは引き伸ばすことが可能だ。しかし、結婚するか自らキモメン宣言をするかしない場合、その脳内年齢が30以上になることはまずない。

なんでこんなことを考えたのかというと、ある商品を売りこむ場合、「48歳からの○○」とか「30歳のための○○」と対象年齢層を区切り、そのコンセプトを明確化するって重要だよなあ、と思いつき、ひるがえって高齢なオタにモノを売ろうと考えた場合、どーいうキャッチつけりゃいいだろ、と悩んだためであったりして。

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三日坊主

当分更新やめるぞ!と決めたらいきなりトラバとかが増えて来たので、書きたくなってしまった。

三日坊主で日記やめる、てのはよく聞くけど、三日坊主で日記更新停止宣言を撤回するというのはあまりないであろう。

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March 09, 2005

ひみつ

これからいろんなひみつに接する可能性が高いので、しばらく日記を封印しよう。

そういう風に宣言しないと書いちゃうからなあ。

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March 07, 2005

ニート・エイド

某出版社で、「ここ2年ぐらいは、引きこもり傾向を持つ人に対して、外の世界に出るように背中を押してやるようなコンテンツが受けるんでいっ!」と大見得を切ったら、

「ならば『ニート・エイド』とか名づけて、NPOでも始めるといいかも知れませんね(笑)」と言われた。

NPOとか言うとその胡散臭さに全身がゾクゾクしてきちゃう(うれしがってる)のだが、いかんせんあたしゃこれやって銭儲けようとしてるからなあ。

タテマエ上、非営利のNPOはできねっす。

んでも、「うぃあーざにーと、うぃあーざあだるとちるどれーん」という歌をさっそく作ってしまった。その先の歌詞は考えてないが。

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March 05, 2005

機械の声が聞こえた

ヤフオクで相場が下がってきていたので、リコーのCaplioG4 Wideというデジカメを買った。コンパクトデジカメとしては最も広角よりのレンズを搭載した製品である。

この製品のように個性というか癖のあるコンセプトに基づいた製品の場合、持ってると「こういう風に使ってくれ~」という声のようなものが聞こえるような気がする。デジカメの場合、その声は「こういう写真を撮ってくれ~」ということになる。無論気がするだけで、本当に聞こえたと思うようになったらデジタル系ものかきを廃業しなきゃならないが。

んで、このG4からもその「声」が聞こえたように思われた。それは何かというと
「ボクを使っておっぱいのどアップを撮ってくれ~」である。
確かに広角レンズを搭載し、1cmまで寄れるマクロ機能をサポートしたこいつだと、乳首部分くっきりしているが、裾野部分がいい感じにボケたすんごくエロい乳房写真が撮れそうな気がする。

かといって近場にそういう被写体が安易に転がっているわけではないので、途方に暮れてしまっているのだが。

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March 04, 2005

ただ大人たちに誉められるようなバカにはなりたくない

なんか小学校とかでやってる過激な性教育が問題化しているようで。エロに関わるものとして一言なんかコメントせねばなるまい。

ワタクシとして一番気になるのは、ふつーの絵本のように、明るくさわやかに勃ったり濡れたり突っ込んだり、ということを描こうとしてるとこっすね。これは間違ってると思う。

ガキをこさえる行為っすよ。生きるの死ぬのの騒ぎっすよ。もう少しそういう尊厳ちゅーのを強調しなきゃならんのと違いますか?「おじいさんは、としをとりました。としをとったひとは、しんでしまうんだよ。しんだら、かそうばでやくんです。」こーいう書き方の教科書に違和感を感じるような人は、あっけらかんと明るく書かれた性教育の教科書に違和感感じるんとちゃいますか?

たぶん親としては、子供にできるだけ見せないようにしながら、ちゃんと定期的にやることやり続ける、というのが最高の性教育になるんと違うかな。んでやっぱ、子供にいつか「お父さんとお母さんはあんなことしてたんだ!」と衝撃を与えないといかん、とあたしゃ思うですよ。この衝撃を変な感じに麻痺させると、ロクな大人になりゃせんと考えますです。

んで、学校で性教育するべきか否か、て点ですが、生理始まった女の子に対して、「むやみやたらにサカるとガキできるから気をつけろ」ということを教えるのは必須だと思います。この場合、「完全な避妊方法なんて都合のいいもんはねえ」ということを教えるのを忘れてはいかんすね。ついでにひとりエッチの方法も教えとけば完璧じゃないでしょうか。要は、社会的存在としての自己のあり方に深刻な影響を与えちゃうから、可能な限り自分の性欲はコントロールせいよ、ということ。男は成長すれば自分で勝手に抜くようになるから、教えなくていいです。ほどほどに女の子から隔離しておきさえすれば。

まあ、間違いなく全員に周知しておく場、となると学校しかないんだが、生徒って基本的に「学校で教わったことは、卒業と同時にぜーんぶ忘れていいことだ」と無意識に思い込んでいるからなあ。

この法則が生きているからこそ、あほ教師がどんなに過激な性教育やったところで意味はない、とも言えるんだが。

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ショタ萌え小説計画

てな感じで思いついたのが、12歳ぐらいの、かろうじて精通はあるが、発毛はまだぐらいのショタ美少年を主人公とした小説だ。

役目は何かっつーと、読者であるオタの人のための、作中での依童ね。

オタの人の場合、実年齢がいくつであっても、脳内では自分は永遠の19歳だと思ってるのだが、精通直後のショタ美少年や、同年齢のロリ子にも自分自身を憑依させることは充分可能だと思う。

んで、このショタ少年を、さまざまなおねぇさんにイタズラさせるわけ。だが、最後までやらせちゃうと、憑依したオタが痛がるので、本番行為は厳禁。あくまでも手。手でやるシーンばっかにすると、オタが日常自分自身でやってる行為とシンクロさせられる(なにせ、違うのは指の細さぐらいだ)ので、リアルにその感覚を思い出すことができるであろう。

これを見せつけることによって、とりあえず自分自身で何とか始末するのではなく、「おねぇさんにそうやってもらいたいなあ」ぐらいは思わせたい、と考えるのだが、それでうまくいくかなあ。

うまく引きずっていくためには、もう一工夫ぐらい必要かもしれない。

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二次元恋愛

お知り合いなブログに、ときメモオンラインに関する記事があった。

間接的にここを参照するだけでも、ネカマ大増殖とか、ネット世界でも藻男大発生とか騒ぎ始めているようだが、当方としては「やれやれもっとやれ」というのが素朴な感想。

別にいいでしょ。実性別とネット上性別が違ってたって。ネット上の恋愛を実生活上の出会いに結びつけようというのがアホなのだ。

あと、顔とスタイルという、世の藻男が自分がモテなくなった理由だと考えているモノが覆い隠されるネット上で、なおかつモテなくなる、というのは、自分自身でネット上における分身を「モテなくなるように」演出した結果であるとしか言えない。自分からモテなくなるような行動取っておいて、「自分はモテない。この不幸な自分を誰かちやほやしてくれ」はないでしょ。そーいうのにかまってくれるほど世の人は暇じゃない。

とまあ、藻男のカリスマとかに毒づくのはこの辺にしといて、多少前向きな視点から話すると、三次元での出会いに直結させ、話をとんでもねえ方向に引きずっていくのさえ慎めば(特にネット上性別と実性別が異なる場合)、いいリハビリの場になるんと違うか?というのがワタクシの意見でありますな。

萌えエロ文書きを商売にしてから、どーも大量のエロゲとかエロ小説とかを相手にするようになり、最近の萌えエロ事情にアンテナが追随できるようになった結果、「最近のオタって、すでに女性に対する挿入行為を快感であると認識することが困難になっとるんと違うか?」と思えるようになってきたのだ。だってエロゲの処女喪失シーンって、実際には絶対あり得ないSFになっちまってるもの。都知事閣下の小説じゃあるまいし、ぴーで穴の奥にキレイに貼ってある「膜」をばりんと破くのがデフォルトって、これどうよ。この描写にツッコミ入れられないほど実体験ないと、エロシーンをリアルに書いても反応してくれんわな。

まあ、これは別に非難するべきことではなく、現実なのだと納得するべきことである。んでも、今後ずっとそうであり続けることは不幸なことだと勝手に思うから、せめて2万握り締めて千束4丁目の大衆店に行こうと思うぐらい、そっち方面に対する執着というのを再生してみたいと思う。なおかつそれで金稼げれば言うことはありませんな。

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March 01, 2005

パズーとムスカの方程式

キャラ萌えな創作物のばやい、作中に読者の依代というものが必要になる。

で、この依代、女の子の争奪戦が中心テーマになるケースにおいては、2種類に分割しておいた方が何かと都合がよい。片方は読者の白い属性代表で、もう片方は読者の黒い属性を代表するものである。仮に、前者をパズー、後者をムスカと名づけよう。なお、この便宜的なネーミングと実在するアニメ作品に登場するキャラクターとの間に関連性はないものとする。どんなに突っ込まれようとも認めないぞ。

この両者、本質的には同一物ではあるが、全体の枠組みにより微妙にやれること・やれないことに差が出てくる。

一応、清く正しく美しく「正義は勝つ」なエンディグに持っていく場合、ムスカには言葉責めは許されるが、争奪の対象となる少女キャラクターの膝以上鎖骨以下の部分に触れることは固く禁じられる。言葉責めをする際に顎を持ち上げる行為と、美少女キャラクターが逃げる際に手首を掴むことは認められるが、乳尻などに触ろうとする場合、死を覚悟しなければならない。ムスカにとって、美少女キャラを縛りあげることは重要な役目の一つであるが、実際に彼自身が美少女キャラに触れることはできないため、それ専用に女幹部などを雇用することもあり得る。

一方、清く正しく美しい「パズー」だが、正義の名の元不自然なまでの自由が与えられる。海で溺れたフリをして美少女キャラに人工呼吸して貰ってもいいし、まだ言葉を交わしていない初対面の状況でいきなりお姫さまだっこをしても無問題である。パンツだって見放題だ。ようするに、二人分のスキンシップ券が読者とグルになっている作者に与えられている、というわけだ。んでもって最後には、自分の分身であったはずのムスカを葬り去ってしまう。冷静に考えると、やってることはかなり鬼畜なのだが、彼に対して非難をしてはいけないお約束になっているのだからしょうがない。

枠組みが「悪は栄える」な感じになった場合、パズーとムスカの立場は逆転する。ムスカの封印は解き放たれ、あんなことやこんなことをしても万事オッケー、ということになる。エロゲの場合、さらに「鬼畜エンド」という安全装置付きの「if」を前提にすることにより、美少女キャラを人格崩壊にまで追い込んでしまうことすら認められてしまうのだ。この場合、鬼畜シナリオが始まる前にパズーが体よく始末されてしまうことは言うまでもない。

小説の場合、「鬼畜エンド」というifを作ることは困難なので、よほど枠組みの設定をうまくやらない限り、パズーが勝つ方向に持っていかざるを得ないだろう。ただし、先に書いたように冷静に考えれば正義シナリオの場合のパズー程悪いヤツもそういないので、良心的な作者であれば、何らかの形でパズーにしっぺ返しを食らわせるエンディングを用意すべきであろうかと思われる。

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February 28, 2005

手をとりあって

すぺさるオリンピックスでのイメージソングとやらにQueenの「Teo Toriatte」が使われていると聞いて驚いた。

たぶん採用した人は何も考えずにタイトルがそれっぽいから選んだんだろうが、あれって英語版の歌詞は「自分が死んでもどーたらこーたら」というえれえ虚無感の漂う歌じゃなかったっけ。なんせ口を開けば「カルマ」しか言わなくなったブライアン大先生の作ったもんだから、そうそう間違ってないと思うが。

とりあえずこれ聞いて英語圏の人とかむっとしたりはしないのかね。これが大丈夫だったら、「Who Want to Live Forever」もどっかのイベントでテーマソングに使って欲しいもんだが。

ところで、Teo Toriatteの冒頭部分をエキサイトで翻訳したら凄まじく笑えたので、以下にそれを引用。

私がいないときに、If Iを不思議に思うどんな必要性も、同じ風が吹く輝きが
私たちでは両方の、And時間が論文であるにすぎないのでBeにお尻を出すあなた
の同じ月がなくないと思いません。

…尻ってなんだ、尻って。

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February 27, 2005

ひろしの年齢

某製薬メーカーのコマーシャルに出ている「ど根性ガエル」のひろしが「男30歳…」とか言ってやがるが、たしかきゃつはワタクシが小学生の時に中学生ぐらいという設定だったはずだ。

それが今30歳?シラをきるのもええかげんにせい、とワタクシは言いたい(笑)。

それともなにかなあ、あの登場人物は十数歳外見が若く見えるように整形でもしとるんかしらん。

てことは、あと数年もするとマイコーのようになったひろしとピョン吉が見られるかも。見たくないが。

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お昼のニュースで

各都道府県のマスコットキャラクターコンテストで優勝した群馬県のキャラクター「ゆうまくん」というのが出てた。

群馬県だから馬になったらしい。

ではワタクシの出身地である茨城県のマスコットキャラクターは何だったのだろうかと考えてみる。

……ビオランテ?

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February 26, 2005

ナニィはポストメイドさんになり得るか

というわけで娘の踊る「メリーポピンズ」を見て鬼畜親父は考えた。

「ナニィを使って萌えエロ小説は書けんものか?」

ナニィもメイド同様、貴族の家に仕えるものである。メイドとは微妙に違うが、制服のようなものも着る。
しかも子供が成長してくると、家庭教師として「青い体験」みたいな状況に引きずり込むことも可能である。さらには、慈善事業だなんだと忙しい奥方の代わりに旦那様と…というシチュエーションも考えられる。

元々が「乳母」だから、最近続々と帰依者が続出しているという母乳フェチ系のネタ(ちなみにうちにはまだ乳の出る嫁が一人いるが、授乳シーンというのはあまり萌えられるものではないと思う)に引っ張ることも可能だ。

案外、メリーポピンズとサウンド・オブ・ミュージックでナニィと家庭教師を演じたジュリー・アンドリュースって、新時代の萌え原型キャラにできるんと違うだろうか。

最大の問題は、ナニィにしろ家庭教師にしろ、前提となるのは「子持ちの貴族な男がいる」ってこと。オタは気持ち的には一方的に貴族になってしまっているのでこちらについては問題ないが「子持ち」てのがネックになるなあ。

もう少し考えて見よう。

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次男当確

娘が幼稚園でお遊戯会(メリーポピンズだって!)だというので、長男大福丸と次男とを連れて見に行った。

この寒空に、幼稚園の門前では先生方が総出で出むかえてくれたのだが、その先生方、次男がちょこちょこ歩いていくのをみると、「きゃー、ヒデくんかわいー」と一斉に黄色い声を出し始めたのだ。

幼稚園の先生というのは、なんだかんだ言いながら「かわいいものが好き」だからその道に進んだものらしい。しぐさも言動もかわいくねーガキの相手ばかりしていると、そっち方面には不感症になるが、それでもやっぱり「かわいい子」を見ると一般人以上に反応してしまうらしい。確かにうちの次男は顔だけは男前である。中身は怪獣(嫁・談)だが。

というわけで、次男は今日の時点で幼稚園の入園審査に通ってしまったような気がする。恐らく上層部が次男の入園を不許可にしようとすると、現場の先生たちが暴動を起こすだろう。

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February 25, 2005

オタと腐女子が嫌われる理由

本人たちは「えっ?」と驚くかも知れないが、彼ら彼女らが「貴族である」ということが、嫌われる理由の本質であると思う。

大部分の人類、というか圧倒的多数の動物は、個体および種の保存のための努力のみでもって、その生涯のほとんどの時間を浪費してしまう。これらの生涯の目的というのは、ずばり、「生存」に集約されちゃうわけですな。

が、オタや腐女子の場合、その生涯の目的というのは決して個体の生存ではなく(種の生存、という概念はもうどっかに吹き飛んでいる)、個体の快感の充足だったりするわけだ。何でそうなるのかというと、少なくとも個体の生存の方は、ほとんど保証されてしまって特に悩む必要がなくなっているためだ。

しかしそれって社会全体からすれば、誰かが生存のために努力した成果を隣からタダ取りしているから、そうなっているようにしか見えない。だもんで、一般社会は彼らの種の生存への不関与を理由に彼ら彼女らを弾圧するのである。個体の快感を優先している癖に、人類に与えられた最大の快楽である性交時の快感に無知であるとは片腹痛い、というのは、弾圧の際の一つのキーワードになっている。

が、貴族が一方的に人民から収奪しまくっていた、とするのはほとんどマル経またはその影響下にある史学者の脳内妄想であり、現実には李朝のような少数の例外を除けば支配-非支配の関係は程度の差こそあれ双務的なものであった。支配の代償として保護が与えられたり、支配者の側が契約を守らなかった場合にはこれを排除する権利などが与えられていたという例は山ほどある。この双務的な関係がほどよく保たれている場合には、支配者と非支配者との関係は比較的良好なものとなる。これの典型例は、流通経済が発展する以前の日本の中世とかだろう。

ということは、オタおよび腐女子(定義としては種の生存よりも、個体の快感を優先する種族、としておこう)と、生存を優先する種族との間に双務的な関係が築かれれば、この「階級闘争」は収束の方向に向かうのではないか、と考えられる。要するに、オタテイスト・腐女子テイストがほどよく混じったコンテンツを積極的に造り、一般人も楽しませいや、ということになるのだと思う。

ただこの場合、自分たちだけが楽しめるもんにしちゃうと引かれて逆効果になるから気をつけろ、とも言える。

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February 24, 2005

都知事、勝つ

石原閣下が老女を「ババァ」と罵倒した意見を引用したら、名誉毀損で訴えられたそうで。

で、その裁判の一審判決が出たんですが、原告敗訴。

…ババァ、と一回言っただけで裁判起こされるんなら、毒蝮三太夫は絞首刑ですがな。

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痛い話

うちの次男は包茎である。まあまだ1歳3ヶ月なのだから当たり前だ。

だがこのチビの場合、包皮が中身と癒着しており、このままでは嫁さんの貰えない身体になる可能性が高い。で、嫁がなんかそれっぽい大病院に行って医者に見せたんだそうだ。

で、その医者、次男のナニをじーっと見て、状況を確認した後に、力の限り包皮部分を掴んで根元の方に引っ張ったのだそうだ。その瞬間「ばきっ」っというかなり大きな音が聞こえた、と嫁は証言している。

実はこれまで、次男と風呂に入った後に、軟膏塗りながらゆっくりゆっくり癒着を剥がしていこうと努力していた(ガキの癖して生意気にその部分を変形させやがるから結構大変だった)のだが、数ヶ月にわたる父の努力をあざ笑うかのように、その医者は一気に力ですべてを決してしまった、という。

強引に癒着を剥がされてしまい、生まれて一度も外気にさらしたことのない場所をひん剥かれてしまった次男は、しばらくすると我に返って凄まじい声で泣き始めたそうだ。だがそれも、痛みの故ではなく、どっちかというと受けた屈辱に対して抗議するような感じの泣き声だったらしい。

「まだ尿道口の部分に多少気になるところがあるから、また来い」と言われたが、次男のこの受難、果たしてどこまで続くのだろうか。

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薔薇族復刊記念

あたしゃホモではないのだが、最近のオタの好みが「男の子だっていーじゃん」な方向に向かいつつあるというのは認識している。という訳でお宝が出るのならば、その手の趣味がなくても掘ってみたくなるというのが職業文士というもんである。

なんで男なのか、というと、あまりに使用頻度が低かったために、自分の股間にぶらさがっているモノの正しい使い方を忘れてしまったからではないか?と考えた。要するにどんな美少女を剥いていろいろいじらせてみても、相手の快感に共感できなくなってしまっているのだ。理解できるのはもはや自分と同種のものの快感のみ、ということらしい。まあ責める気はないが、成り成りて成り余れるものは、成り成りて成り足らざるものに突っ込むのが正しい使い方というもんだぞ。

さて、かようにして求められるに至った対象というのは、確かに外見においては男の子だが、その内面は女の子である。ある種類の男性にとって、恐怖の象徴(かつては羨望の対象でもあったが)である乳房というものを取り去り(いわゆる「つるぺた」状態)、さらに「将来にわたっても乳房が成熟してくることはない、という誓約の印」を股間にぶら下げただけなのだ。結果的にこの「誓約の印」は、オタ男性の同様の器官より未成熟で小さいため、何かというと他人の同種の器官と自分のそれとを比較し、勝手に鬱になるオタのコンプレックスを解消する役割も果たしている。

要するに「恐怖の象徴抜き」「さらにそれに対する安全保障」「ついでに快感の共有が可能」という属性のついた女性としての「男の子」なわけだ。

そういうのを相手に繰り広げる「絡み」だが、巷に溢れているホモセクシュアル系のメディアにある「ウホッ」なものにはなり得ない。「ウホッ」な行為に持ち込むと、相手の「男」を強調する結果となってしまい、読者としてのオタの気分は急速に萎えていく。重要なのは「快感の共有」であって、成り余れるものを成り足らざるものに合わせることでない。せーぜー咥えてもらうぐらいと違うんか?

ということを考えてたら、なんか面白くなった。その向こうに銭の華が咲くかも知れないと思えばなおさらである(逆にいうと、それがないと見向きもしなかったはずだが)。

企画をまとめてどっか売り込む先を探してみよう。

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February 23, 2005

オタの革命は成就するか?

結論は、「絶対しねえ」。聞くも愚かだがその愚かなことを実地に検証してみよう、というのが今回の趣旨。

まあまずオタの革命の第一段階は、自業自得でモテなくなった連中(本人たちは「宿命によって」と思いこんでいるから始末が悪い)が、革命の前衛としての党を結成するところから始まる。

んで次に、アジる。アジりまくる。この点についてはオタは非常に長じている。アジりまくることにより、「前衛」の部分はかなり肥大化してくる。この過程で彼らは、カリスマの権威を決定づけるための綱領なんぞを制定したりする。既存の文書を聖典認定する場合もある。

次の段階では、時事的問題に関してさまざまな形でコメントするようになり、社会に対して一定の影響力を確保しようとする。マルクスとエンゲルスにおける「ライン新聞」みたいなもんね。

さらに次の段階では、彼らとは全然別のところで進行していた社会的矛盾(これは彼らの研究テーマではあるんだけど)が爆発する形で発生した暴動に乗じ、暴徒を組織化して権力を奪取する、という感じに進む。

レーニンはこうやってプロレタリア独裁(自称)の体制を確立したのだが、オタにこの真似が可能か?答えは否である。なんとなれば、オタとは関係のないところで進行している、オタの研究テーマに即した社会的矛盾というのがそもそも存在しないからだ。職業オタ革命家とは関係のない一般の非モテ男が、モテ男に対して「我々にも女をよこせ」と一斉蜂起する可能性はまずない。少々の度胸と金を持っているヤツは風俗に行ってハイ終わりであるし、客観的に自分が見られるものは、市場における自分自身の商品価値を高めるために、外見・内面を発展させようと努力するからだ。

資本家と労働者の関係の場合、資本家が生産手段を独占することにより、労働者との間に「越えられない壁」を作っている(19世紀の話)のだが、モテ男と非モテ男の場合、モテ男のみがちんこを持っているわけじゃないからねえ。どんなに前衛がワメこうが、「越えられない壁」を一般非モテ男が明確に認識することは困難で、なおかつ一方でその壁が存在しない、あなたもモテ男になれるんだ、という場合によっては幻想になり得る情報を吹き込むやから(わしじゃ)がいるので、壁は実在はますます疑わしいものになる。

で、こっからがさらに重要なのは、非モテ男(自称)の前衛の言うことに耳を傾け、そのもとに結集しようと思う連中は、やっぱり非モテ男だということだ。これでは権力によってすべての構成員の性的価値をゼロ認定し、強制的に再配分することは不可能になる。使用頻度の低い男性器なら山ほど集まるが、その需要を満たすだけの女性器が集まらないのである。

結局そこに成立するのは、カリスマが自分とルサンチマンを共有する輩に対し、その立場を正当化するための商品を売る小さな市場に過ぎない。しかし、多くの革命的前衛組織で見られたように、この手の組織においては、カリスマの座を狙って苛烈な権力闘争が展開され、カリスマは常にその首を狙われるようになる。これを防止するには、革命を成就させ、権力を握って次期カリスマ候補を残らず粛正するしか手がない。権力の奪取が不可能である場合、組織が先鋭的であればあるほど内ゲバをエスカレートさせ、ついには「あさま山荘」的な事件を引起こして壊滅するにいたる、と考えられる。

結論。まだカルト宗教の方が成功の可能性はある。カルトなら女性信者獲得できるからね。

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February 22, 2005

オタの共産革命に思う・その2

オリジナルの共産主義思想が破綻したのは、かなりイカれてはいたけれど頭脳明晰であったマルクスというおっちゃんが、自分を規準にして人間の価値を測ってしまったからだ、と思う。「資本論」において、1エレの布の価値はあーだとかこーだとかちまちまやっていたパラノイアにしては呆れる程の杜撰さだが、結果的にそう見える。

肉体的な能力において、マルクス並みの労働者は山ほどいる、というか、ほとんどがマルクス以上であったように思われる。だが、知識・教養・社会認識に至るまで彼と同質の労働者なんざいるはずがない。んだもんで、後の共産主義革命は、擬似マルクスたる共産党という組織をでっちあげ、プロレタリア独裁とゆーのを強調するに至った、という感じ。

労働者は元々持ってるマルクス以上の肉体に、マルクス並の頭脳が伴うまで、共産党によって「等しく無価値」と決めつけられる。だが、マルクス並にならないものについては、それなりの保護を約束する。で、「頭脳がマルクス並になったら自由にしてやるよ」と、ばら色の未来についての約束をするわけだ。

しかし、この約束は守られない。というか人間の寿命に限界があり、能力の半分弱ぐらいまでが遺伝的要素によって決まってしまうということ、さらにそれなりに基礎のしっかりした教育を受け、独自の倫理観を醸成しない限り、人間の内面的成長はいとも簡単に止まってしまう、という事実を考慮すると、守りようがないのである。こういう約束を導いてしまった原因が、マルクスが能天気であったためか、それとも天性の詐欺師であったためかはわからない。個人的にはたぶん前者じゃないかと思う。「マルクスの後継者(自称)」は残らず後者だが。

ともあれ、そういう守れない約束を基礎に「理想郷を準備する組織」を作ろうとした結果、ナニが現れるかというと、自称弱者による恐怖の逆差別体制ができあがるだけだったりする。構造的には、カルト教団に極めて近いものとなる。

オタクコミュニズム(以降、勝手にオタコミと略す)にこれをあてはめてみよう。ある日突然、オタク界のカリスマ(眼鏡をかけたマルクスを想像しよう)が出現し、男女の性価値を等しく無価値と決めつけ、自律的な市場を権力をもって停止する。しかる後に、市場全体をその手に握ってしまい、計画経済の名のもとに、再分配(自称)を試みる。だが、結果的に無価値の再分配にしか過ぎないため、需給バランスは常に実態と合わないものとなる。その誤差を埋めようとカリスマが介入するので、とどのつまりは、カリスマが独占するものの余得を、カリスマにおもねるものだけが得る、という構図ができあがってしまう。

まあ、そういう感じで見ると、北朝鮮の体制というのは共産主義の骨格を実に忠実に発展というか、暴走させたものだとも言えるし、男女の性的価値の再分配にまでマルクス主義を拡大したという点においては、将軍様は偉大であったのかも知れない。ただし、そういう「偉大な」将軍様が現在世界各国から痴呆呼ばわりされているのも、また否定のしようのない事実であろう。

…という感じで、結構面白くなってきたので、まだしばらくオタコミ考察ごっこを引っ張る所存。

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February 21, 2005

オタによる共産主義革命に思う

ふとしたきっかけで、モテないと思い込んでいる連中の心理について考えてみた。

ちなみにワタクシは、補正なしの状態でのナンパの成功率は、野球の打率みたいなもんだと思ってる。イチローみたいな天才でも4割にはなかなか届かないが、その一方でレギュラーを維持できているのなら、なんぼなんでも2割前後ぐらいは当たる。つまり、俳優並みの美男子がイチローで、金なし地位なし顔もダメな男でも、不振のキャッチャーぐらいに相当すると考えているのだ。だが、実際にはさまざまな補正が入るため、モテるヤツの打率は9割ぐらいにまで跳ね上がるし、モテないヤツは永遠にヒットなしの状態に陥る。なんでそうなるのか。打席で目ぇつぶるようなマネをしくさるからだ。

「目ぇつぶるようなマネ」というのは、目前の異性を見ず、自分も見ない、ということを意味する。いや、異性に対しては、主として外観でその価値がなんぼぐらいかと値踏みをするのだが、自分自身が同じ理屈で値踏みされるのを極端にイヤがるのだ。半端な値段つけられるぐらいなら、タダと言われた方がいい、と思い込んでしまっている。

そりゃオタの値段は安いですよ。でも、タダってこたあない。市場全体から見て適正と思われるレベルまで価格を下げれば、売れますよ。んで、人間のいいところは、売り買いされた時点での価格が最終的な価値にならない、というあたりにある。特に知識と経験を売りにする人間の場合、年喰った方が価値が高くなることが往々にしてある。それまで価値が下落しつづけていたものが、40過ぎてから急反発する、ということはほとんどないのだが、20代30代微増だったものの上昇率が40過ぎてから跳ね上がる、ということはある。

そういう現実を見ようとしない連中は、市場でやり取りされるものの価値を等しくゼロにしようと、共産革命を夢見るようになるんだが、アレをやった後の社会がうまく機能しない、ということは、21世紀においてはもはや常識である。オタの共産主義革命が成功することは絶対にないとはわかりきっているのだが、それでも間近いところでアジ演説やられるとうっさいので、万一そういうのが近づいてきたら力の限りぶん殴ってやろうかと思う。

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ちゅどーんの謎

見つからなかったのでミクシィで「できんボーイ」に関するコミュニティを立ち上げたみた。

が、作ってから丸一昼夜、後で泣く赤鬼のようにそわそわしながら覗いてみても、誰もやってこない。

鴨川・江口・田村と並び称された70年代を代表するギャグ作家の代表作なのにー。「ちゅどーん」を生み出した画期的な作品なのにー。

やっぱこれまでなかったのには、それなりの理由があった、ということなのだろうか。

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微妙にあせる

ひょんなことから不惑を越してエロゲのレビューの仕事なんぞやるハメになった。

んで、土曜の深夜に家族が寝静まってからやってたのだが、ちと衝撃を受けてしまった。

ナニに驚いたかというと、お話のテーマが「自分探し」であって、そこで強引にストーリーを展開させ、かつ終えてしまっている、という点にである。つまり、主人公が主人公以外の人間をそれとして認識できるようになっておしまい、という形だったのだ。この話のパターンそのものは、「エヴァ」以後ぽこぽこ出現してきていたので別に珍しいとは思ってなかったが、あれから10年も経ったので、そろそろ飽きられ、「次のパターン」が模索されるようになってきてる、と考えていたのだ。だが、どうもエロゲ作家のアタマの中では、依然「自分探し」は巨大なテーマであり続けているらしい。

ワタクシにとって、主人公が「自分は何者であるか」と悩むことはさほど大きな問題ではなかった。何者であっても、他者との付き合いの中で持てる才能を最大限発揮するような形に追い込んで話を作っていく、という手法をとっていたからだ。が、あくまで自分探しをし続ける話が想定読者層においてデフォルトであるなら、ワタクシの作った話は理解不可能なものになってしまう。理解されなんだら売れはせんがな。

というわけで、某司法試験浪人の手を借りながら、「自分探し」を部分的に取り込んでプロットの原型を作ってみた。が、ワタクシのやることである。探していた自分が見つかってめでたしめでたし、となる話なぞ作るはずもない。作るのは、自分が見えてない状態で、浮世から何らかのサービス(エロ小説なんだから、美少女たちによる特殊な接待、ということになるわな)を受けてしまい、気持ちいいんでへらへらしてたら、ある日突然請求書を突きつけられた、という感じの話だ。ちなみに請求書には「あなたの命貰い受けます」と書いてある。自分自身の動的な価値というのを見出せていないんだから、命貰うしかない、という理屈だ。

結末はまだ見えてないけど、それでも自分探しにこだわるのならウルトラバッドエンド、探すのをやめて行動すればグッドエンド、ということになるだろう。ゲームだったら両方描けるんだが、小説の結末はひとつしかないので、さてどうしようか。

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February 20, 2005

教育の再生

テレビ見てたら、荒廃した教育をどう再生するか、ということについて討論してた。

ポイントは、教員採用試験を通過してきた能力があるはずの人たちのやる気をいかにして喚起するか、ということになってがが、これはとんでもない間違いだと思う。

だって教員採用試験って能力で取ってるわけじゃないもん。地方の場合、あれはしかるべき文教族の県議会議員に付け届けをして通過させていただくもんだ。

その番組では、「90年代から教員の質の低下問題が起こって…」とか言ってたが、それも当然である。かつては「付け届け枠」以外に「実力枠」と呼べるものがある程度あったのだが、90年代以降、将来の少子化に備えるため採用数を減らしたから、「実力枠」が消滅してほぼ「付け届け枠」のみになってしまったからだ。

とりあえず教育の再生のために必要なのは、地方議会の議員と付け届けの仲介していた校長・教頭を1000人ほど逮捕することだと思うが、どうよ?

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February 19, 2005

今度はブラインドタッチか!

ゲーム脳に関するタワごとに関連して調べもんしたら、今度はこんなのが出てきた。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__990435/detail

>「ブラインドタッチができる人は小脳だけで条件反射的に無意識で打つ。そうなると、指先を動かす脳の部位の隣にある大脳のブローカ野(言語中枢)への血流が悪くなってしまうんです。文字は手書きで書いて、指先を刺激するほうが大脳を活性化させます。また、電車の中でも携帯電話を見ていると、脳が休まる暇がない。脳にとってはマイナスです」

この教授には、手書きの数倍の量の商業文をブラインドタッチで量産しつづけているワタクシの脳を調べていただきたい。言語中枢と小脳とどっちが発達しているか、よーく調べてくれ。

医者にはこの手の幼児的な「ねたましく恐ろしい」の感情を制御できないヤツが多いように思えるのは気のせいか?

…医者って、もともと科学者というより呪術者の系譜に属する職業だからかなあ。

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「ゲーム脳」脳の恐怖

寝屋川で小学生に殴りこみをかけたガキに対して、「ゲーム脳の恐れがある」などと指摘する専門家(たぶん自称)などが出てきたそうだ。

「ゲーム脳」なるものが単なる妄想であることは、元祖となった本が出てから半年以内に証明されてしまったと思う。が、にも関わらず「ゲーム脳」の存在を信じている、というか、より強く信じざるを得ない人が少なからず存在する。こーいう構造の脳を持った人を「『ゲーム脳』脳」と名づけたい。

実在可能性が幽霊やUFOとほぼ同程度である「ゲーム脳」よりも、実在が確実(少なくとも言い出しっぺの大学教授はそうだ)でなおかつそのアヤシイ言説を広めつつある「『ゲーム脳』脳」の方が社会的にはずっと問題だと思う。

「『ゲーム脳』脳」とは言っても、脳の構造そのものがどうこうというわけではなく、専門家でなくても指摘できる簡単な心理構造の問題であろう、とワタクシは考える。要はゲームやってる人間に興味があるが、理解できないのでねたましくかつ恐ろしいのである。この学者センセイの場合、自分の権威付けのために、ゲーマーを狙い撃ちにしたのだが、「ねたましくかつ恐ろしい(でもやっぱちょっと興味ある)」という心理は、他の「ゲーム脳」信者同様たっぷり持っているのだと思う。興味を持つのはいい。だけどねたむな恐れるな。それは迷惑だし、本来恐れを取り除くためにある学問を、恐れを強化するために使ってしまうのは、学問そのものに対する冒涜である。

まあ、「ゲーム脳」信者を否定すると、家に篭もってエロゲやってるやたら理屈っぽくなったヤツとかが、我が意を得たりとばかり尻馬に乗ってくるのだが、そういう連中の心理構造も「『ゲーム脳』脳」とそっくり同じだからね。社会的名声とか女性とかに興味があるが、その本質を理解できない(本人は自分が疎外されていると誤解している)からねたましくかつ恐ろしく感じるようになり、攻撃的になる。

結局「ゲーム脳」の教授ってのは、自分の影に向かってウェーハッハッハと吠えていただけなのか。結局、人ってのは、「自分」を表現することしかできないんだなあ、と妙に納得したりして。

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不景気の元凶

サザエさんの視聴率が上がると不景気、だが、その不景気の元を連載しとったのは朝日新聞だよな。

…つくづく国の足を引っ張ることしかやらん組織だ。

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February 17, 2005

サザエさんと株価

サザエさんの視聴率が低いと株価が上がる、ということを大和総研がまとめて発表したとのこと。

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_02/t2005021730.html

ならば打ち切ってしまえ。萎縮しまくったマイホーム市場主義は悪影響しか及ぼさんのだから。

あと、恐らくロリエロアニメよりもここ三十年青少年に悪影響を及ぼしまくったドラえもんも永久封印を希望。

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最後に記憶に残るもの

商業文士としては、何をおいてもまず多くの人に読んでもらえるような文章を書かにゃあかんです。

が、読者の妄想をきれいにトレースしただけの話では、読み終わった後に「これ誰が書いたんだっけ?」と奥付見て貰えない。だから、90%ぐらい読者の妄想に合わせつつ、最後の10%で意表をつかにゃいかん、と思います。まあ、これは基本の型みたいなもんだから、本を出すタイミングとか版元とかによって臨機応変に変えていかなきゃならんもんでもありますが。

で、読者の心に長期に渡って残るイメージ、つーのをどっかで盛り込まなきゃいかん。そこでワタクシ、喜怒哀楽どのような感情が一番長期にわたって印象に残るんか、ということを考えてみた。

その結果得た結論が「微妙にグロい心地よさというのが一番長く残る。」とゆーものであった。

何か抽象的なメッセージというのも長期に渡って残るんだが、今現在ふりかえってみて、中学生ぐらいの頃に読んだり見たりした作品のメッセージ、っつーのをほとんど忘れている自分がいるわけで。メッセージが形を持ったものであればあるほど、時代の流れとともに陳腐化したりもするしね。

大量に仕事こなして頭がボケた時、ワタクシの頭の中に最後まで残るのは、映画版の「デューン」の最後の頃のポウルの妹エイリアが、炎の中恍惚とした表情で頭を振るところだったりする。あれがワタクシにとっては「微妙にグロく心地よいイメージ」の極致なのだ。

最近の作品は、「千と千尋」がそういう心地よいグロさに溢れている。あれはきっと多くの人の心に長期に渡って居座る作品となるぞ。

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February 16, 2005

ドラえもんとのび太の秘密

とは言っても大したことではないです。今朝方ふと気づいたのですが、設定上ワタクシはのび太やジャイアンたちと同じ年(1964年生まれ)なんですな。

ということは、のび太・ジャイアン・スネ夫は今年本厄だ、ちゅーことなんですわ。

のび太厄除けの大祈祷、とかやらんのですか?>佐○厄除け大師さま。

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ネタもと

ひとつ前の「秋葉原の王者オターザン」のネタもとは、比較的最近(ターザン映画としては)作られた「グレイストーク」つー映画だ。アーアーとほたえてロープで空飛ぶ筋肉ダルマ、ではなく割とマジメにジャングルに捨てられた貴族の子であるジョン・グレイストークの苦悩というのを描いたもんである。公開された当時高校生だったが、妙に印象に残った。んで、後になってから主演が同じクリストファー・ランバートの「ハイランダー」なぞにハマったのだから、どうもああいうテイストの映画に引かれる素養というのを持ってたのだろう。ショーン・コネリー(禿を隠さなくなった後)も好きだし。

いずれにしろ、こーいう70~90年代のメジャーになりきれなかった映画というのは、萌えエロ小説のネタもとになるんとちがうかなー、と最近思うようになってきたのだった。「グレイストーク」は、主人公を美少女に変えてしまうと、洋風「もののけ姫」になるし。最近ハリウッドの人たちは日本の漫画・アニメばっか見てネタ漁ってるんで、テイスト的にはかなり近くなってると思うです。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」は「ポーの一族」のパクリだし。

てな感じで、「これ使えるんと違うか?」と思うようになった作品はこんな感じ。
「美少女ロビン・フッド」(ネタもとはコスナーのに限定しなくても可)
「アーサー王もの」(これも最近の「キング・アーサー」ではなく、「エクスカリバー」なんかでも可)

あと、かなりいじらなければならないだろうが、「フラッシュ・ゴードン」を下敷きにし、「フレッシュ・ゴードン」風味を混ぜた萌えエロ小説はかなり面白いものになりそうだと思う。

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秋葉原の王者オターザン

相次ぐ幼女に対する猟奇犯罪発生とは直接関係ない「オタをなんとかしろ」という世論に負けた日本政府が、秋葉原と呼ばれる地をコンクリートの壁で外界から隔ててからX年。秋葉原は文明を忘れたオタクとやおいが生息する野生の世界となっていた。

そんな中、伊豆大島の温泉旅行から帰る途中のイギリス人貴族・グレイストーカー卿の自家用飛行機が神田川に墜落する。グレイストーカー卿とその妻は墜落のショックで死んでしまったが、二人の息子は奇跡的に生き延びた。群れを離れて秋葉原の片隅で生活していた心優しいやおいが、赤ん坊を拾って数年育てた。やがて育ての母は、狂暴なオタクに虐殺されるのだが、その子は一人でたくましく生き延びる。約20年の後、かつての赤ん坊は、すべてのオタク・やおいを屈伏させる秋葉原の王者として君臨するようになったのだ。

秋葉原の状況を日本政府に報告するためやってきた学術調査団の一員・ジェーンは、好奇心に駆られ一人で危険な中央通りの奥地に行き、そこでオターザンにさらわれる。むちむちうはうはナイスバディのジェーンをさらって来たのに、何もせずにDVDでエロアニメを見て興奮するオターザンにキレたジェーンは、2次元画像よりも自分の方が魅力的であることを、この野生児に教えこもうとするのだった。

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February 15, 2005

乳首に負ける人たち

ふと思い立ってGoogleで「シャラポワ 乳首」というキーワードを指定して検索かけてみた。

すると3万2000件以上のページがヒットしたのだ。

これは相当な有名人でなければ超えることのできない数字だ。

ちなみに「山本リンダ」だと約2万5000件で、シャラポワの乳首に負けているのである。だが悲しむことはない。日本国民のほとんどすべてが、ロシアの小娘の乳首に知名度で負けている。

とは言うものの、自分の名前でぐぐるのがちと怖くなったな。

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さらに次のネタ

思いついたら忘れないように書いておこう。

どうせ出せる版元は限られているので、タイトルだけで中身がわかるようなのがいい。てなわけで出て来たのが

「木綿の忍者・桃影」

てなの。木綿は仮面と韻を踏んでたからてけとーに付けただけ。これから強引に意味づけしていくことになるだろう。「桃影が戦国最強のくの一と恐れられるようになったのは、奇跡の衣料『木綿のぱんつ』を身につけていたからである」とかなんとか。

あとはまあ、元が赤影なんだから「○○がまだ××と呼ばれていた頃、△△に□□教という…」というフレーズを考えるべきだな。「金正日がまだ将軍様と呼ばれていた頃…」

いかん。現代劇にするとヤバくなるから時代劇にしよう。

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February 14, 2005

タルコフスキー万歳

一応、「萌えネタ」ということで、ビーチバレーの無敵デュオが宇宙のあっちこっちに出かけて無茶な死闘を繰り広げる、という話の輪郭を考えてみた。

ラストバトルの会場は惑星ソラリスの海岸である。

敵は実体化した自分の心の中の自分自身ということになるんだろうか。なんかかっこいいぞ。

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新作に着手

11月の初旬からPC系の仕事ばっか怒濤のごとく押しかけて来たが、2月頭になってそれが一段落した。で、このままPC系の仕事が来なくなったらどうしよう、などとちょっとだけ怯えながら(ちょっとだけ悲観的になった方がいいことを経験から知った)、エロ小説のプロット出しとか執筆に取り掛かった。

これまた経験から知ったことだが、この版元の場合(他の場合は知らんよ)、表紙でがっちりと「何がテーマの本か」ということを知らしめないと売れない。んで、今回は「バイクに乗った女の子」ということにした。表紙はバイクを背景にレザースーツのジッパーを半分ぐらい下ろしてるとこである。これなら「バイクが出てくるやらしい本」ということはわかるだろう。

ここで問題になったのは、ワタクシのバイク関連の知識が10年以上前に止まってしまっている、ということである。そういや乗ってた750を腐らせて廃車にしてからもう5年も経っている。で、必死こいて抜けた「記憶」を埋めるために資料集めてみた。ふーむなるほど。最近ではレーサーそっくりの市販車って、カワサキしか出しておらんのね。昔はヤマハとスズキが特に熱心だったような気がしたが。

なんのかんの考えた上で、ヒロインが乗るバイクはZX-10Rということにした。昔の日本のナナハンの倍以上のパワーがあるが、車体小さい(上野のバイク屋で現物を見た)から、女の子が乗っても不自然ではないだろう。後は細部のでオタのみなさんに喜んで貰えるような描写ができるかどーか、という点だが、カワサキのサイトにあったビデオ見ると、アイドリング時のエンジン音が上記の腐らせて捨てたGPX750Rとそっくり同じだったので、あれに乗ってた体験をそのまま文章にすりゃあいいか、と思った。

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February 11, 2005

宣伝するぞー!

つーわけでして、うちの事務所を間借りしているソフトハウスのデビュー作ができあがったので紹介しておくです。

保健室純愛アドベンチャー「Pure×Cure」!

アマゾンってエロゲも売っておったんですねーたんですねー。

んで、肝心の内容ですが、前評判すっごく高いです。アマゾンのランキングもさっき見たら5位だし。

かなり短期間に初回版消えてなくなると思いますんで、早く買わないと後悔しますぜ。

原画はこのページの左下の本の挿絵描いてくれたぎん太さんなんで、パッケ絵のノックアウトされた人はこっちも合わせてゲットだ!

なお、この書き込みに関しては、似たようなことをやっている仲間内のサイトでトラバ付けまくって臨時ウェブリンクを作ることとする。

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戦争はじまってるよねぇ

将軍さまがサッカーに負けた腹いせに核保有&六カ国会議無期限ぶっち宣言をした。

んで、某掲示板とかでは「上等だ。日本も宣戦布告しろ」とか「テポドンが飛んでくるガクガクブルブル」とかの書き込みが相次いでいるが、ワタクシ的には戦争ってもうとっくに始まっちゃってるんだと思うけどどうよ?

正月前後に相次いで見つかったニセ札って、大元を辿ればやっぱり現代のカリオストロ公国に行きつく、と思ってるのはワタクシだけじゃないだろう。いや、確証とかはまるでないんですけど、「かーねでこころをよごしてしまえ」の死ね死ね団方式をリアルでやってきた、というあたりに例の国の一連の行動に通じるヒッキー特有の短絡というか、オタクスピリットが感じられるのです。たぶん向こうにしてみれば、これで経済戦争を仕掛けたつもり。でも、日本政府によって船を締め出され、事実上100倍返しを喰らってしまっている。

この後は、要人暗殺未遂とか、地下鉄サリンみたいな都市テロとかが発生する可能性がある程度高まるとは思う。が、その前に周辺諸国が将軍さまの心をもう一回折っちゃえば(すでに一回2002年9.17に折られている)、ゲームは終わる、とワタクシは考える。周辺諸国の政治・経済的圧力によって折られるのが一番出血が少なくて望ましい。普通の国なら、国内の反政府勢力が心ともども首の骨を物理的に折りにいく、てのも考えられるんだが、あそこだと可能性低いだろうね。

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ニートの日

何でも昨日2月10日はニートの日だったということで、あっちこっちで(主として掲示板内)記念式典というか、ニートに対して罵声を浴びせるステキなイベントが催されたらしい。

んで、お友達のミクシィの日記でも、それが話題になって、「ニートなんていう横文字で呼ぶから付け上がるんだ。『珍走団』並みに恥ずかしい名前にしろ!」という意見が出てきた。

そんでワタクシ頭を捻って考えて、「ひでぷ」なる呼称を考えたのですがいかがなもんでしょう。「ひっきー」で「ぷー」だから「ひでぷ」。そーいやもともとの「ニート」には「家にひきこもる」という意味は入ってないな。学校に行かない、仕事してない、修行してない、って意味だものな。

それはともかく「ひでぷ」である。この言葉には、いつまでもひっきーでぷーな生活をしていると、いつの日か革ジャンを着た怖いお兄さんがやってきて「貴様には地獄すら生ぬるい!」とか言って正体不明のツボを突かれ、「ひでぷ」と叫んで爆裂することになるんだよ、という恐怖のイメージをこめたつもりなんすけど。そうなりたくなかったら働け、って感じで。

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February 10, 2005

怒濤の営業

自転車操業でコケないようにするためには、最も忙しい時期に必死こいて営業活動をするのが鍵となる。

昨年、2~3月と7~8月に仕事のピークがあったのだが、忙しさにかまけて営業せんかったら5月と9月が暇になり、あとで必然的な貧乏に苦しまなければならなかった。

んで、11月から今年の1月にかけてやってきたピークの際には、その点を反省して仕事しつつあっちこっちに営業かけたのだが、これが今になって芽をふいてきた。かけた先の大部分がエロ小説関係というのがなんだが、一つだけエロでなく、しかもかなりの大物がかかっているので、逃がさないように慎重に詰めないといかんだろう。

ついでに、出入りしているライターの人も、いつもかかずらわっている零細版元以外でも大きめの仕事貰ったんで、前にこのブログで設立を宣言した「タウリン2005」なる集団にも実績ができ、総合エロ小説創作集団として世間一般に認知していただけるようである。こんなことすると、また嫁に「子供が思春期になる前に足を洗え」と言われそうだが。

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February 08, 2005

民主主義について考える

中国で、旧正月に帰宅するボンボン学生が田舎の両親に見せるための「恋人」を借りるというビジネスが流行している、というニュースを見た。

http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050208-0008.html

中共は成立当初はみんな貧乏だったから結果的に「平等」になったけど、多少金が入るとたちまち先祖返りし始めたようである。たぶん今は民国初期から清朝末期の境目ぐらいになるんだろう。完全に清朝に戻る前にもう一回革命が起こるのかどうかは予測できないけれど。まあ、革命と呼ばれるかどうかはともかく、大規模な流血を伴うろくでもない事件は起きることになるんだろう。

日本における左巻きの人々は、結構能天気に「弱者は美しく、連帯し、助け合う」と昼日中から夢見ているが、「貧すれば貪す」のことわざ通り、社会的に底辺に置かれた集団ほどその内部での階層区分は厳密になり、差別が激しくなる傾向がある。半島北部の国家に、呆れるほどの階層区分が存在するのはその典型的な例だろう。

マルクスが「万国の労働者よ団結せよ」と言ったのは、たぶんそう言わないと労働者どもは永遠に内ゲバを繰り返し続ける、と考えたからだとも思う。あのおっさん基本的にイカれているが、時たま鋭いものの見方をする。

それはともかく、差別が激しい社会になると、その中にぽつんといる「人」が、外部から勝手に「旦那」「奴隷」などと再定義されるようになる。ただ「人」であることは許されない。近代社会はこれを嫌って万人をただの「人」にするために構築されてきたのだが、その結果生まれたただの「人」は、「人」である限り無価値であり、自分自身の実力で自分自信を再定義し続けなければならない、という羽目に陥る。例えば、ワタクシがエロ小説書いて「風俗紊乱文筆業者」と後ろ指指されるのも、ある意味ただの「人」でいつづけることができない(餓死するわい)から行なった自己再定義活動の結果である、と言えるのだ。まあ、中には医者の一人息子とか、自己再定義の必要のないのもいるが、一応日本においては自己再定義が必要な連中の方が主流派だということができるだろう。で、自己再定義をする能力がないヤツが、社会に出ることを恐れてひきこもる、と。

別に能力がないことは罪ではない。生物学的に同じ種族なんだから、能力に差のないのがあたりまえで、差がつくような能力を持っている方が異常なのだ。ないやつに能力を要求する社会の仕組みの方が間違っているのである。

ここで最初に話が戻るのだが、順調に中華帝国に先祖返りしつつあるかの大陸国家の中では、自己の努力によって自己の再定義が困難であるというデメリット(能力のあるヤツにとっては致命的)があるが、その反面、ほっといても自分が何ものかに再定義されるので、すべての人が生まれながらに何らかの社会的価値を持ってしまうのである。

まあ、価値とはいっても「ボンボンの正月帰郷の添え物」とか「乞食」とか「売春婦」とかになるのが大半なんだけれど、それを受け入れちゃえば、大きな外的変動がなければそれなりに生きていくことができる。

現在「平等国家」たる日本において、あーいう国のシステムに多少なりとも憧れを抱いちゃうヤツがいる、ということは、隠然たる事実だと思うんだがどうよ?

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February 07, 2005

つくってないよっ!

また長男大福丸の話。最初に断っておくが、実話である。

今日、一緒に風呂に入っている時のこと。大福丸ナニを思ったかいきなり
「ぼくねー、お風呂の中でおしっこするんだ。」といい始めた。

「いかんぞ。そんなことをしたらおしりを叩いてやる。」

「お風呂の中でおしっこするのー。」
「おしりを叩く!」
「お風呂の中でおしっこー」
「おしりを叩く!」
「おしりの中でおしっこー。」

…その時、40度近くはあるはずの風呂の中の湯が、オホーツクの海よりも冷たいものにワタクシには感じられた。息子よ。頼むから将来ウホッな人にはならないでくれ。

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まっくすはぁと

昨日日曜日の話である。

腹が痛くて眠れなかったので、結構早く起きてしまった。で、娘の相手などをしていると、テレ朝で例の番組がはじまっちゃったわけね。

オープニング曲が以前とおんなじだけど、合いの手に「MaxHeart」と入れると何となく新番組っぽさが出てきた。たいしたもんだと感心する傍ら、これはネタになるぞと思いついた。

んで、昼食(メシがまだ喉を通らないからスープだ)を喰っている時、「N○Kのど自慢」が始まった。うちの娘(5歳)と長男大福丸はどういうわけだかこのテーマソングが大好きで、これが始まるとにこにこしながら手を叩き始める。

そこへ父の悪魔の唆し。
「いいか、この合間のところで、『まっくすはーと!』と叫ぶのがイマいんじゃ。しっかりやって幼稚園で流行らせろ」

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いつか使いたいフレーズ

忘れるといけないので、ここに書いておこう。

「所詮この世はどっかで寝ている俺の夢に過ぎないのだ。」

だから一世一代の大博打を打ったとしても、それは必ず自分に有利な方に転ぶのだ、という偉い不遜な台詞である。
土台になってるのは、「一炊の夢」だけどね。

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February 06, 2005

息子大福丸の変貌

親馬鹿と言われるのを承知でいうが、うちの娘(5歳)と次男はかなり今風のイケた顔をしている。

長男・大福丸だけはぱっと見「将来が楽しみだねえ」と言われる顔ではないのだが、目は大きいし色は必要以上に白く、唇の色もよい。ついでに睫毛が長い。さらに言うと1000人に一人の見事なほっぺたの持ち主である。つまり、構成はアレだがパーツ単体は決して悪いものを持っているわけではないのだ。

さらに長男、目が奥二重であり、普段はほぼ一重にしか見えないのだが、風邪とかひいてやつれるとぱっちり二重に変わる。で、今回ちょっとひどめの風邪を引き込んだため、かなりはっきり二重になってしまったのだ。

その変化を見た嫁は、「お父さん大変だ、息子が美少年になってしまった」と言ってきた。確かめてみるとその通りなのだが、今風のイケた感じにはほど遠い。もともとがお公家さん風の顔なので、目と睫毛が必要以上に強調されることにより、歌舞伎役者の子供か美少年モードのパタリロみたいになってしまっていたのだ。妙な色気さえ漂うようになってしまった目元は親から見てもちょっとキモい。

大福丸は午後になって風邪のダメージから復活し、がつがつメシを喰ったらもとのトボけた3歳児に戻ったが、いつまた歌舞伎調美少年に変貌してしまうとも限らない。そういう息子を見たくないので、彼の健康管理はしっかりやろうと、嫁と誓い合ったのであった。

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February 05, 2005

さようならみなさんさようなら

おとといの夜に腸が動かなくなる風邪にかかった娘(5歳)がけろけろけろっぴになって以来、わが家は洗面器と浣腸の乱れ飛ぶ阿鼻叫喚のスカトロ地獄となった。

娘がある程度元気になったかと思ったら、今度は嫁がトイレの友となり、さらに長男大福丸が倒れた。嫁は「このままでは浣腸が必要かも知れん」などといい始めていたが、ワタクシには自分の女房に浣腸かける趣味はないし、嫁の側にもされる趣味はないらしかったので、そっちの方は放置することにした。

で、どういうわけか元気であった次男をさっき寝かせつけてふと気づいたのだが、なんだか腹が重い。

うちの場合、この手の病気の最後の犠牲者になるのはワタクシなのだが、どうも今回も順番が巡ってきてお迎えが来たようである。

というわけで、さようなら、みなさん。さようなら。

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表現の自由について考える

いや別に深刻な話じゃないんですけどね。

実は今仲間内で、「電子出版やろう」という計画が持ち上がってるんですわ。

電子出版の場合、現在ではまだ「著作権の切れたかつての名作か、しろーとの自己満足作品しか売られてない」という状況なんですけど、そこに商業出版物を作った経験のある連中が、そのノウハウをつぎ込んで「著者直販」の形で売れば、ちょっとした小遣い稼ぎ程度にはなるんと違うか、と思ったのですよ。

無論「著者直販」とは言っても、ライターが書いた原稿をそのまま垂れ流すのではダメで、挿絵・扉絵などを込みにしてきっちりパッケージングするわけです。ただ、目的は既存の電子出版市場で流れている「商品(多分に自称)」と比べて誰の目から見ても優位にあると認められることで、紙媒体の素材に投入されているのと同じコストを投下することはないです。そうすると明らかに赤字になるから。

で、こーいう作品になると、編集者の縛りが消失するので、紙媒体の出版物で「そのネタやばいからやめて」と言われるようなもんも書けちゃう、ということなんですね。とりあえず、メジャーなライノベの場合エロはご法度で、マイナーなアキバ系書籍の場合、エロはOKだけど、時事ネタの一部とか、あまりにネタ元が見透かされるパクリ(つまり同人レベルのパロディ)はNG、なんて感じになる。電子出版系でも、時事ネタの一部とかモンティパイソン級のギャグはNGであり続けるんだろうけど、同人レベルのパロディはある程度まで許容されるんと違うかなあ、と考えておるですよ。

要するに、結論としては、電子出版なら「まうみん」を書けるかなあ、やっぱダメかなあ、と悩んでいる、ということなのですが。

ちなみに「まうみん」がなんだかわからない人はこの日記のバックナンバーを参照のこと。

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地球のファンタジー

PC系の仕事が一段落していたので、ここんとこ主に創作系の仕事の準備などをしていた。

で、ファンタジー系の作品のプロットなどを作っていたのだが、そこで気づいたことが少々。

ライノベなんかの半分ぐらいはファンタジーな舞台設定もつけど、そのほとんどは背景となる世界を独自に作り出すことができず、既存の大ファンタジーの二次創作的な立場になってるわけですな。ネタ元になっているのは言わずと知れたトールキン大先生の指輪物語ですが。

これに対して、オリジナルのファンタジックワールドを構築できているのは50本あればいい方で、思いつくとこでは、ハワードのコナンシリーズ(ギリシャから見た蛮族の世界がベース)、ナウシカ(未来の話だけど、中央アジア系)後宮小説(中国の架空王朝)なんかがある。基本的にファンタジーはなんか土台になる神話伝承が必要なんだけど、ゲルマン・ケルトの場合トールキン大先生の縄張りになっているので、ここで新規になんか作るのは難しい。

で、それを避けたい人たちが中央アジアとかローマとかを舞台にしたのを作って、そこそこ成功しているように見える。

ワタクシもファンタジーするからには、トールキン大先生の縄張りを荒らすのよりは、影響のない世界をベースにして、多少なりともオリジナルっぽい、と評価してもらいたいと考えた。

幸いというかなんというか、ワタクシはモグリの歴史学者モドキであった時代がちょっとあったので、その時の知識を生かしてファンタジックワールドを一個作ってみた。ロシアとその東方・北方からビザンツを見る、という感じの世界で、たぶん日本のライノベレベルではこっちから話作る人はいなかったんでは、と考える。もうちょい南の方からビザンツ見たのはあると思うけど。

全体的に見た場合、ヨーロッパとその周辺部で残っているのは、あとはフィンランドの神話伝承ベースのやつぐらいじゃないかなあ、と思う。ここはムーミンとその亜流「まうみん」しか作品が存在せず、「カレワラ」がほとんど手付かず(ワイナミョイネンだけがガンダルフのベースキャラクターとして抜かれた気もするが)で残っているから。

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プリンセスメーカー

幼稚園で胃腸にくる風邪をもらってきたらしい娘(5歳)が、ちょっと粗相をしてしまった。

あとしまつがちゃんとできないのでは?と思って、手伝うためにトイレのドアを開けたら、開口一番

「ヘンタイ」

と言われた。

この場合もやはり娘を誉めるべきなのだろう。

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February 03, 2005

墓穴を掘る人たち

「自分は結構上手に世渡りしてるんだ」と思っている人はそれなりに多いんだろう。

が、そういう人に限って、なんか肝心なところが大幅に抜けていて、モノを書くと「わたくしは間抜けでござい」という証拠を文章の中に残していったりする。

ごく最近の有名な例では「1200度で焼いた骨からはDNA鑑定はできないはずだ(ウェーハッハッハ)」というアレがありますな。これだけの短い文であるにも関わらず、読んだ人のほぼ100%から「たかが火葬にどうして1200度もの高温を発生させる必要があったんじゃ!」という突込みを引き出すことに成功している。

また、ミクシィなんかでは、自分がオタであるその事実をひたすら隠し、社交的でファッションなんかにも興味あるよーということを強調しようというプロフィール持っている人とかが見つかるが、必死になってそうしているが故に正体バレバレだったりする。

これまでワタクシは、「こいつら、ひょっとするとわざとそういう風にしてるんじゃなかろうか、いや、それは考えすぎだ」と思っていたのだが、さすがにこうも大量にそういう例を見せ付けられると、「わざとだ」と断言せざるをえない。彼らは理解できないししたくもないが、そうやって自分の墓穴を掘りまくって穴に飛び込み、マゾ的な快感に浸っているのに違いない。

こういう風に物事を断言しちゃうと、視野が狭くなって将来的に付き合っていける人間の数が減るんだけど、断言しておくとその後さまざまな推論を巡らすのが楽になり、短期間であるものごとについて考えたことの結論を出すことができるようになる。付き合える人間の数が減ったところで、どうせ有限の人生、すべての人と善隣外交で付き合っていくだけの時間なんぞないのだから、はたで考える程不都合は生じない。

墓穴人間は上の1200度の例を見てもわかるように、往々にして鬱陶しい「かまってちゃん」であることが多いので、ワタクシは今後とも相手の人格にかわいげがない限り無視し、縁を切りつづけるだろう。

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ピラニア

本日午後6時頃、ここのページの参照数が急激に上がったのですよ。

アクセス解析のとこみて、「なんでこんな風になったのか?」と思ったら、アップルのこと書いたせいだ、ということに思い当たった。

なんかみんな新製品とかスゴイ裏情報とかがあるようだ、と考えたらしい。

悪かったねえ。悪口で。

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February 02, 2005

奇怪なる改革者

ふと思いついたこと。日本の場合、左っかわの人ほどキレイ事をいい、自分を良識ある人物に見せようとする傾向が強いように見える。

が、左っかわの人って、最終的には既存の秩序を星一徹のごとくひっくり返すのが目的であるわけで、ということは旧体制から見ると秩序の破壊者であるわけだ。

つまり、革命に成功してひっくり返しに成功しない限り、犯罪者と呼ばれることを甘受しなければならん、ということなんですな。

で、現在の状況を見る限り、外見的には日本は共産革命を経験しなかったわけで、そっち方面の理想に向かって努力していった人は、墓の下に入ってもなお、「ど外道」と罵倒されまくらなければならないのですが、あんまりそうなってませんな。というか、死ぬ前にそういう覚悟を決めていた人すら、ほとんどいないのではなかろうか、と。

世の中すべてが「勝てば官軍」ではないことは明らかなんですが、困ったことに「革命」とか「改革」とか、「既存秩序への挑戦」なんかを志向してしまった場合、「勝たないと何の意味もない」という状態にロジック上はなってしまうのですね。だもんだから、革命を成就させずにくたばった日本の左っかわの活動家に対しては、右も左も唾を吐くべきであって、こんなものを称えてはイケナイ。称えるのはなんか気持ち悪い。

そういうことするのは、死んだ後でも「あれはモラルのないオトコだった」と言われることを覚悟した上でエロ小説書いているワタクシ以下と言われてもしょうがない、と思って欲しいです。

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February 01, 2005

貴腐人の微笑

根本的に「笑い」というのは、その笑いの元になる感情を、笑みを向けられた相手と共有するためにあるんとちゃうか、と思う。

例としては、ワタクシがへらっと笑った次男を抱き上げ「おーそうかー、うれしいのかー」というのなんかが挙げられる。次男はまだ1歳の赤ん坊だが、笑うことによって親とかにうれしいという感情を共有させる術だけはしっかり身につけている。

が、世の中には、「ごめんその感情共有できんわ」というタイプの笑みを浮かべる人、というのがいるのだ。千代田区のどまんなかに住まうやんごとなき御一家というのもそうだが、あの場合生活環境が一般人と違い過ぎるので、共感させられない方の責任も共感できない方の責任も追求することはできない。単にそういう事象がある、と言えるだけで、それについてああこう言うことは意味がない。

ああこう言えそうなのは、年季を経てあさっての世界に行ってしまったオタクや貴腐人が時たま見せる微笑みの方だろう。これは半ば以上自分から望んで(自覚しているかどうかはともかく)笑いかけた相手との感情の共有がないのと前提としているように見える。微笑みかけられた方が「ごめん悪いけどその感情共有できない、というかはっきり言ってしたくない」と思っちゃうように見える笑顔を、向けられたことあるでしょ?(同意を求めてどうする)

まあ意味はないけど、この笑みが出せるかどうかが、腐女子と貴腐人の境界線になるのかなあ、と例によって根拠もなく思ったのであった。

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続・張り倒せ!

娘(5歳)が朝食の後、幼稚園の制服に着替えずにぱんつ丸出しで走り回っていたので、ひとつ教育してやろうと思った。

「こらこら。家族以外にぱんつを見せびらかしてはいかん。」

すると娘(5歳)、こちらを見て「家族ならいいんだね」と天使の笑みを浮かべると、父の側にきて

「ほらお父さんぱんつぱんつ」

といって父の目前で尻を振り始めた。

…今回は負けを認めざるを得まい。

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January 31, 2005

帰ってくる鮭

書籍の年間売り上げが、8年ぶりに前年比プラスになったのだそうだ。

http://www.shinbunka.co.jp/shuzainote/043.htm

しかも、売れているのは文芸書だそうな。プラス変化の牽引車になったのはハリーポッターのようだが、こちらの人の分析によると、やっぱり底辺も開拓されているようだ、とのこと。

ワタクシ的にはこの分析基本的に合っていると思うが、それ以外にもいくつかの要因が考えられるのではないかとも思う。

80年代末から90年代にかけて、さまざまな新娯楽が登場した。で、それまで書籍と漫画だけで脳内妄想遊びをしてた連中が、そっちに流れた。「そっちの娯楽」は景気がいいんでどんどん金かけて大作化(たいさくか、である。だいさくかではない)し、クリアまでに時間がかかるものとなる。21世紀にはこれに加えてデジタル家電が登場し、ユーザーの「時間」を大量に食いつぶしまくった。

一方、かつて持てる時間のほとんどすべてを遊びに使うことができた子供たちも成長し、社会の歯車となって標準的には週に40時間ほどを、任意の企業に売り渡さなければならなくなる。結果、小学生でもわかる理屈で、娯楽に使える時間が減る。

それでもなおかつ遊びたい、という連中は、企業に自分の時間を売り渡すのを拒否して遊び続けた。景気が悪くて仕事がなかったことと、「子供たち」の親の手元に小金があったせいで、一定レベルまではそれは許容された。

が、「子供たち」の親が年を取り、なおかつ微妙に景気が良くなって選り好みさえしなければ仕事が見つかるようになってしまったので、「子供たち」へのプレッシャーは高くなる。そうそう引きこもって遊んでばかりもいられない。てめぇ自身が次の世代の「子供たち」の親になってしまったらなおさらだ。

だがだからと言って、すべての遊びを放棄するわけにもいかない。そこで「子供たち」は時間を喰いまくる娯楽から、似たようなテイストを持っている、より時間のかからない娯楽に回帰するようになった…というのがワタクシの読みである。

無論、これがすべてのケースに当てはまるわけではなく、ごく限られた一部がそうであるだけに過ぎないだろう。だが、2005年もまた、前年に比べると書籍の販売数はほんのちょっと伸びるのではないかと、ワタクシは予想している。

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メジャー化失敗(笑)

ココログのトップでやってた「サトエリの映画のネタ募集」に、どういうわけかワタクシの著作を推薦してくださった方がいたとか。

で、結果ですが、推薦してくださった方にはまことに申し訳ないが、あっさり落選。都合4発前後も最後までやっちまうシーンのあるエロ小説(18禁ではないが)なので、当たり前っちゃ当たり前か。

まあそのうち、推薦しがいのある作品を書くっちゅーことで、今回は許してくださりませ>推薦してくれた方。

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January 30, 2005

張り倒せ!

娘(5歳)の尻を冗談で撫でたら、びびんたを喰らった。痛かったが、女としてはそうあらねばならん、と思って誉めた。

「いいか、お父さん以外でお前の尻を触る男がいたら、必ずびびんたをするのだ。」

「おじいさんをぶってもいいの?」

「いやいかん。おじいさんも除外だ。そうだな。一緒にお風呂に入ったことのない男は張り倒せ。幼稚園の同級生でも、小学校の先生でも遠慮はいらん。力の限り張り倒すのだ。」

とまあ、基準としてはこれでよかったのではなかろうか、と思う。

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愛がないと辛いもの

部屋の中にiMacとLC575が転がっている。

はっきり言って、嫁にはうざがられている。イマドキのPCと比べると本体がでかいからだ。

こいつら、スタイルを売りにした製品なので、子供にはウケがよい。長男・大福丸と長女は、こいつを見ると争って電源を入れ、マウスを振り回して操作しようとする。一般的なPCに対するより、Macに対する食いつきがいいのは事実だ。カッコいいものに引き寄せられてしまうのは、大人も子供もあんまり変わらないらしい。

が、やっぱりMacって、特に日本の家族持ちに使われるということをまるっきり考えてない設計なんだよな~。

LC575については、とりあえずイーサネットアダプタを激安で手に入れ(アキバでジャンク品を漁った)、ネット端末にしようとしたが、安心できそうなブラウザが滅びており断念。そんならと68K用の怪しいDebianを突っ込もうとしたのだが、Xが起動せずこれまた断念。道具としては極めて中途半端な状態に陥る。いや、それしかない状態だったら、手を入れて「いい道具」に仕上げられるんだろうが、残念なことにワタクシの持ち時間は一日あたり24時間しかなく、LC575に割いてやれる余りはない。

iMacの方は、2年ぐらい前に「ガラクタMacを再生しよう」というムックを書くときに引っ張ってきたものだ。LC575と比べるとだいぶ新しいので実用になるかと思ったが、まず無線アダプタがくっつかない、という大欠点があることが判明。無線で繋がんないと、子供部屋に置くことはできんがな。あと、搭載メモリが32MBで、OS9入れたらアプリ一個起動しただけで壮絶にスワップしまくるらしいということもわかった。

無線の方は、イーサネット接続タイプの外部アダプタを使えば何とかなる。メモリの方も足せばよい。だが、それらを全部買うと、Macmini半分ぐらいに相当する銭を支払わなければならんのだ。だったら、もう半分出してMacmini買うわい。

という感じで、道具として使おうとしてもうまくいかんのだが、捨てるのももったいないしなあ、ということで、いまだに部屋の中に転がしたまんまなのだが、これ本当にどうにかならんだろうか。

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January 29, 2005

いのちだよ…

人間はこれまでいろんな機械を作って、自分の身の回りを効率化・快適化するシステムを作ってきた。しかし、気がついてみるとそのシステムの中のボトルネックになってしまっており、その事実に気づいて唖然とするようになったのが「21世紀」という時代なんじゃなかろうか、と思ってきた。

システムの部品としてあまりにダメであるからこそ、自分がダメでないということを何とかして証明して貰おうとする。これがいわゆる「癒しブーム」の底にあるものではなかろうか?

実際問題として、人間が既存の「システム」に立ち向かえないかというとそんなことはない。機械というものの本質を理解して、必要に応じて自分も鍛えまくれば、対等以上に渡り合うことが可能である。

しかし、圧倒的多数の人は、そのようにしてシステムの中での自己の存在意義を認めて貰おうとはしない。求めているのは、「努力ナシ。ただ自分がそこにいるだけで自分に機械とはことなる別の意味を認めて欲しい」ということ。小説のようなエンターティメントに対しては、このような要求はさらに過度になる。読んでて辛くなるような話を、金だして買おうとはワタクシだって思わん。

とは言うものの、徹底して相手の妄想通りに進むヌルい話だと、作品としての質が下がってしまい、読解能力の高い読者(いわゆるマニア)に支持されない。この層を捕まえておかないと、自分が作ったモノを他の作家と区別して貰えないので、売文家としての寿命は短くなる。死ぬまでこの業界で生きていこうとするのなら、相手のヌルい妄想を、一点でいいから裏切るような仕掛けを持ち込まなければならない。

以上のようなことを前提として小説なぞを書こうとすると、物語内の読者の分身である主人公に、ある大きな報酬を与え、その代償として何ものかを奪わなければならない。別に等価交換にする必要はないが、「取引」が一切欠けた状態だと、話全体がウソ臭り、リアリティが失われる。必然的な結果として、「よりよい妄想」ではなくなるのだ。

さてここで本題である。作中に姿の見えないメフィストフェレスとして現れた作者が、読者の分身たる主人公に「取引」を持ちかけるのだが、この読者困ったことに何も持ってない。人より優れた知恵も、身体的能力も何もない。そういう人間だからこそ「癒し」を求めて妄想小説なんぞを読もうというのだから、これについて文句を言うのはある意味間違っているので、メフィストは泣く泣く「しかたがないあんたのいのちを貰いましょう」ということになってしまうのだ。

結果的にこうやって作られた話は、近松なんぞの心中物に極めて似た構造を持つに至ると思う。読者が求める極上の美女との永遠との愛を保証してやるから、代償として命を投げ出せ、というパターンである。命が惜しいのなら、命をかけて何事かをなしとげればそれでいいのだが、それを辛いと読者が感じる間は、主人公に死んでもらうしかあるまい。

実はもう一つだけ「死なずに済む方法」というのはある。それは自分の価値というものを素直に認めてしまい、それとほぼ等価な報酬で満足する、というものだ。これだと主人公はラストで、絶世の美女と別れ、美人でも処女でもないし、性格もそれなりでしかないが、自分を等価のものだと認めてくれるパートナーと共に生きていく、という展開になると思う。

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January 28, 2005

欲しいデジカメ、いらないデジカメ

ソニーのサイバーショットは安ければ欲しいが、

カリフラワー頭のオヤジを念写することしかできないサイババショットはカネ積まれてもいらない。

とまあ、一発ネタ。

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単車

次の小説書きの仕事では単車を扱う予定である。

80年代のオタというのは結構単車好きで、当時単車に乗ってあちこち走り回ると、オタ体型のヤツがVT250Cなんぞに乗っているのがよく見られた。当時の単車は結構デザインがガンダムっぽかったところも、オタが単車好きになった原因ではなかろうか。

ワタクシは大学4年の時に試験場に通いまくって限定解除し、その後15年程カワサキGPX750Rに乗ってた(一回事故で潰し、その後フルパワー逆輸入仕様相当を買い直した)のだが、その後乗らずに腐らせ、4年程前に廃車にした。

んが、今住んでいるところが上野バイク街のどまんなかであることもあり、小金が溜まったら単車買って乗りたい、とまた思うようになってきた。一応、実家のオヤジが一台持っており、もうすぐ体力的にオヤジはバイクに乗れなくなるので、その単車は自動的にワタクシのものになるはずなのだが、側車つきのGL1500なんで軽快に乗る、というわけにはいかない。子供乗っけてどっかに行くにはこっちの方が便利なのだろうが。

ワタクシのバイク知識はたぶん1990年代始めで止まっている。だが、あれ以降バイクのスタイリングはほとんど進化していないみたいなので、それでもついていけた。

でも、もうそろそろワタクシの記憶の中にあるバイクが現役機種ではなくなりつつあるようで、ちょいと寂しいような。やっぱGPz900Rの販売が中止されたあたりが、時代の区切りだったのだなあ、と思った。

次に乗る単車としては、ばくぜんとGPz1000RXあたりかなあ(前のより古い機種に乗ってどうする)、と思ってたのだが、もうフロント16インチのタイヤなんぞ製造しとらんそうだ。モノは上野にあるのにね。でも、タイヤ減りまくるほど乗れないだろうから、山調べて充分余っていたら、「買い」かも知れない。

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January 27, 2005

106円

これはなんなのかというと、昨年一年間ワタクシがアマゾンのアソシエイトで稼いだ金額なのだそうだ。

ナニが買われたのか通常はわからんが、売れた日付だけはわかったので、それを頼りに日記のバックナンバー見たら、えろたんだったらしいということが判明。

なるほど、いーかげんにやってたけど、案外売れるもんなのね(ここらでいかにこの手の効果を低く見ていたかがわかろうというもの)。

んじゃ、今回は大盤振る舞いということで、リンクいっぱい作っておこう。取り敢えずこれは一番新しいの。なんかサトエリが自主制作映画のネタを募集したら、推薦してくれた人がいたという一作である。たぶんスタッフには読まれてねぇだろうが。

あとはこれか。これはアマゾンだと書名間違えられた上にアダルトジャンルに入れられてしまった(中身は18禁でない上のやつのがエロいぞ)という、局部的に不遇な本である。メールで文句言ったのだが、なおらないねえ。

あともう一冊、昨日か今日あたり出る本(半分ぐらい書いた)があるんだが、これはまだアマゾンでは買えないみたい。

さて、どれだけ売れるかな。売れますよーに。ぱんぱん。

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中国恐るべし

…と、宮刑について書いてたら、こないだ見た記事を思い出した。

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_01/t2005011902.html

なんでも中国大陸には性転換手術を希望する連中(ほとんど男)が40万もいるそうである。さすが宦官大国。

この国ではひょっとすると、宮刑は刑罰ではないのかも知れない。

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性犯罪者への罰

言っとくがワタクシは法律の専門家などではない。とある事情から道路交通法の一部には詳しくなってるが。

という前置きをしておいて本題だが、性犯罪者は宮刑に処するべきである。

根拠そのいち。性犯罪は異様なまでに再犯率が高い。これは統計なんぞ見なくても、自分の胸に手をあててみればすぐわかる。さああなたもやってみよう。明日から死ぬまでエッチできないと宣告されて、我慢できますか?

いくとこまで行っちゃった変態の場合(無論変態全部がそうだ、というわけではない)、性行為=深刻な犯罪に限りなく近くなってしまう。いじめに耐えかねて姑を刺したりするのとは訳が違う。エージェントスミスでもない限り、姑は一人殺せばこの世からいなくなるから、やろうと思っても再犯しようがないからね。というわけで、エッチしたいと思う根源を取り除かんと、またやる可能性が高くなる。切りましょう。すっぱりと。

まあ、近代の法の精神によれば、死刑以外で肉体に損傷を与える刑罰というのはやっちゃいけないことになるんだろう。肉体を損ねると、反省して社会復帰することができないから。

が、すべての犯罪者に、反省してまっとうな社会人となるのに充分な時間は与えられてないんと違うだろうか。人生案外短いっすよ。少々のコトなら反省は可能だろうけど、一定限度超えちゃったらもうその人の残りの人生では、反省も謝罪も不可能だと思うです。んだからすっぱりやっちまって、他の連中のみせしめになった方が、まだ世の中のためになる。

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January 26, 2005

お金があったら欲しいもの

来年娘が小学校にあがるので、日本刀が欲しくなった。

と、前段と後段が全然関係のない文(しかもかなりヤバげ)を書いているようだが、実はこれが関係あるのだ。

わが家では、もしも娘が猟奇犯罪の犠牲になった場合、ケリは国家権力には委ねず、父が実力でつける、ということに家族会議(笑)で決定している。とりあえず、そういう事件が発生したら、嫁は即座に離婚届を出して犯罪者になる予定のワタクシと縁を切り、長男が成長したら元の姓に復させる、という段取りまで決めた。

猟奇事件は発生しないに越したことはない。それは当然である。だが、いざと言う時のためのマニュアルを作っておくのは大事だし、その決意を表明することは、こうした事件への抑止力になる。このように宣言したワタクシが本当に日本刀持っている、ということになれば、「あいつマジだ」と思って娘はより安全な状態になるであろう。

というわけで狙っていたのは、自分と同じ名前である「城慶子正明」という刀(池田屋で近藤勇の養子が使ったという、実に微妙な由緒を持つ)だったのだが、なんか平成になってからも「正明」銘の刀が作られているらしい。新撰組にはこだわらないので、こっちでもいい。

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January 21, 2005

確かに正月から1キロ半増えている

家で微妙に残った仕事を片付けていたら、三歳になる長男(幼名・大福丸)が「おとーさん、はじまったよー」とか言いながら部屋に乱入し、そのままワタクシの手を取ってリビングまで走った。

何事かと思ってつきっ放しのテレビをみたら「元祖でぶや」が始まっていた。

あれに出ている連中を父の友人かなんかだと思ってるのか?このガキは。

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January 19, 2005

微妙にオヤジギャグ

いきなり脳裏に「ベアボーンガンダム」という言葉がひらめいた。

売ってたら、買うかもしれない。

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下半身の大東亜共栄圏

これはある人から頼まれたテーマに基づく駄文である。

ワタクシは年にいっぺん台湾に行くのだが、行く度に思うのは、あっちの女の人ってスタイルいいよなー、ということである。ケモノの喰い方がうまい、つまり動物性たんぱく質とかコラーゲンとかだけきっちり摂って、油は摂らないように喰うから、手足がすらっと伸びて薄着で歩くと非常にええ感じなのだ。本来北方の蛮族の衣装だったチャイナドレスが、華南でも一般的に着られるようになったのは、中国系の女性のスタイルがこういうすらりとした清楚さを強調する服に似合うものであったためだろう。

が、スタイルはいいけどこっちの女性は体の凹凸の方はあんまりない。ひどい言い方をすると、丸太に肉まんくっつけたような感じで、最初はいいけど短期間で飽きちゃうタイプなのだ。中華皇帝が女性の大量コレクションに走ったのは、やっぱり彼女らが基本的に「喰い飽きる体型」をしていたためではないか、とも考えられる。

皇帝だけでなく、一般庶民もやっぱり長い間眺めたり触ったりしていると中華女性の肉体には飽きてしまうらしい。それが証拠に、台湾のケーブルテレビのジャパネットたかたみたいな番組では、セクシー下着とか胸を大きくする下着とか、亭主の情けないナニを奮い立たせるための薬とかばっか売っているのである。日本と異なり、夫婦間における和合というのを重視する文化を持っているということを割り引いても、少々やりすぎなような気がする。

彼女らにも、同情すべき点はある。というのは、アジアの男性の下半身は、今やほとんど日本のAV女性に支配されてしまっているからだ。台湾だけでなく、アジアの各国のちょっとした町には、無修正のVCD(最近DVDにシフトしつつあるようだ)があふれており、そこに出演しているのは日本女性ばっかなのである。日本女性は、着衣の状態だとなんだかまるまっちくてお団子のようだが、脱がすと見事な三次曲線で構成されているというパターンが多い。さすが弥生時代から米を主食としてきた民族だけはある。丸太に肉まんばっか相手にしてきた中華な男性が、こういうのを見せられるとかあちゃんほったらかしで夢中になっちゃうのも仕方がない、とも言えますな。

ちなみに、AV作って販売してたのは、これまでは日本のみだったのだが、ここにきて香港産とか韓国産とかもちらほら見られるようになった。しかし香港の場合は女優さんがちょっとおばはん過ぎで、韓国は若いのもいてそれなりに過激なことするんだが、日本でいうと援交ものみたいな感じで、撮り方が粗いし美形度もいまいち。日本産AVを脅かすようになるまでにはあと10年はかかると思う。

てな感じで、台湾では大部分の男が、自国のそれなりにスタイルのよいねえちゃんをほっぽらかして、日本のAV女優にハァハァしてるわけでして、そういう意味では、靖国の英霊たちがなしえなかった大東亜共栄圏(ただし下半身限定)をAV女優が確立してしまっているらしいのですな。この影響をほとんど受けてないのは北朝鮮の人民ぐらいですが、あそこの場合将軍さまが目一杯支配されまくっているので、事実上アジア全域制覇と言っていいかと。

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ツキと運と命

というものを、分けて考えようとここで提案したい。

ツキというのは純粋に数学的確率の問題で、誰にでも起こり得る現象である。

だが、寄せては返すツキの波を分析し、それぞれに対して適切な対応を取っていれば、そのツキでもってであった人たちがその人に好印象を抱き、よりレベルの高い「運」という形の贈り物をくれるようになる。

要するに、行いの悪い奴にとってはツキはツキのままであり、「運」にまで高めることなぞできはしない、というわけだ。

オタはほとんどが「いつか俺にも運が向いくる。その時はビッグにのし上がるのだ」と妄想しているが、自分以外は人類と認めていないためにツキを運に高めることができない。というわけで、大部分のオタはそのままカンダダとなる定めとなっていると思う。お釈迦様でも助けられない。

さて、運というやつをさらに人徳でもって高めていくと、元気玉のようにあっちこっちからその人に対する期待というやつが集められてきて、何か大きいことをなさざるを得なくなってくる。ここではこれを勝手に「命」である、と定義する。

一応「命」は人徳の積み重ねでもできるのだが、ほとんどの場合運を命にまで高めている間に人間側の寿命が尽きてしまうと思うので、やっぱり天与のものと考えた方がいいんだろう。ちなみに、命はあったが運はない、というやつは歴史上かなりいる。義経なんかも命あって運なしの一例だと思う。命と運の両方があったのは太閤秀吉と北条早雲ぐらいね。

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January 18, 2005

前世魔人の正体見たり

このブログは実はミクシィの日記と連動している。

んで、今日ミクシィでふとある人物を探してみたくなり、検索ページを開いてみたら驚いた。

ナニに驚いたかというと、ミクシィやってる連中の職業構成にである。偏っている。すごく偏っている。

まあ、一番多いのは大学生・院生で、次がIT関連となるのはある意味自然ななりゆきだと思う。これでもかなり偏っているが。

だけど三番目に「クリエーター系」がくるってのはどうよ。そんなに多いのか?ワタクシの同業者は。だったら仕事をやってもやっても喰えないのもあたりまえだなあ。

ミクシィの職業てのはあくまでも自己申告だから、なんちゃってクリエーターが多いのは事実だが、自称にしてもここまでいるとは思わなんだ。どーりでもの書き系のコミュニティ作ったら、変な足跡がいっぱい増えたわけだわ。

というわけで、ミクシィは人間の屑(自分含む)の吹き溜まりだったってことだ。

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January 16, 2005

エロもの作成業者の心得

年末に奈良でカヲル君が逮捕されて顔写真が公開されたとき、ワタクシは「なんか典型的なオタ顔だよなあ」と思ってしまった。ついでに、「これでまたマスコミとかがオタバッシングするなあ」とも思った。

んがしかし、「バンキシャ」が得意の「スタジオ内に○○を再現」で、カヲル君の部屋の中を再現してしまった際に、ワタクシは「ああ、やっぱオタじゃなかったか」と思った。

中にあったすべてのものが、あまりにもストレートに「女児に対する性犯罪」に向かいすぎていたのである。

オタの場合、対象となる女児そのものにいたる前に、アニメだとか同人誌だとかフィギュアだとか、そういう二次元的な創作物というのを必ずさしはさむ。現実には存在しないのだが、アダルトビデオデータのないオタの部屋、というのは理論的には存在し得る。だが、二次元的な創作物がなく単にエロアイテムだけが存在するというオタの部屋、といのは現実的にも理論的にも存在し得ない。カヲル君はオタではなく単なる性的倒錯者である。倒錯にいたる原因において、オタがオタ街道を驀進するようになったきっかけと同じものを含んでいる可能性は否定できないが、到達した場所は180度異なる。

んじゃ、オタは「白」で、カヲル君だけが「黒」なのかというとそうは言えない。オタは「ヘタをすると性的倒錯者に転ずるかもしれない一般社会人」である。一般人がちょっとしたきっかけで性倒錯者になるのとほぼ同じ比率の危険性を、オタもまた持っている。オタの場合、その危険な一線を超えたときに対象となるのが年端のいかない少女方面に収束する傾向が強い、という点において、一般人と異なっているだけなのだ。ごく最近、生けるオタの神が「ばばあ萌え」という新パターンを提示したので、今後どうなるかはわからんが。

あっちこっちで言い古されている陳腐なテーマだが、自称文化人の方々はカヲル君のような性犯罪者が登場すると、エロもの作成業者のせいにして、そっちを弾圧しようとする。確かにエロもの作成業者の中には、性犯罪を煽るような形にした方が売れる、と考えているのもいるから、業者側が無反省であったら弾圧は一般世論に支持されるようになり、実行されるだろう。だが全部が全部性犯罪幇助を目的としているかというと、必ずしもそうではない。

ワタクシは個人的には、エロ作品こそが、オタの性欲をうまくコントロールし、危険な一線を超えないようにするために最も有効な武器である、と考えるクチである。少なくとも自分の作品については、それを手本にしても性犯罪は起こせないように仕上げてある。「電車男」の例もあるし、実は今後数年はそういうパターンの方が商品としてウケる、という確信も持っている。それを確信できる間は、自称文化人によるエロ弾圧に抵抗しつづけることができるだろう。

ところで、今日テレビで見たカヲル君は、オタではなく単なるイカれた中年男に見えた。ひょっとすると、最初のカヲル君の写真は、印象操作のためにレタッチかけられてたんと違うか?

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民族大移動

2005年、すでにもうPC関係の書籍業界は絶滅の危機に瀕しているように思われる。

もともとPCという機械にはくそ生意気な若い衆が年配の管理職などの鼻をあかすための武器という役割があった。だからくそ生意気な若い衆とか、一般的な社会全体に不満を持っていた思想が左方向の人が大枚をはたいて購入し、それに引きずられて情報誌・書籍も売れたのだ。

が、21世紀になると、PCを扱えることはごくあたりまえのことで、それが使えたからといってそれだけで出世なんかはできはしない、ということが明らかになってしまった。ついでに90年代初めにくそ生意気な若い衆だった連中も年をとり、家庭を持ってこれまでのようにPCに対して湯水のごとく金を使えないようになる。当然、PC業界全体は冷え込む。

業界全体が冷え込むと、それにひっついて暮らしていたもの書きどもは必然的に生き方の見直しを迫られる。あるものはDVDレコーダーなどのデジタル家電方向に活路を求めたが、家電は「マニュアルなしで使える」のがデフォルトで、今のDVDレコーダーのように情報誌がないと使えないのは欠陥品であるに過ぎない。EPGで何の苦労もなくハイビジョン放送が録画でき、家庭内ネットワークに配信できるような機械が出れば、それでおしまいである。そうなったらあとは、オーディオマニア雑誌業界と同じ道を歩まざるを得ないだろう。こっちに逃げるのは、あんまり得策ではなさそうだ。

んで、ワタクシはどうしたかというと、ふとしたきっかけからアキバ系カルチャーライター(名前だけはなんか偉そうだ)を経て、萌えエロ小説書き方向に進出した。こっち方面にくるのはあんまりいないんだろうなーと思っていたのだが、実はこれはとんでもない考え違いだったらしい。

長い付き合いのある、前職と現職がいっしょ、という某マッチョライターの方も、話を聞いてみるとこっち方面への進出を検討しているとのことだし、ほかにも探してみるといやもう出るわ出るわ。出版社にしても、PCで喰えなくてエロゲ雑誌→萌えエロ漫画に小説、と移動してそこでブレイク、というパターンが結構ある。考えてみればPCも萌えエロ小説もどっちもアキバで売ってるもんだから、そーいう方向に行くのは自然な流れなのだろう。PCライターがエロゲのシナリオも書くのは、今や常識といった観がある。

あんまり自分を特別な存在だと考えてはいけないものである。

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January 15, 2005

オリンパスC-21Tを買う

この数ヶ月あまりにも倹約しまくった生活をしていたので、無駄遣いがしたくなった。

本来ならば、E-300をどーんと買ってしまうはずだったのだが、仕事の関係でiBook買わなければならなくなったので、それは叶わぬ夢となってしまった。だが、無駄遣いはしたい。

というわけで、ヤフオクにアクセスして、実用性のあるいっちゃん安いデジカメを探し、C-21Tを買った。

こいつは比較的明るめの単焦点レンズを搭載したコンパクト機、ということなので、冬場にコートのポケットに入れて(夏場は薄着しているのでパス)おいて、「これは」と思った時にちゃちゃっと撮る機械になってくれるのでは、と考えたのだ。

が、電源を入れてから起動するまでが結構長く、ささっとだしてちゃちゃっと撮るのは難しかった。ついでにかなり電力を喰っているらしく、60枚も撮るとリチウム水素バッテリがカラになる。実は今日、仕事場からの帰りに128MBのスマートメディア買ってきたのだが、とても128MB分(HQモードで260枚ぐらい)は撮れねえ、と思ったので他のカメラに入っていた32MBのに入れ替えた。これだとちょうど60枚ちょい分である。

露出とかの設定をある程度いじれるカメラの場合、古くてもかなり使えるモデルが多いのだけれど、この手のコンパクトカメラの場合、ある程度新しくないとダメなんだなあ、ということが実感できた。「ちょいぱしゃ」系のカメラとしては、今後もしばらくはソニーのU10を使うしかあるまい。

こいつには子供用のカメラとなってもらい、余生を全うしてもらおう。

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January 14, 2005

Teamタウリン2005結成

もの書きの仕事のサイクルは、営業→執筆→ひとやすみ、の順番となる。

が、ページ単価の下がっている昨今では、このサイクルを短縮しないと喰っていけないのである。これはPC系のもの書きだろうと、エロ小説書きだろうと関係ない。

というわけで、執筆作業が一番忙しい時に営業せんといかんわけだが、なかなかできるもんでもない。

だから、営業部門を他のもの書きとシェアして、この部分を短縮し、仕事が終わればすぐ次の仕事ができるような状況を作ろうと考えた。

幸い、うちの会社のオフィスは無駄に広い。今は居候の某美少女ソフトハウスが追い込み時期になっているので正体不明のもの(人間含む)があっちこっちに転がっているが、作業が終われば多少片づくはずだ。

んでここに、営業をシェアするもの書きさんを安価で居候させよう、とそういう腹づもりであるわけだ。まあ、本人が懐不如意である場合、無理に居候を強制するわけでもないが。

アキバ系の書籍の場合、絵描きとペアだった方が何かと売り込む時に有利なので、絵描きも募集するつもりである。

チーム名だが「タウリン2005」と勝手に付けた。初期メンバー全員の賛同が得られれば、これでやっちゃうだろう。

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January 13, 2005

調査続行中

ゆうべ、ルーセントのチップセットを使ったUSBスティックがあれば…などと書いたが、その後の調査でそんなもんはまず存在しないであろうことがわかった。

ルーセントは基本的にカードの状態で他メーカーにOEMとして出荷しており、チップセットのままでは出してないのだ。だから、「加工品」はほとんどないということになる。加工品がないから、物理的にくっつけちゃえばドライバのインストールさえ不要ですぐ使えることになる、という利点もあるのだが。

AirMacカードはコネクタ部分はPCカード形式のくせしやがって寸法の方は一般的なPCカードよりもかなり短い。だから同じルーセントチップ搭載のカードを持ってきても、そのままでは内蔵できないからアタマの部分をギリシャ神話の狂暴な宿屋のオヤジのごとく切り飛ばすことになる。CFタイプがあれば、そーいうご無体なことをしなくてもすむかなあ、と思ったのだが、どうも甘かったようだ。

結論。やっぱ旧メルコのルーセントチップ搭載カード使った方がよさそうだわ。あれはネットワークメディアプレーヤーとかの他の家電機器との相性もよい(理由は上に書いた通り)ので、数枚買いだめしておいても損はないだろう。

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January 12, 2005

ワタシは運がない

仕事で使うためにヤフオクで激闘してポンコツiBook買ったのだが、それが届く今日になってこんなものが発売されてしまった。

http://www.apple.com/jp/macmini/

スペック見る限り、かなり使えそうである。

はたしてこれ、「キューブの再来」になるのか、それとも「墓場からよみがえったピピンアットマーク」になるのか、ちょっと期待しながら見守っていきたいところである。

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January 10, 2005

尊敬せざるを得まい

なにげなくテレビをみてたら、名古屋の万博のキャラクターを使ったアニメが放映されていた。で、さらになにげなく見たら、「監督 高橋良輔」と出たので驚いた。前々から、仕事となると何でもやる人だと思ってたが、こーいうのもやるのか(いや、赤ずきんチャチャやったのも知ってますけどね)。

あたしゃ前々から、監督のように仕事とあらば何でも手をつけて、職人的に仕上げちゃうようなもの書きになりたいな、と思っていた。だからPC系もの書きからエロ小説書きなんぞに転身したのだ。

が、今またこういうのを見せ付けられちゃうと、ただただ尊敬するしかないなあ。

ところで、監督は自分の作品を見て「この人の作品もっと見よう」と思ってビデオ屋に行った善良なお父さんお母さんが、店員に「はいこれです」とボトムズやガサラキ渡されてしまった時のことを考えているのだろうか?

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被災地の人たちが美形揃いなのは何故か?

なんかもうニュースつけるたびにインドネシアとかの被災地の子供たちの映像とかが出てるのだが。

それはいいとして、出てる子供らがすっげえ美少年美少女に限られている、と感じられてならないのはひょっとしてワタクシだけだろうか?

特にユニセフ提供とかの映像なんかは、モデルなみの子供しか写ってないような気がする。

日本人だとまあ、外国人はみんな美男美女なんだと無条件に信じ込んでしまいがちなのだが、実際そうでもないことは、休みの日にアメ横とか浅草とかに行ってみるだけでもすぐわかる(実は今日アメ横に行った)。特に子供の場合、元が美男美女であったとしても、本人がそれを自覚して自分をよりよく見せようという気がほとんどないため、「きれいに写す」のは至難の技である。んでもブラウン管に写っているのが美男美女ばっか、ということは、よーするに現地に行ったカメラマンが被写体の選別をやってるということなのだろう。しかもかなり手ひどく。

キレイな被写体を追っかけまわすのはカメラマンの業みたいなもんだから、ある程度は認めざるを得ないが、あまりにも業に振り回されて、現地のきちゃない子供たちがないがしろにされてはいないかと、ちょと心配になった。

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MSのアンチスパイウェア

というのがあるというので拾ってきた。

今まで使っていたアンチスパイウェアに比べると確かに高速なのだが、MSそのものがスパイウェアの総本山のような気がどうしてもしてしまうので、信頼性の方は今ひとつである。

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January 09, 2005

デジカメの値段

前に書いたようにデジタル機器はタイムマシン、つまり時間を短縮することによって何かを節約する機械の一種だ。だもんだから当然それ単体の価格というものが非常に重要な意味を持つ。デジタル機器に高級品はありえない。だから一般的に、デジタル機器はごく普通の人が妥当だと思う価格帯まで下がってきたときにブレイクし始める。まあデジタル以外でもこういう傾向はあるが、デジタルの場合特に顕著だ、ということだ。

2004年に出てきたオリンパスE-300というのは、そういう意味で非常に画期的な「デジタル一眼」だと思う。2003年末ぐらいから、デジタル一眼ブームが起きて、これまで銀塩タイプの一眼を使っていた人(たぶんメインは定年したとか子供が独立したとかでフトコロに余裕の出たおっちゃんたちだと思う)が、「ランニングコストの安い一眼」としてデジ一を買うようになった。が、これまでのモデルはどっちかというと銀塩式のカメラのイメージをベースに、肝心な部分だけデジタル化しましたよー、というものであり、最初っから「これ、デジカメですから」と正面からぶち当たっていったモデルはE-300までなかった。んでもって価格がこれまで銀塩一眼のコスプレしていたモデルよりもワンランク安いときた。こりゃ売れないほうがどうかしてる。実はとてもほしい。

が、そう思ってはいても3人の子供を養っているとーちゃんとしては簡単に買えないのだ。で、子持ちでも衝動買いできそうな価格帯のものを漁ることになる。

という視点で探し始めると、やっぱりオリンパス機が狙い目、ということになっちゃうのだ。なんでかというと、かつて大きなシェアを持っていたのでタマがある。また、スマートメディア使っているのが多く、将来性が不安だから中古価格が安い。さらに単三乾電池利用タイプが多いので、乾電池型のリチウム水素バッテリ使ってランニングコストを下げることができる、といいことづくめなのだ。スマートメディアの将来性にしたって、容量が大きくできないから高解像度化できない、というだけの話である。要するに「乗り換えの際メディアの使いまわしができんよ」というだけの話だ。割りきりまくってスマートメディア搭載機ばかり何台も渡り歩く(そんでも最新鋭機を1台、メディアごと買うより安い)決意を固めているのなら、なにをかいわんやである。確かにスマートメディアの生産は近い将来止まるだろうが、その前に適当な枚数勝っておけば、そのカメラの元を取れるぐらいまでは使いつづけられる。

そんなこんななので、2万まででデジカメ撮影環境全部を揃えたい、という人には、オリンパスのC-2000系とか3000系とかをお勧めしちゃうのだ。

ちなみに、ここでは画質のことはぜんぜん問題にしてないので、そこらにこだわりたい人はもうちょっと金積んで他のメーカーのを買う(別にここで推薦しているカメラの画質がダメだ、と言っているわけでもないが)べきだろう。さらに言うと、ワタクシは某雑誌に書いたMOドライブのレビューを無断転載されたことはあるが、オリンパスから何らかの利益供与を受けたことはない。貸与機一台ぐらいくれてもよかったんじゃないか、と今でも思ってる。

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January 08, 2005

Macをネットオークションで買ってはイケナイ

Mac系の仕事が来た。

内容そのものは別にMacというハードとかそれ用のソフトに依存しまくったものではないため、こりゃ簡単にできるわ、と思ったが、手ごろなMacの本体がない。

というわけで、安いMacを求め、ヤフオクにアクセスしたのだけれど、出品者が揃いも揃って勘違い価格を付けまくっているので閉口した。

4年落ちのど中古難ありサポート当然なしを定価の7がけぐらいで売ろうというのはどういう神経じゃ。

まああれでしょう。Mac使いの場合、他の人よりも過度の愛情をMacに注いでしまうので、世間一般の評価とはぜーんぜん異なった値札を付けてしまうのでしょう。んで、やっぱり過度の愛情を注いでしまっている人がサブ用としてそういうのを買うから、高値安定のまま市場が維持されちゃう、と。

とりあえずワタクシはMacに対して過度の愛情を抱いてはいないので、アキバの中古屋に行くことにした。

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「らぶたん」の次にくるもの

「○○たん」(たんは単語の意)という本を延々出している某版元であるが、昨年秋に出した「らぶたん」というのは実はワタクシの発案だったりする。これは、腐女子向けのやおい用語辞典というか、ショートショート集である。

ぶっちゃけて言うと、男の同性愛を題材としたもんだが、この世界非常に奥が深く、腐女子視点から見たものだけで語り尽くせるものではない。

んで、こいつがちょい売れたので、さらに悪のりしたシリーズもののネタを考えてみた。

まずは、ホンモノの男の視点からみた「ばらたん」。

次は、やっぱりホンモノの男視点なのだが、嗜好が先のものとはちょっと違う「さぶたん」。

最後が、あくまでネタと割り切るノンケ男向けの「うほたん」。

一番売れるのは、「うほたん」だと思うのだがどうか。

例によっておもろいと思った出版関係者がいたら、連絡されたし。「らぶたん」の執筆者付きで打ち合わせする用意があるです。

「らぶたん」の版元は、「らぶたん」と「ばらたん」以下の区別がつかないから、今がチャンスですぞ。

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January 07, 2005

デジカメ序説

基本的にすべてのデジタル機器というのはタイムマシンであるべきだ、というのがワタクシの持論である。

つまり、ものを書く速度を飛躍的に向上させたり、データ管理を効率化したりといった、時間を節約する機能を持っているデジタル機器は普及し、そうでないのは普及しない。DVDレコーダーとホームシアターシステムは、データの記録・管理は合理化したが、溜めたデータを再生する間持ち主を拘束し続けるのでタイムマシンではない。従って将来的には廃れる。

で、デジカメはタイムマシンなのか?ということなのだが、銀塩に比べると現像の手間が大幅に軽減されているのでタイムマシンである。没頭する時間が稼ぎ出せなくて、銀塩写真を趣味にできないワタクシでも、デジカメを使うのならばなんとかなる。

時間がないからタイムマシンであるところのデジカメに手を出したワタクシの場合、銀塩の人が見たら「なんじゃそりゃ」と言いたくなるような撮影スタイルを取ることが多い。

メインターゲットは子供なのだが、撮影のために適した場所に子供を連れていって…ということはしない。仕事終わって帰った後、風呂から出てパジャマ姿で室内を駆け回っているところを撮る、というのが多い。無論、よりよく映すために照明に工夫するなどということもない。

となると、ひたすら明るいレンズを搭載したカメラを使い、ノイズが耐えられなくなる寸前までISO感度を高めて撮る、ということになる。この場合注意しなければならないのは、「ブレないかどうか」ということだけだ。他の事もできれば気にしたいが、その余裕はない。

このような環境を前提にし、選んで今使ってるのがオリンパスのC-3040という製品である。こいつはコンパクトデジカメの中では一番明るいレンズを持っており、ほどほどなレベルでのマニュアル撮影が可能だ。我流で中途半端に写真の撮り方のようなものを研究した自分にとっては非常にバランスがよい。他の人にとってどうなのかは知らないけれど。

あとはまあ、子供と一緒にそこらに買い物に行ったりした時、なんかあったらパチリとやるために、ソニーのU-10を持っている。ジーンズのポケットとかに突っ込むこともあるので、レンズバリアのある小さいのがこの用途には一番いい。

こういう使い方は、たぶん銀塩カメラを趣味の道具として使っていた人から見ればトンデモな用法なんだろうが、カメラではなくデジタルの方を重視するならばごくごく王道的な使い方なのだ、とここは開き直っちゃおうと思う。恐らく、今後デジタルカメラを論じる場合、この開き直りは結構重要な意味を持つようになると密かに考えているのだが、まだこれもしばらくはトンデモ意見扱いされるんだろうなあ、とも思う。

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極小版元での出版

これまで都合三冊本を出した版元が、別ジャンルに転進するとか言い出した。別といっても隣接分野だが。

「半年間いろいろ出して来たけど、わかりにくいものが売れず、わかりやすいものが売れた」から、ジャンルで縛って全部わかりやすくしよう、と考えたのだそうだ。

んでもまあ、特定ジャンルに頼ったからと言って、それで売れるようになるほど世の中甘いもんじゃあるまい。しかも、「萌え系」という現在最強のジャンルを捨て、他に傾く理由なんぞどこにもないように思われる。

だいたい、他ジャンルに行くと、それなりに固定ファンはいるだろうが、固定ファンがいるからこそ、ライバルも数多くいるわけで。だったら、転進前にそのジャンルでガチ勝負ができる人間とか、素材とかを準備しておくべきだろう。

「わかりやすいものが売れた」というのはまあその通りだと思うのだが、それはジャンルレベルの話ではなく、あくまでパッケージングレベルの話だったと思う。

つまり、タイトルで何が主役であるかを示し、表紙絵でそのビジュアルを伝え、帯でどういう展開になるのか、というのをわからせる。重要なのはこれを今後さらに深化させることなんじゃないだろうか。

それを繰り返し、ついでに読み終わった後「カネかえせ」と言われないような中身を作り続けていくと、ゆっくり業績は上向いていくと思うのだが。

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December 25, 2004

医療関係者からの仕事

を、受けた。

病院とかそのものではなく、外国との医療交流を振興する組織なんだそうだ。

「要するに、Dr.コトーとか野口英世博士みたいな人材を育成しようという感じなんですね。」

「そうです。そういう雰囲気がにじみ出るような文章を一つお願いします。」

よしきた、と言ったワタクシは、気分を盛り上げるために「ドクター秩父山」を読み始めた。

「Dr.コトー」とか「ブラックジャックによろしく」みたいに医者が主人公の漫画なんだから、文句は言わせまい。

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これはちょっとイヤだ。

「忠臣蔵」のように、暮れの風物詩になってしまった「フランダースの犬」。

毎年クリスマスになると、あっちこっちの教会で、犬と抱き合っている少年の凍死体がみっかっちゃうわけですよ。

んで、それを見た人たちが、「やっぱり○○のやっているネロはいいねえ。」とか、「パトラッシュは三代前のがいい味出てたな」とか言う訳です。

ついでに、同じように風物詩化した「マッチ売りの少女」もいやだ。

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December 23, 2004

都心の憂鬱

仕事に追われて休むべき日にちゃんと休まず、子供とか連れてどっかに行くことがなかったので、車のバッテリが上がってしまった。

で、3900円でシガーソケットから充電するという機械をヤフオクで買って試したのだが、当然のようにそいつもかなり放電した状態になっており轟沈。

しょうがないので、チャージャー買おうと思って上野の町に出て行くが、バイク屋が相当数ある癖にチャージャー置いてねーんでやんの。最近のバイク乗りは単車ぶっ壊れても自分で直したりせんのかね?

で、万策尽きたからやむを得ず1万円払ってJAFを呼び、最初の一発分だけ電気貰った。

その時、やってきたおっさんが「JAF入らないんすか?」とか聞いてきたんで「20年間ずっと自分で直してきたんだけどねえ。ヘタに23区内に住んじゃうと、カー用品店とかないからねえ。んでも、機械あればほとんど自分で直せるから、今はいいや」と一応答えといた。なんでも、おんなじように、都会に引っ越してきた田舎もんが普通なら自分で直せるトラブルに対処できなくなってJAF呼ぶケースって、結構あるんだそうな。

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December 21, 2004

IMEの学習

エロ小説を書くと、IMEが変な感じに鍛えられてしまう。

例えば、「くわえる」と打って変換キーを押すと、一般人のIMEは

「加える」

を第一変換候補に出すのだが、エロ作家の場合

「咥える」

になってしまうのである。これは恥ずかしい。他にも、「ちきゅう」が「恥丘」になったり、ごく単純に「ちち」と打ったら「乳」になってしまうなど、事例は数限りなくある。

だが今日、ワタクシがなんのきなしに「とかいは」と打って変換キーを押したら

「渡海派」

という候補が最初に出てきた。

どうやらワタクシはエロ作家でもない妙な生き物に変わりつつあるらしい。

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December 20, 2004

極右との噂に抗弁する

小説のプロットがボツになった。

なんでも最近、「戦う少女」がテーマとしてはイケる、という話を聞いたので、そんじゃとばかりにWW2の話を書いたのだが、その中に出てくる赤軍兵士を「はてしのないバカ(ただし生まれつきバカなのではなく、愚民化政策の結果バカになった)」と書き、赤軍政治将校について、「逃げるバカ兵士を後ろから撃つのが主な仕事」と書いたのがまずかったらしい。

別の出版社の人に見せると、「あんた極右ですか」と言われた。史実にごく素朴に従って書いたのに過ぎないのだが、出版業界のごく一部にはまだ「赤い人=リベラル正義派」という幻想が残っているようだ。

だがしかし、そういう人に比べるとワタクシの方がずうっと世の中の左端を歩いていたようにも思えるのである。

何せ、大学は国立の文学部史学科っつーごく一部の経済学部と並ぶぐらい真っ赤なとこで、そこで最先端の赤い史学を学んでたりするわけだ。

大学出た後も、職場の労組とか、外部の労組とかと付き合ってたから、現場で赤い行動している人たちがどういう人であるかもよく知っているし。

まあ、だからオタを非難したのと同じで、赤い人を非難すると逆鱗触れまくりになるんだろうけど。

いずれにしろワタクシは、左右で分けると、原理主義に近い極左になるんじゃなかろうか、と思う。ただ、既存の左っかわの人と一緒になってなんかしよう、という気はさらさらないし、他の国における左っかわの人がそうであるように、自分の住んでいるところに対する愛着というものもある。某一家に対して敬意は抱いてないが、お役目ごくろうさんとは思うし、某一家を必要とする人に向かって、その考えを改めろというつもりもない。

それでも、今の日本ではまだ「自分の住んでいるところ(決して国だとは限らないのだが)に愛着がある」というだけで、十分右翼扱いされてしまうものなんだなあ、としみじみ思った。

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December 17, 2004

父の悲しみ

うちの次男は、健康診断の時に「真性包茎の疑いあり」とのことでそれ系の専門の病院に連れ込まれ、包皮を伸ばすステロイド剤、つーのを与えられた。

で、それ以来父は気がつくたびに次男のちんちんの皮を剥いてやっているのだが、本日ふと、「どれ兄ちゃんもやってやろう」と長男を呼びつけ、皮をひっくり返してみた。

が、長男はさきっぽが閉じているいわゆるカントン状態だったので、剥いた皮が自然に戻らず(ステロイド剤の効果か次男は戻る)、痛い痛いと大騒ぎした。

そこで再び掴まえて、指でよいしょっと戻してやったら「わー、戻った-」と大喜び。

ちんちんの皮が元に戻ったと喜ぶ息子を見て、父はなぜか複雑な気持ちになった。

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フェアプレイ

フカヒレを求めてサメと一騎討ち。

勝った方が負けた方を喰う。

すっごい公平でなんかすがすがしい。

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December 15, 2004

この一年を振り返る

1月~2月。仕事がだんだんと減ってきた、盛りの過ぎたPCライターだった。

3月。PC系から手を拡げ、アキバ系評論本のようなものを書いた。うち一冊はオタクに袋だたきに遭い、もう一冊は全然売れなかったが、その後に繋がった。

4~5月。また売れないPCライターに戻る。

6月。売れなかったアキバ系評論本の第二弾、ということで、オタク啓蒙本なるものの企画を、潰れかけた版元の社長と共同で立てる。これがなぜか「お兄ちゃん。」なるタイトルの小説に化ける。

7月。「お兄ちゃん。」出版。1週間で増刷という快挙をなしとげる。(ただしそれ以上伸びず、全体的な冊数は同時発売の「えろたん」に及ばなかった)。「これだ」と思った版元の社長、PC本を捨ててしまい、ノベルズとネタ本のシリーズを立ち上げる。

8月。2作めの小説を書く。初期段階から構想が複数に分裂したため、スカウトしてきた女性ライターに「続編」を書かせる。実はほぼ同時期に「えろドリル」の社会の原稿も書いたのだが、危険な思想に満ちあふれていたためほぼボツになる。

9月。2作め出版。売れなかった。

10月。2作めの続編出版。評判は不明。スカウトしてきた女性ライターが書いた「らぶたん」は売れた。

11月。なぜか本業も忙しくなり、半狂乱状態になりながら3作めも書く。月末に他の小説出版社と打ち合わせをし、エロ小説家として後戻りのできないところに進み始める。

12月。3作めの見本が来た。版元のツテを辿って某大手出版社の編集さんを紹介してもらい、そこに見本をさっき送りつけた。

…こういう結末になるとは、年の頭には想像もしなかったな。

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December 14, 2004

冬枯れ

モノ書きの場合、本業の文章だけを書いていると、他のジャンルのモノも書きたくなり、こーいうブログなどを立ち上げてしまうものだ。ワタクシの場合ももちろんそうであったのだが、ここ数ヶ月の間に「他のジャンル」も仕事にしてしまったので、マジにブログにモノを書く時間とエネルギーがなくなってしまった。しかも11月は生涯最多のテキストを量産しまくったので、完全に「幸吉はもう走れません」状態になってしまったのだ。

で、こーいう場合に一番の薬になるのかというと、「全力投球せんでも何とかなるヌルい仕事」である。実はついさっき、先週発注を受けた仕事がそういうモノであった、ということを確認したので、今こうやってブログ書き始めることができた、とこういうわけだ。

でも、エロ小説書けるぐらいに回復するのはいつのことか。

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November 30, 2004

たまには自著の宣伝とか

をしてみようと。http://www.softmagic.ne.jp/softmagic/syoten/haruna.pdf←これ。

前のこのブログで書いた「オタク・ミーツ・腐女子」をボツにされ、その残骸からネタを再生したらこうなった。

今まで、「オタの夢を壊さない」ということを前提にヌルい話を書いていたのだが、版元が「ガチでやれ」というので、ノアのプロレスのごとくガチでやってみた。結果、主人公の手足が飛んだ。

ついでに、エロ方面の描写もガチでやった。エロ絵の数が少ないので18禁指定ではなく、中学生でも買えてしまうのだが、中身はごっついです。

…しかし、あまりにガチでやり過ぎて、牛丼屋のカウンターでステーキを出してしまったような気がしないでもない。いや、ステーキよりうまい牛丼や、かっこだけがステーキで中身は魚肉ソーセージ以下、というのがあるのを承知の上での話。デキはともかく、こりゃオタの人の「○○ネタ」にはならんのではないか、といまだに考えるのですよ。

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November 28, 2004

もの書きが怒る時

すべてのもの書きがそうかどうかはわからないが、わたくしの場合「バカと仕事した時」は腹が立つ。考えてみるともの書きする前からそうだったような気がするが。

もの書きの仕事の相手と言えば編集だが、「バカな編集」というのはどういうのかというのを、具体的に書いてみよう。なんかの参考になるかも知れない。

まず第一は、時間が読めない編集。明日一杯で初校ゲラ出力だってのに、「コラム10本原稿全とっかえ!」なんてことをするとバカ扱いされる。記事の方針決定に関する君の持ち時間は打ち合わせの段階で終わっているのだ。ライターに書かせる前に意図をよーく伝えておかなかった君の負けである。

第二。赤入れで「…じゃないかな?」と書く編集。疑問を持つなら調べて、直すべき結果だけを書込むべし。あんたの愚にもつかない疑問に付き合ってわかり切っていることを調べ直すほどこっちは暇じゃない、ってか、暇じゃなくしたのはどこのどいつだと思ってる。

第三。赤入れの基準にバラ付きのある編集。手ぇ抜くんなら均等に抜けよ。きちんとした本を作ろうとするのではなく、上司に見られても大丈夫なように、自分が仕事をしたという証拠を残そうとして赤字入れてるのが丸分かりだぞ。あと、ライターという人種は、ギャラの額によって手を抜くけど、そのやりくちは「均等だ」ということは理解しておくように。つまり密度の濃い仕事して欲しいなら払うべきもんを払いましょうね、ということだ。

第四。何の能もないのなら腹を括れ。出版物は送り手がわの誰かが全責任を負って(形式的な意味じゃなく、本質的な部分で)作らないと売れないのである。編集がバカだとライターがやる気をなくしてその本について腹を括らなくなるので、その分編集が責任を負わなきゃならないんだけど…無能な人ってのは、蓄積された人生経験量がわずかなんで、責任を取る方法ってのをまるでわかってないのだよなあ。

なんでこういうことを考えているのかというと、ついさっきまでそういうバカの仕事してたからなんですな。いやー、間に一件編プロさん挟んでるんだけど、その人がかわいそうだわ。

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November 25, 2004

火の鳥になる

生涯最大の仕事の山に襲われたワタクシは、疲労の極に達しておった。

長い間「千枚男」のペースで仕事してたんで、とうの昔に腱鞘炎などは突き抜けてしまい、今ではなんぼタイプしても短期の筋肉痛しか感じないようになっていたのだが、今回は骨にきた。

ついでに、ずっと椅子に座って同じ姿勢を続けていたので背中も痛いし、伸ばせないから脚も痛い。

で、とうとういくら頑張っても仕事の能率が上がんなくなってしまった。このまま無理に仕事すると、「もう疲れたよパトラッシュ」状態になることは必至である。

悪い時には悪いことが重なるもんで、風邪もひいてしまった。

が、ここで奇跡が起こってしまったのだ。風邪の熱が、全身の関節系の痛みを取り去ってしまったのである。ようするに、熱で痛みが焼かれちゃった状態になったんでしょうな。

自分が火の鳥の親戚みたいなもんであるとは、今日まで気づかなんだ。

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November 23, 2004

勤労してるから感謝しろ

というわけで結構身体ボロボロ状態。たぶんこの2週間の間に打った文字数は原稿用紙2000枚分ぐらいに達しているんと違うだろうか。あたしゃ通常「月間千枚」ペースで仕事できるのだが、こんだけのペースで打ったのは初めてだ。

で、戦国武将のプロフィールなんだが、300人分作ったらゲームメーカーの書籍部が「チェックできねえ」とギブアップし、ノーチェックで好き放題書けるようになった。疲れているのも手伝ってどうも毒を含んだ解説が多くなる。

今は本編の人物終わって、イベントに登場する人物とかの解説をやってるんだが、「戦国随一の美女」として、400年以上経過した今もなお「●●たんハァハァ」とやってるファンがいるという某大名の妹を掴まえ「21才での輿入れは当時としては嫁き遅れである」とか、天下人の息子の嫁を掴まえ「姑と喧嘩してオヤジを使って旦那ごと謀殺した」とか、やっぱり戦国オタの間では有名なあの大名の正妻を掴まえて、「実際には旦那にほとんど相手にされなかった」てな調子の文ばかり書いた。

…でも「武芸のたしなみもあった」て感じで、戦国系アクションゲームのキャラクターにしちゃうよりはまだまだマシだと思うぞ。

それはともかく、「姫」編が終わって今度は「坊主」編になったのだが、そこで「だうっ」の師匠と「ぼんてんさま」の師匠に遭遇。あっちこっちの信者サイトとか見ると、「文武両道のすぐれた人物に育て上げた」とか書いてあるのだが、「だうっ」の師匠は、確かに文武は両道にしたが、性癖面で「だうっ」を男色一本にしてしまった責任を負わなければならないんじゃなかろうか、と思った。また、「ぼんてんさま」の師匠だが、仙台伊達藩が成立した後、「ぼんてんさま」に要塞として使える寺を作れ、とか進言していた。もうニダーな陰謀が企てられない江戸時代になってからですらこれであるから、戦国期には「ぼんてんさま」にどんなことを吹き込んでいたのか察しもつこうというものである。

と言う訳で結論「戦国期の坊主は武将以上にヒドイ」。

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November 21, 2004

ステキにイカれた総帥の場合

てなわけで、今度はもう一つの、ステキにイカれたどホモの総帥がいるところの話です。こんな感じで言うと長いので、山科けいすけの漫画に出て来たこの総帥さんの得意のセリフである「だうっ」さん家とでも言いましょうか。

ぼんてんさま一家の場合、その性格はニダーさんたち(断っとくが、ここでいうニダーさんは某2ちゃんとかでデフォルメされたキャラクターの方で、そのモデルになったとされている某半島の人たちを直接指しているのではない)にかなり似ているのだけれど、「だうっ」さん家の場合、労組とか共産党とかの、ちょっと赤い集団によく似てます。

その特徴というのは、なんか特定のスローガンというか、理想みたいなもんを掲げていて、カリスマが存在する間は理想に向かって行動するが、いざカリスマがいなくなると内ゲバに必要以上の情熱を傾ける、という点にありますな。いやー史料をめくると内紛の記録が出てくること出てくること。

「だうっ」さんはカリスマだったんで、この人が頭張っていた間は、配下の連中は一応おとなしくしていたようですが、それでもやっぱ隙あらば大好きな内ゲバをしようとうずうずしてたようで、「だうっ」さんは呆れて引きこもろうとします。ひょっとすると「だうっ」さんの脳味噌が酒と美少年と戦争のこと以外考えられなくなったのは、配下の内ゲバ好きにほとほと愛想をつかしたからではないか、と思えます。

で、「だうっ」さんが飲み過ぎて脳溢血で死ぬと、やっぱすぐに内ゲバ始めよるんですわこの部下たちは。そんなに内ゲバというのは楽しいものなのか、と思わず聞きたくなっちゃいますね。

戦国時代というのはやっぱりあっちこっちで殺し合いしているわけで、そういう意味では人々の性格もかなり殺伐としてきてあたりまえなのですが、「だうっ」さんとことか「ぼんてんさま」のとことかは、殺伐とし過ぎて人間というより狂犬に近いところに行っちゃってるように見えるのです。狼の群れにだってそれなりのルールというものがあるのに、ここらではそれすら崩壊してる。

が、そういうとこに限って、現実とは180度違う感じで徹底的に美化されまくった話が現代に残ってる(って、信者が勝手に再生産しとるんだが)のは非常に不思議というかなんというか。

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November 20, 2004

某戦国大名家について

まあ「ぼんてんさま」のところの話なのですが。

断片的な資料から見ただけでも、あそこの行動パターンというのは以下のようなもんじゃないかなあ、と思われます。

1.全国的な大事件が勃発する

→「ラッキー!あたりが手薄ニダ。これを機会に稼ぐニダ」と火事場泥棒開始。

2.ぼんてんさま一家とはまるで関係のないところで全国的な事件収束する

→「まだ中央の目はここに届いていないニダ。まだまだ稼げるニダ」

3.実はぼんてんさま一家の行動は最初から全部中央の権力者にバレていた

→「アイゴー!どうしてバレたニカ?」(欲望むき出しで偽装工作がいいかげんだから、バレない方がどうかしてる、ということには気づいていない)

4.プライドもなんもかんも投げ棄ててひたすら謝り、なんとか許してもらう

→「ウリはこの通り死に装束を着てやってきたニダ。殺すというならいさぎよく死んでやるニダ」(ホントは死ぬつもりなんかまったくない)

5.お情けで命だけは助かるが、それを「外交の勝利」と勘違いする

→「中央の連中なんてちょろいニダ。ホルホルホル」

6.調子に乗って「1」に戻る。

このパターンを家中でやると、事態の収拾をはかってくれる絶対権力者がいなくなるんで、抗争がエスカレートして親子兄弟で殺し合うようになっちゃうわけです。ぼんてんさまの父親はじいさんと血みどろの喧嘩してますし、ぼんてんさまは実弟を直接手にかけてます。ぼんてんさまの父の死も、ぼんてんさまによる謀殺の疑いが濃厚です。

信者は「江戸時代まで生き残れたのは卓抜した外交力があったから」などと言うのですが、ぼんてんさま一家の身代は結局100万石を超えることはなかったので、全国レベルで動員を行なって遠征すると赤字になっちゃうから見逃して貰えた、というあたりが実は正解だったのではないでしょうか。

秀吉あたりは「忠三郎一人で足りる」とマジで考えていたようですし。

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November 19, 2004

戦国武将のプロフィール

全部で862人分(これだけで何関係なのかバレるな)の戦国武将について、一人80字でまとめる仕事してます。

まあ某ゲームの資料集なんだけど。

で、あっちこっちで資料漁って(つっても全部2次史料以下)読んだんだけど、案外有名な人でもげっすいことやってたりするのね。

このゲームの開発メーカーがよいしょしている「有力大名家」ほど、現実には戦国時代であってもどうかと思うほどのヒドイことばっかやってるし。それはもう、松永弾正がかわいく見えるぐらい。

というか、松永弾正の場合それなりに教養もあるので、自分がやってることを悪だって認識してたフシがあるし、そうであるからこそ、「悪の美学」みたいなものもわずかな史料から見えてきたりするわけで。

が、先に「げっすいこと」と表現したのは、ごく単純に欲の皮のつっぱらかった無教養な田舎もんが、ひたすらワガママに暴走したことにしか過ぎなかったわけで。

特に、イカれたどホモを総帥にした大名家と、幼名が「ちんちん丸」で、嫁に「女性器姫」を貰った奴が大将のところがヒドイ。これらは外でさんざん人を騙してその揚げ句殺したりしてるんで、結局親子兄弟夫婦の間でも殺し合ったりしてるのね。

なんで自称「戦国マニア」がこーいう連中を持ち上げるのかわかんなくなってきた。

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November 18, 2004

自分の職業を思い知らされる時

「…をくわえる」と入力して変換キーを押した時に、「咥える」という結果が一番に出ちゃうと、やっぱり自分はもうエロ作家になってしまったんだ、と思い知らされますな。

因果なことだ。

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November 16, 2004

錯乱三段活用

元のことわざは「サルも木から落ちる」「弘法も筆の誤り」である。わざわざ解説するまでもなく、名人でも時に間違いをする、という意味だ。

これがちょい錯乱すると、「サルは筆を誤る」「弘法は木から落ちる」となる。そのココロは、「慣れないことをすると当然過ぎるぐらい当たり前の結論が待っている」ということだ。

さらに錯乱すると、「サルが木にあやまる」「弘法が筆を落とす」となる。こうなるともう何を主張したいのか完全に訳が判らなくなるのだが、どことなく哲学的含蓄があるように思えてくるから不思議なもんだ。

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November 15, 2004

ゆりいか!

先程の書込みへの解決策を考えついた。

売ればいいのだ。

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参考資料

本腰入れてエロ小説始めた(本腰入れて、てあたりがやらしいやね)ため、打ち合わせした版元その他から「参考資料」ということでエロ小説が大量に送られて来るようになった。

それとタイミングを合わせるように、うちの娘は急激に日本語読解能力を高め、今では「ジャングルはいつもハレのちグゥ」の単行本程度なら楽勝で読めるようになってしまっている。

てことは、父親が仕事部屋に隠し持っている各種の「資料」の正体に気づくのも時間の問題だというわけだ。

ヤバい。宇宙ヤバい。

守れるか父の尊厳。

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November 14, 2004

ビゲンとグリペン

さっきの続きだが、現在ワタシは「ビゲンとグリペンのシルエットはメイドさんに似ている」という無茶な説をメッセンジャーレベルでたれ流し、それなりの支持を集めつつある。

この文章を書きながら、またミリタリー情報のあるページなどを開いて確認したのだが、やっぱり似ている。

ネットではやっぱりこーいう感情を共有すべきである。これなら誰も不幸にならん。

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鬱はネットでウツるか

ミクシィとかメーリングリストとかやってると、盛り上がる時には誰もが狂ったように投稿したり記事書いたりするのに、不思議にぴたりと止まってしまう、ということがよくある。

で、後になってその当人たちに実際に会って話を聞いてみると「いやーあの時はどうも鬱になっちゃって」と答えてくるのが普通だ。

どうもネット上でのコミュニケーションにハマると、躁と鬱のサイクルが他人とシンクロされてしまうように思われる。

が、シンクロするだけならともかく、だーれも投稿しなくなったメーリングリストとか、友人の誰もが日記を書かず、書いても内容にメッセージ性がないものばかりだったりすると、そういう状態になっちゃったそれがただそこにあるというだけで、見ている他人を鬱状態に陥れるのではないか、とも思えてきた。

少なくともネットには負の感情を増幅する役割はしっかりあるようだ。匿名掲示板とかを見るかぎり。

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November 11, 2004

ムルティプラ

フィアット・ムルティプラがモデルチェンジした。以前のモデルは、誰が見ても「ムルティプラだ」とわかるような個性的極まりない(個性的過ぎてワタシでもちょっと引くが)外見をしていたのだが、新モデルはなんかごく普通の顔つきになってしまっていた。

プントもそうなのだが、最近フィアット車のデザインの日本車化がはなはだしい。ワタシはあの日本車っぽいが微妙におしゃれで、なおかつ安っぽいあのスタイルが大好きだったのだが、単なる安っぽい日本車(これはこれで好き)みたいになってしまうのはちと残念である。

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November 06, 2004

子供は親の背を見て育つ

5歳になる娘はパソコンというもんに興味津々で、よくオヤジの部屋に侵入しては何かといじろうとする。

別にこっちはわかるところにエロ動画とか置いてないし、壁紙もノーマル(でねぇと雑誌用の画面キャプチャ取れないからな)なので、画面見られた瞬間に父の権威失墜とかそういうことにはならない。

が、ヤバいデータが皆無かというとそんなことは決してない、というかてんこ盛りなので、時に「よーし父ちゃんお前にお歌聴かせてやるからなー」とか気軽にやり始めるととんでもないことになる。

まあ、娘がそうやって聴かせて貰った「機巧奇傳ヒヲウ戦記」のエンディングを愛唱歌にしてしまったのは、まだいいとしよう。ボーカルがエンクミという今となってはかなり微妙なキャラだが、一応アニメの主題歌だし。

だが、「ローアンドロー、下から突き上げろ~」と歌うようになった点については激しく反省しなければなるまい。

…5歳の女の子にコザック前田は早過ぎる。

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November 05, 2004

萌えるマグマのファイヤーマン

ファイヤーマンのオープニングを聴きつつ、ふと考えた。

「ファイヤーマンが手に持っているファイヤースティックというのは何だろう。」

さっそく辞書引いてみると「燃え木」と出た。つまりこれ松明みたいなもんか?

こんなもんを振り回して何をするつもりだファイヤーマン。放火でもするのか?

まったくとんでもねえ消防士もあったもんである。

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November 02, 2004

第一回非上流階級ビンボ決定戦

というわけで、新札も発行されたので、かようなゲームを考えてみた。

ルールは簡単。11月1日から新札を手にした日を順に自己申告していき、一番最後になった人の勝ち。

勝った人はパスポートにべったりイスラエルの入出国印を押した上でバグ○ッドにご招待(むろん冗談だ)。

ちなみに貧乏人ぞろいのうちの仕事場では、まだ誰も新札を手にしたものはいない。

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November 01, 2004

メシを喰わないことに対する呼び名

最近金に縁のない生活が続いている。

昨年夏に社員が大量離脱した関係でなんやかやと費用がかさみ、それを自分用の小遣いから出していたので、自分で使う分がなくなってしまったのだ。まあ、自分の小遣いがなくなる程度で、それ以上の被害が出てないのだから、よくやってると言えばよくやってることになるのだが。

それはさておき、現在の所持金であるが理由もなく米ドルに換算すると7ドル強である。上野から秋葉原への山手線には乗れるが、バグダッドからアンマンに行くバスには絶対に乗れない、というぐらいの金額である。本日出たと噂の新札はいつになったら拝めるものやら見当もつかない。かといって旧札ならありあまってるかというと、これもまた一枚もないのだが。

ああ、わが家から線路挟んで向こう側の公園には新千円札になった人の銅像があるし、すぐ前の大通りを2kmばかり行って右に折れた方向には、新五千円札になった人の記念館があるというのに…。

悲嘆にくれてしまう理由は実は他にももう一つある。嫁がメシを喰わせてくれないのだ。
あたしゃ自分の小遣いは削りまくったが、家に入れる金の方は以前通りにしてた。だから亭主ほどわが家は窮乏してない。にも関わらず嫁がメシを減らしたのは、7月にやった健康診断の結果が赤点だらけだったからだ。要するにデブを治さんと、そのうちぽっくり逝くから、という理由らしい。

まあ、最終目的が健康のためだとわかっていても、財布の中にごくわずかしか金がない状態だと、気分的にはかなり悲惨な感じがするものである。ここでタイトルの「メシを喰わないことに対する呼び名」なのだが、ある程度財布の中に金があれはそれは「ダイエット」とかのオサレな呼称になり、財布ごと一文も持たないような思い切りのよい状態だと、「断食修業」になるように、その人の経済事情によってさまざまに変化するもののようだ。ちなみに、ワタシが今そうであるように、財布の中に札のない状態でメシを抜かれるのは、「飢饉」とか「非常事態」とか言う言葉で表現される。無論、精神的に一番ダメージがきつい状態であることは言うまでもない。

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October 29, 2004

シルクワーム

ちょっと気になっていることがある。北朝鮮が盛んに実験というか試射を試みているあのミサイルについてだ。

ネットで調べてみると、旧ソ連のスティクスのパクリだとか、北朝鮮は意味もないのに射程だけ伸ばしたとか、射程最大(あちらがわの主張?)330kmでどうやって横須賀の演習を邪魔できるんだ、とかいうのは見つかったが、ワタシが知りたいのはそういうのではい。

高校だか大学だかの時に、シルクワームは実験中に対馬沖の東郷艦隊も真っ青の大回頭を演じ、自分の生みの親および育ての親を血祭りにあげた呪いのミサイルである、ということを聞いた覚えがあるので、その真偽を確かめたかったのだ。

結局それは確認できなかったけど、シルクワームが開発されてからこの半世紀ぐらいの間に、一隻の艦船も撃沈しておらず、戦果と言えるのはクウェートのデパートを撃破したことだけらしい、ということも分かった。

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October 28, 2004

えるかむとぅっじおってるかーりほーるにゃ

すでにかなり旧聞のような気もするが、楽天が自分とこの球団名を「イーグルス」にすると発表したようで。

でまあ、あたしの場合イーグルスというとタイトルのコレなんですが、カリフォルニアとトーホグは、マイアミと舞浜以上にイメージが合わないことおびただしいので、何とかならんものかと思ってますです。

まあ、吉田秋生「カリフォルニア物語」とか、この曲とかは青い空とパームツリー、という一般的なカリフォルニアのイメージとはかなり違うんだけど、そんでもトーホグのイメージとは重ならないでしょう。

トーホグだとやっぱ高橋竹山と三味線だと思うがいかがなものか。百歩譲ってブライアン・メイのブライトンロックか。

などと意味のないことを考えていたら、ホンモノのイーグルスがいつの間にやら来日してたとか。ひょっとして抗議しに来た?

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October 27, 2004

区別できません

何を隠そう、ワタシはDVとEDの区別ができない。

ああ、DVってコレのことで、EDってこっちのことだったのね。と気づくまでに平均15秒程かかる。

だからこういう記事を見ると、かなり大変なことになる。

夫のDVに無言の抵抗? 真夜中に包丁を研ぐ妻 台湾

何で区別できないかというと、単に「どっちも嫁にとっては迷惑」という程度の認識しかないし、自分の日常生活にとってどっちも無縁のものであるためだ。


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不謹慎な話

今日のネタは短いです。

テレビを見るたび、「イラクのサドル師ってパパイヤ鈴木にそっくりだなあ」と思うのですが、ぐぐってみるとそういうことを指摘したページって意外なまでに少ないんですよね。

やっぱり、わかっちゃいるけど怖いから指摘できないんだろうか。「ハダカの王様」みたいに。

ちなみにうちの娘は浅草サンバカーニバルを見て「ハダカの王様がいっぱい」と言っていた。
「おへそ出して人前を歩くのはいけないんだよ」とも。

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October 23, 2004

青い鳥

青い鳥というのは、大抵探している人の身の回りにいるものである。

何を隠そうワタシはついこの間、30代のオタ男が理想の女性を求めてさまよい、ロボメイドなんぞにうつつを抜かすが、最後に隣に棲んでる同い年の腐女子こそが本当の青い鳥であった、ということに気づくという小説を構想した。これは見事に版元にダメ出しをくらったのだが、それでも青い鳥は常に身近にいるのだ、という信念を変えることはなかった。

人は自分を過大評価も、過小評価もせずに等身大に見ればいいのである。そうすれば必ず身の丈にあった青い鳥が見つかる。実社会経験のないオタは自分を過大評価して破滅するし、妙に世慣れてしまったヤツは過小評価し過ぎて自分の価値をデフレさせる。若い頃は多少過大評価ぎみの方がいい結果を招くが、そろそろ中年に差しかかろうという時期になってもなおかつ根拠のない自信のみに満ちあふれていると、過剰に自分を卑下し続けてきた人物と同じ末路を歩む可能性が高い。

とまあ、柄にもない真面目なことをなぜ言い出したかというと、それはワタシの脳内にある「実写版まうみん」のキャスティングがきっかけになってのことであったりする。

これまで、まうみんパパ、まうみんママ、うろーれんなどのキャスティングを一方的に発表してきたワタシだが、肝心な主役のまうみんを誰にするかを思いつかなかったのである。さすがに、うろーれんの候補をエマ・ワトソンにしたから、短絡的にまうみんをハリポタ役のガキにしようと考える程ワタシの脳は腐ってない。第一ハリポタ役は高校の同期でさるIT系企業に勤める○芝にそっくりなので、「かわいい」などとは口が裂けても言えないのである。

で、数日前BSかなんかでヴィスコンティのダメ人間映画「ベニスにシスの暗黒卿」…じゃない「ベニスに死す」をやってたんで、噂に高い絶世の美少年であるビョルン・アンドレセンの顔を拝んで、まうみんの候補になるかどうか検討してやろうか、と思ったのだが、「子供がまだ寝てないのにこんなダメ映画見るやつがあるか」と嫁に電源を抜かれてしまった。

これでもうワタシのまうみん探しの旅も終わりか、と思って床に付くと、来月三つになる長男がごそごそと這い寄ってきて、むにゅーっとほっぺたをワタシの顔に押しつけた。その感触はちょっと冷たい大福のようで非常に心地よい。

その瞬間、ワタシの脳裏に電光のようにひらめくものがあった。「そうか青い鳥はこの場合でも最も身近なところに居たのか」。確かに長男は千人に一人といっていい極上のほっぺたの持ち主であるし、下半身丸出しにして家の中を走り回るのが大好きでもある。多少年齢的に若い気もするが、まうみん役としては最適任である。

よし決めた息子よ。お前は今後まうみんとして生きろ。取り敢えず色気づいたら幼稚園とか小学校でハーマイオニーみたいな女の子をモノにしてこい。父は期待している。

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October 20, 2004

まうみんの生態に関する若干の訂正

さて、ちょっとだけあっちの世界に棲んでいる全裸集団まうみんファミリーであるが、前回、「うなふきん同様着衣であるが村のまん中で堂々と暮らしているヤツがいる」という指摘を受けた。

確かに、うなふきんの腹違いの妹であるりとるむぃいは、堂々と着衣の状態で村の中心である「まうみん屋敷」で暮らしている。他にも、さがせばたぶん村長であるらしいえむれんさんとか、口を開けば「無駄じゃ」しか言わないやこうねずみさんとかが着衣のキャラクターである。どうやら全裸なのはまうみん族だけなのかもしれない。

が、ワタシはここでまた新たな発見をした。まうみん谷の着衣のキャラクターというのは、ようじょ(りとるむぃい)かぢぢい(えむれんさんとやこうねずみさん)のどっちかで、青壮年は含まれていないのである。

どうもまうみん谷の連中は、第二次性徴を迎えた頃から全裸になり、ぴ~が役たたずになったりあがったりするとまた服を着るようになるらしいのだ。

ワタシの脳内の「まうみん実写版」において、うろーれんの姿はフランスあたりのチャイポルに出てきそうなつるぺた娘だったのだが、このイメージは修正されなければならないのかも知れない。たぶん藤澤恵麻ぐらいもさもさ…もとい、成熟した感じがオリジナルにより近いのだろう。

で、成熟すると全裸になる理由だが、これはもちろん「生殖」のためだと思われる。だが、これではまだ「屋外でも全裸」の謎は解明されたとは言えない。

そこでワタシはさらに考えた。まうみん谷に存在する、こっち側の普通の世界とは違うなにものかに、謎を解く鍵が隠されているのではないか、と。で、思い当たったのが「みょろみょろ」だ。これはまうみん族の生殖器の位置と同じぐらいの高さにまで成長する動物とも植物ともつかない妙な生物である。

恐らく、まうみん族は雄の生殖器近辺についている「花粉」のようなものを、みょろみょろを経由させることにより雌の生殖器に付着させ、子供を作っているのだろう。こう考えると、屋外での全裸は必然である。

また、まうみんママがエプロンで局部のみを覆っているのは、すでにまうみんという子供をなしているためこれ以上の出産を望んでいないためではないかとも推測される。これですべての謎は解けた。

以上の仮説に従うと、うなふきんは村を出て着衣になったのではなく、何らかの理由で生殖が不可能であったため、長じても子供の時と同じように服を着続けたのではないか、と思われる。うなふきんは自ら望んで村を出たのではなく、まうみん谷の生殖の輪に参加できなかったため、追われるようにして村を出たのだろう。あわれなことである。

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October 19, 2004

まうみん

まうみんは、われわれが住んでいるのとはちょっとだけ違った世界に住んでいる生き物だ。

まうみんは、トロール族と呼ばれる、妖精のような、妖怪のようなそんな存在だ。

トロールというからには、大西洋でUボートと戦って沈んだトロール漁船の乗組員の魂が生き物の形を取って不思議な世界に棲みついた、とかそんな因縁話があるのだろう。

まあそれはよい。問題は、まうみんそのものだ。

まうみんはまだ若い。大きくくりくりとした目と、見るからに柔らかそうな頬が特徴的だ。どちらかと言うと美少年に分類してもいいだろう。

しかし、全裸なのである。

まうみんの住む村の中でも、完全に裸で生活しているのはまうみんだけだ。まうみんパパと呼ばれるまうみんの父親は、肩から下は全裸だが、それでもシルクハットとパイプだけはいつも身につけている。彼は元冒険家で、今は作家をしているのだという。シルクハットにパイプ、あとは全裸という格好でかつてどのような冒険をし、今どのような作品を書いているのか非常に興味があるが、確かな裏づけがない状態であれこれ想像するととんでもないことになりそうなので、ここでは控えておこう。

まうみんママと呼ばれるまうみんの母はもっと公序良俗に配慮した格好をしている。彼女は裸体に直接エプロンを付け、日本国においては一般大衆に公開してはいけないものをきちんと隠している。それだけではなく、台所仕事をする時でもその手からハンドバッグを離さない。このあたり、生まれついての貴婦人と言えるだろう。あ、こらそこのあなた。まうみんママが後ろを向いたところを想像してはいけませんよ。

まうみんの村に、まうみんと同じ種族は他に一家族しかいない。うのーく兄妹だ。

兄うのーくについては、全裸で頭にウィッグだけを付けていた、という説と、裸体に白衣と眼鏡だけをつけていた、とする説の二つが残っている。どちらでもいいが、要するにまうみんパパと五十歩百歩の姿だったのだろう。

妹は、名前については「うろーれん」と「をんをん」という異なる二つが現在に伝えられている。だが、その姿についてはどちらの説でも一致しており、足首に金の輪を付けただけであとは全裸だったという。金髪の少女うろーれんがまうみんと並んで草原を走る姿はそれはそれは美しかったそうだ。

という感じで、まうみんの村の住人はほとんどが全裸か、全裸の上にいきなり上着に相当する服一枚だけを身につけていたのだという。この村ではこれがごく当たり前の姿だったのだ。村から離れて世界中を旅したうなふきんは、外の世界の文化に触れてきちんとした服を着るようになったが、それは村人たちの反感を招く結果となった。このため、うなふきんは村に帰っても村の中心には入れず、いつも村外れでテントを張って一人寂しく過ごしていたのだという。

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October 18, 2004

マタンゴ

金曜の夕方に腕と下腹部に何やら虫さされのようなぶつぶつがいっぱいできた。

家に帰った頃には、そのぶつぶつはさらに全身に拡がり、かゆくてかゆくて仕方ない状態になった。

そこであたしは「こっこれは伝説のマタンゴ?エロ小説書いた報いで俺はこのままマタンゴになってしまうのかー!」と恐怖したのだが、後で嫁に聞いたら単なるジンマシンだったそうだ。

生まれてかれこれ40年以上がたつが、これまでジンマシンというものにかかったことがないので、具体的な症例がわからんかったのだ。もっと鳥肌みたいな状態になるんだと思ってた。

しかし、これまで一遍も出たことがないジンマシンが出た、というのはやはり脅威である。原因として最初に疑われたのは金曜日の弁当のおかずであったサバのみりん干しである。だが、これまでもっと腐ったサバを山ほど骨ごと喰って来て平気だったので、今さらそんなもんでマタンゴ化するとは考えられないのである。その後わざと生のイカとか刺し身とか卵とかやばそうなものばかり喰いまくったが、そのせいでマタンゴ状態が悪化することはなかった。

で、次に出て来たのが、「体質変化説」である。実は7月に10年ぶりぐらいに受けた健康診断の結果に嫁がショックを受けたらしく、それ以後食事に混ぜる油の量を減らされた。たまに肉は出して貰えるが、皮むいてゆでた鳥肉とかの、ボディビルダーのエサみたいなのばっかしかない。

「あのなー、マッスル北村はこんなもんばっか喰って最終的に餓死同然になったんだぞー」と抗議したのだが、一向に受け付けて貰えなかった。それどころか

「体質が人並みのものに変わってきたから、ジンマシンのようなものが出るようになったのだ」と諭された。どうやら、これまでのあたしは全身マタンゴみたいなもんで、ジンマシンというのはマタンゴが真人間に変身し始めたから出て来たものであるらしい。

この嫁の解釈に対し、あたしはズォーダー大帝に対する古代進のごとく「それは間違っている」と決めつけてやりたいが、残念なことに現在のところ自分の正論(だと思う)を裏づける論拠を見いだせないでいる。残念だ。

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October 14, 2004

オリンパス快進撃?

オリンパスはかなり好きな方なメーカーだ。

以前一回、ある雑誌に乗っけたMOのレビューの文章を勝手にイベントの販促資料に使われたことがあるが、それでもやっぱり好きになれる製品は多い。今デジカメは会社で使っているのも個人で使っているのもオリンパスだし。そういや、オリンパス以外のメーカーで新品で買ったのって、チノンES-1000とコニミノX21しか覚えがない。メーカーさんから借りて触った機械はかなりあるけど、買おうと思ったのはそんなになかったってことか。

で、そのオリンパス、最近になって妙に飛ばしまくりでいい感じの製品を次々に出している。E-300はスタイルといい性能といい、標準規格採用で長く使えそうなところといい実にツボにはまりまくった。そのうち買いたいのでどっかの雑誌に手を回して実機を借り出すことにしよう。ただし買うのは価格がこなれてからね。出たばっかの頃はE-1とあんまり変わらないような気がするので。

m:robeという液晶画面付きiPodのようなモノもいい。個人的にはこの液晶でデジカメ写真だけでなく動画が再生できるようなタイプが出れば、即買いだろう。

まあ、問題は欲しいものができても買うカネがない、というあたりなのだが。春に書いた本のギャラそろそろくれませんか?>某版元。

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October 11, 2004

手相の話

わたしの手のひらには3本の運命線があった。

大学に入るまで、自分は将来歴史の研究者になるのだ、と思い、それ以外の未来を予想していなかった。だが、結局研究者になるには能力が足りないということに気づき、それまで得た知識を使って教師になろうと思った。

しかし地元の教師になるにはカネかコネのどちらかだけが必要だった。常勤講師などをするとそのことが徐々にわかってきたのだが、自己の能力を過信していたために、正面玄関から堂々と入ってやる、と意地を張り、結局戦力外通告を受けるような形で教師をやめ、予備校の職員になった。

ここらあたりから、PC関係の下働きを積極的にやって自分をアピールしようと考え、運命線は徐々に「2本め」になっていったらしい。

で、結局PC系のライターとして飯を喰い始めるようになり、しみじみと「ああ、運命線が複数に分かれていたのはこれを暗示していたのか」と思ったが、その時また別の商売を始めるとは思っていなかったので、「3本めがあるのは何かの間違い」だと考えていた。

が、ITバブルがはじけてしまい、PC系雑誌がばたばたと倒れるようになった現在、偶然と必然が妙な感じに絡まり合って「3度めの転職」の転機が訪れてしまった。なんか最近は、PC系の仕事の引きはほとんどなく、それ以外の引力が日々強まってきつつあるようだ。

とまあ、おとといなにげなく手を見たら、運命線が1本になっていたのでこんなことを考えた。

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October 06, 2004

31才

25の年から27の年まで高校の講師というのをやった。
全体的に子供が減っているのに臨時で講師ができたのは、この期間に限って妙に子供の数が多かったからだ。いわゆる臨時定員増に伴う講師採用、というのにひっかかったのだ。

その連中は確か自分からみれば8~9才年下だったので、今年31ぐらいになっているはずだ。多分、いわゆる団塊の世代を除くと日本で一番数が多いのはこの年齢の人たちなんじゃないかと思う。

ここんとこ15年ぐらいの「大きなお友達」の世界を眺めてみると、この連中が引っ張って来た、というと多少語弊があるが、この世代の人たちが一番いいお客さんだった、ということが言えるのではないか、と思う。ファミコン→スーファミ→PSという感じでステップアップしてゲームに耽溺してくれたのもこの世代だし、エロゲに夢中になってくれたのもこの世代だ。

んで、この人たちが夢中になって遊んでいた上記の「おもちゃ」だが、そのまんま素直により下の世代に主導権が移るのか?とふと疑問を感じたのであった。

ゲーム業界とかの場合、基本的には「移る」と考えているようだ。だから、エロゲなんかをより下の世代でも受け入れられるように、エロシーンとかを削り、さらに若年層に受けるように話を作り替えたものがいくつか出てきている。

だが、あたし的にはそういう方向には動かないんじゃないか、と思うのだ。31才たちは、「大人」になったとしても自分たちのおもちゃを手放さないだろう。ちょうど今40ぐらいになった年代が中年(無論、本人達はそう思ってない。往生際の悪いことだ)になったのにガンプラを手放さなかったように。

で、結局何が言いたいのかというと、これまでは大学生・高校生をメインターゲットに作られていたライトノベルとかエロゲとかを、メインターゲットが年を取ったのに合わせ、内容を微妙に引き上げていったらどうか、ということなのだ。ようするに、「31才を狙ったエロゲ」とか、「31才を狙ったライトノベル」とかを作れ、ということだ。

実は、7月に書いた小説というのはずばり「31才」を狙ったものだった。これだと主人公の年齢を25才ということにしておいたが、これは読者が「イタさを感じるがシャレにならないレベルではない」脳内自己年齢の上限、ということで決めたものだ。で、今企画立てているのもやっぱ対象は「31才」がメインになる。こっちの主人公は「19才」となっているが、これは本当の意味で大人になりきれてないこの年齢の人の「脳内自分年齢」はこうであろうと考えて決めたものなのだ。ついでに言うと「19才大学一年生」ね。「大きなお友達」の脳内の自分は、大学に浪人したことにはなってないから。

自分の脳内年齢を、物理的年齢よりも低く設定するのはまあ個人の勝手ではあるのだが、あんまりそういう感じでドリーミーだとやっぱそれを受け入れる方の世の中も困ってきてしまうのだ。景気が悪かったり、物理年齢がまだ30以下で、やりなおそうと思えばできなくもないかな?と見られていた頃なら、「引きこもり」という形で脳内自己年齢を大事に守ってもらってもまあよかったのだが、物理年齢が30を超え、なおかつ世の中がちょっとずつ好景気に向かい始めたらそうも言ってられなくなる。おせっかいなのだけれど、やっぱり誰かが彼らのお尻を押してあげないといけないのだ。

まあ、それは先に大人のようなものになった旧オタの使命のようなものではあるが、時流がそっち方面に行き始めた以上、そっちに流れていけば銭の花をこの手に掴むこともできそうな気がする。とりあえずしばらくは、そんなことを考えながらエロ小説書いて生活していくことになるのだろう。

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October 04, 2004

エロか?やっぱりエロなのか?

仕事がちょっくらヒマになったもので、営業のDMを出してみた。考えてみればここ数年まともにこういう活動をやってなかったのだから、よくもまあ仕事が切れて飢え死にしなかったものである(銭がねぇ~と大騒ぎしていたことは結構あったが、考えてみればそれも当然だ)。

で、今回いつものPC系雑誌とかの編集部だけでなく、ライトノベル系とかを出している出版社にもDMを送ってみたのだ。とはいうものの、PC系雑誌→エロゲ雑誌→エロゲノベライズもののライトノベル、という感じで微妙に水面下で繋がっていることが多い。アスキーはエロゲ雑誌出してないけど、エンターブレインが出していたりね。全然関係ないのは日経BPさんぐらいじゃないですか。ここ半年の急展開の元になったのは、PC系の出版社の方向転換だったし。という感じなので、古い名刺を漁ってみたら、案外ライトノベル系の出版社の人のが出てくるものだったりするのだ。しかもよーく見ると、今は社長とか編集長とかの偉い役職についている人が多かったりする。なるほど俺も無駄にキャリアが長かったわけではないのだな、と妙に納得した。

そんなこんなで「返事がいっぱい来ますようにぱんぱん」と手を叩いてDMを送った。問題はどこが最初に反応するかである。送った件数はPC系の出版社が多く、PC系の仕事についてはそれなりに実績もあるから、確率的にはこっちの方が先に「アタリ」が来るはずであった。

が、結局先にやってきたのはエロ系だったりする。喜ぶべきか悲しむべきか。

まあ、仕事ですから喜んでやんなきゃいけないんですけどねえ。テンション高くしないといけないから疲れるんすよねえ。

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October 03, 2004

リンダリンダな本作り

なんだかんだとこの半年の間でモノ書きとしての運命が急転し、今では自分だけではなく他人のエロ小説のプロットとかもまとめなければいけない羽目に陥った。

そのおかげで、いわゆるライトノベルとかエロ小説の作法みたいなもんを教わったり、研究したりするようになった。で、今のところ一応マスターしたかな、と思えるのが、表題にあるようなやり方だったりする。

「リンダリンダな本作り」というのはどういうことかというと、まず、ヒロインを可愛く(リンダ)作るということだ。この要素がないと、少なくともオタには受けない。だが、「可愛い」というのは設定上で「美少女である」としただけでは当然ダメで、本文中でこれでもかこれでもかとその愛らしさを強調するようにしつこく描写しなければならん、ということ。つまり、「リンダリンダ、リンダリンダリンダ…」と連呼しろ、というわけだ。ほどほどにオタが反応する「美少女記号」を混ぜつつこれをやれば、大抵の場合「萌え~」という結果を引きずり出すことができる。

だが、「萌え」の対象たる美少女だけ描写すればそれでいいのか、というとそうでもない。大手の出版物ならそれでも済むかも知れないが、弱小出版社から出す場合はいかんのである。んだもんだから、多少ドラマティックな展開を話に盛り込むべきだ、という感じになる。

その際、キーワードになるのは、ヒロインの相手となる主人公に、「決して負けない強い力」を「ひとつだけ持つ」状態にするということなのではないか、と思える。

基本的にこういう話の主人公は読者(=オタ)の仮想世界中の依童となるものであるから、全体としては「無力」であった方が共感されやすい。しかし、完全に無力であると話そのものが進まないから、「ひとつだけ持つ」状態に作った方がよい、ということなのだ。その「ひとつだけ持つ」力がヒロインを守る、という方向に発揮されれば、話はある程度感動できる方向に発展していく。

こんな書き方をすると、話をパターン化するだけで面白くないモノを量産することを薦めているかのように誤解するのがかなり出てくるとは思うのだが、これはそういう小説マスプロ化のための手法ではなく、野球における変化球みたいな「型」であるにすぎない。カーブという変化球を投げるための方法は基本的に同一だが、ピッチャーによってカーブの効果が違ってくるように、「リンダリンダ」スタイルも書き手によって微妙にその効果が違ってくるし、読者の方はその違いを楽しむことも十分可能だと思うのだ。

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September 28, 2004

極小の版元で本を書くということ

何だかんだで先週末にOKを貰ったプロットに従って40枚程書き進めて版元に見せたら、ダメ出しをくらった。

エロシーンがエロくないんだそうな。

エロくない理由は簡単で、確かに挿入シーンとかはちゃんとあるのだけれど描写が客観的で、登場人物の主観がほとんどこもっていない(=読者が自分を投影させてヒロインのハダカにハァハァできない)からなのだそうだ。

これから生きるの死ぬのというドラマを演じることになる(そうしろと言われた)のだから、こんなところで中年オヤジのようにヒロインのハダカ見てヨダレ垂らしていてはイメージぶち壊しだろう、とまあ最初は思ったのだが、よく話を聞いてみるとそうではない、ということが分かった。

主役には当然後でドラマの主役として感動できるような行動を繰り広げていただくのだが、その一方でエロシーンの方でも手を抜くことなく、心のそこからヒロインに発情させてやってくれ、ということだったのだ。無論、それに応えてヒロインの方も一世一代の大発情をすることになる。作家の筆を通して間接的に人様に公開することになるのだから、それぐらいガチでやって貰わないとお代はいただけないというのだ。

自分のスケベさを前面に押し出し続けるキャラクター、というのは一見個性的なようだが、書き方を間違えると無個性かつ非現実的な存在になってしまう。上でダメだし食らった最初の原稿は、そういう感じにならないように配慮したつもりで主役の造形を行ったのだが、版元側では、そういうヘンなところで妥協する技を使わず、スケベさをきちんと持ちながらそれでいてちゃんとそれ以外のことも考える理性も持っているキャラクターを技巧の限りを尽くして書け、ということだったのだ。しかも、いやいやお義理でエロ属性を付加するようなマネはまかりならん、ときた。

どうしてそこまでエロにこだわらんといかんのかと言うと、版元の規模が小さく、宣伝というものが一切行えないからだ。ネームバリューがないため、店頭でぱらぱらと拡げたその瞬間に「あ、これ買いたい」と思わせなかったらそれでゲームオーバーなのである。そういう場合に最も有効な武器は何かっつーと、エロなのである。

が、エロさえ入れてりゃそれで商売になるかというとそうでもない。同じこと考えてエロに手を出す同業者は山ほどいるからだ。見ただけで取り憑かれそうなエロ描写をするかたわらで、しっかり別の何かを訴えるようにせんと、エロがたきを出し抜いてさらに一歩先に出ることはできない。極小の版元でフィクションを書いて生き残る、ということはかくも困難な神の技巧を必要とする行為だったのだ、と今さらながらに思い知らされた。この業界で使い捨てられずに五年生き残ることができたら、芥川賞なんざ簡単に取れるのではないか、とさえ思えてきた。

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September 27, 2004

天花と風花

NHKの連続テレビ小説「天花」の平均視聴率が過去最低だったそうな。

あたしゃゴールデンウィークの頃に数回見ただけなんだが、まあ当然かな、と思った。

主人公の天花が、同性からは極めてウケの悪いキャラクターだったからだ。

どのへんが悪いか、というと、まず仕事ができない。まあ、これがレポートの作成とか、お茶汲み、コピー取りなんかのごく普通のOLの仕事だと、別に仕事ができないことがすぐに同性からの低評価に直結するワケではないのだが、天花の場合職業が保母さん(今は別の言い方せんといかんのか?)だからねえ。この系列の仕事がマトモにできない、となったら女性、特に既婚者や子持ちは同情してくれませんわ。

ついでに言うと、役がそうなのか役者がそうなのかわからない(でも多分どっちもだと思う)が、キャラクターが天性の「いぢめてちゃん」になっていた。それでなおかつ微妙に男に媚びを売るように見える部分もある、とくるのだから、これで「天花」のイメージにハマれるとしたらそれはもうレズの方以外にはあり得ないのではないか、とすら思える。

かように同性にはウケない「天花」のキャラクターなのだが、これって実はアキバ系の大きなお友達のストライクゾーンどまんなかだったりするんですよね。美貌というより可愛い系の外見、仕事についてはダメ人間、ついでにそこはかとなく漂ってくる男への媚び。これで落ちないアキバ系ダメ人間はほとんどいない、とあたしゃ断言いたしますよ。

だからこれ、深夜1時ぐらいから放映してたら、ふらふらとダメ人間が寄ってきて「天花タンハァハァ」とやってくれたに違いない。アニメにリメイクしたらさらにウケるだろう。

まあ、オタクというのは土日以外は早起きしないもの、と相場が決まっているのだが、きゃつらの「萌え」に対する嗅覚は猟犬以上なので、こういう格好の素材があったら朝8時15分という時間帯であっても間違いなく嗅ぎつけてハァハァしていたはずだ。が、結果的にはそういう方向でのブームは起こらなかったように見える。

うーん、なぜだ?としばらく考えたあたしは、ぽんと膝を打った。こういう時間に起きているオタがまず狙うのは、隠れ萌え番組の宝庫である教育チャンネルだ。で、その時間帯教育ではナニをやっているかと番組表を見てみたら「いないいないばぁっ」ではありませんか。こら勝てんわ。いくら「天花」が萌えキャラだからと言っても、「風花タンハァハァ」とやっているさらにディープでダメな連中を振り向かせるのは無理だった。

結論。ダメなものにはそれなりのダメな理由がある。

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September 25, 2004

次の仕事

版元の社長と午前3時まで居酒屋で飲みながら次の小説の企画を練った。

これまで書いた2本はドタバタもので、社長の方としては「単にキャラ設定を紹介しただけで、ストーリーに動きがない」というあたりが不満だったそうだ。

「もっとドラマチックな展開を見せるのを書いて欲しい、あんたなら書ける」とまあ、こんなことをしばらく前から繰り返し言われていた。

しかし、そうは言っても結局先の2本を買ってくれたのはオタだったし、オタだと社会経験が少なくてなおかつ登場人物に必要以上に感情移入するから、キャラをあまりハードな目に遭わせると読んでくれないのでわ、とあたしはずっと懸念しておったのだ。んだもんだから、これまでは極力「キャラを壊さない」方向で話をまとめようと考えていた。

今度はドラマチックな展開にしないとGOサインが出なさそうなので、思い切ってリミッターを解除して話の土台をこさえてみた。出てくるキャラクターの何人かにこれでもかと重い業を背負わせ、互いにぶつけあわせると確かに話の展開は派手になった。派手になり過ぎてキャラの腕とか目玉とか臓物とかが飛び散るシーンが山ほど出るような感じになり、揚げ句の果てに主人公が死んでしまう展開になってしまったが。

プロットを見た社長は、いつもだったら「ここは違うんじゃないのかなあ」と言い出すのだが、今回に限っては「うん、面白いと思いますよ」と一言でOK出してくれた。が、こういう徹底的にキャラを破壊するタイプの話に、オタがのめり込んでくれるのかどうかについてはあたしの方にはまだ疑問が残っていたりする。

が、同じプロットを見た一緒に仕事しているエロライターの人(20代前半♀)が、「泣きゲーみたいでいいっすね」と言ってくれた。ふむ。そうか、そういやオタって泣きゲー好きだもんな。

とはいうものの、そんでもちょっと懸念はあるのですよ。オタが好きな「泣きゲー」のパターンつうのは、主人公である男の方が傷ついたり死んだりするのはほとんどなくて、それ用に用意された「いぢめてちゃん」な美少女キャラが難病にかかったり、言葉を失ったりするっていう、変形ソフトSMなのだけれど、今回あたしが書く話っつーのは、ヒロインもぼろぼろになるが、それを守る主人公の男はそれ以上にぼろぼろになるという話だからなあ。オタに感情移入してもらえるかなあ。

…だからと言って、「男が傷つかない話書け」とか言われても「否」とか言っちゃうんだろうけど。

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September 21, 2004

新しき萌え衣装

昨日は比較的マトモそうなことを書いたから、今日はものすごくバカなことを書こう。

あたしゃやっぱり文学部史学科なんぞというところを出ているせいか、ごく普通のドラマよりも時代劇の方に食いつきのよい人間であるらしい。遠山の金さんなんかネタ元として大好きだし。

で、その時代劇好みの傾向が、いわゆる「萌え系」にも出ているということがついこの間分かって我ながら驚愕している真っ最中だったりするのである。

いや、先週何の気なしにテレビ付けたら、幕末維新期を舞台にした巨大ロボットアニメやってて、それに出てくる娘どもにハマってしまったのである。

これに出てくる娘は、武家2名・庶民2名なのだが、問題となるのは庶民の娘の方の衣装である。単衣の服なのだが、裾が異様に高く、膝上10センチぐらいなのだ。わかりやすい例としては「サスケ」の主人公であるところのサスケが着ている服の女の子版(よけい分からんわ、というツッコミがありそうな気がする)なのである。

膝上10センチのミニなんざきょうび珍しくも何ともない。が、この服のばやい、「ぱんつ」というものが黒船に乗ってやってくる以前の話であるから、単衣の下は基本的にナニも着ていないはずなのである。そーいうところを想像すると、オタク魂の琴線にびしびしくるものがある。その破壊力たるや、仕事仲間が提唱した「スクランブル(スク水・ランドセル・ブルマのフル装備)」に勝るとも劣らない。

ところでこの服、正式名称はなんと言うんだろうねえ。

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September 19, 2004

残るもの、残らないもの

「手塚治虫シミュレーションを芸にするんだ」と勢いこみ、そのパターンを追いかけ、再現する作業をしようとしたら、面白いことに気がついた。

自分の脳内に残っている「手塚テクスト」と、現存の「全集」等のテクストでは内容が微妙に異なっているのだ。

具体的に言えば、こんな感じだ。自分の脳内において「火の鳥・望郷編」の女王ロミの最期は、牧村に射殺されるものなのだが、現存のテクストにおいては、射殺寸前に寿命で昇天、というものになっている。また、「乱世編」の義経は、ワタシの脳内においては「弁太によって撲殺」なのだが、現存のテクストにおいてはこれも違っている。

「脳内テクスト」の正体は何かっつーと、別にワタシが妄想(あるいは捏造)したもんではなく、雑誌掲載時のオリジナルだったりする。「火の鳥」が連載されていた「マンガ少年」をワタシは毎月買っていたのだ。

これに限らず、手塚作品というのは単行本になった時に結構加筆修正がなされているという例があり、その多くにおいて、単行本の方がより表現がマイルドになるという傾向がある。

「ブラック・ジャック」にしたところで、雑誌掲載時には結構くそヤバいエピソードがてんこもりだったのだが、それらのうちの特にヤバい数話は、現在なかったことにされてしまっている。ちなみにワタシは「格闘士ローマの星」が終わった直後あたりから当時チャンピオンを毎週買うようになっていたので、ここらもほぼすべてリアルタイムで見てる。

こういう「リアルタイム派」からすると、手塚治虫氏は偉大ではあるが決して聖人君子ではなかった。一言で言えば、あんまり教育的でない内容の話も多かった。「三つ目がとおる」では何かと和都サンを脱がしていたし、「ミクロイドS」でもアゲハを脱がしていたような気がする。同時期の他の漫画家さんと比較しても、裸は多かったと記憶しておるです。そーいやアトムも半裸だしね。

しかし歴史的人物としての手塚氏の評価は、単行本の形で残されたテクストをベースになされるわけだ。しかもこの単行本、「名作」とされていないものはふるいにかけられて落とされてしまうことがある(一応全集もあるけどね)。となるとますますもって「名作」のみを描いた聖人君子としてのイメージのみが後世に残されるようになる、というわけだ。

でもリアルタイム派の生き残りとしては、聖人君子の部分よりも、動くものには何にでもサカれる色欲魔神(しかもこの色欲、食欲との境目が非常にあいまいだ)の部分の方が手塚氏の本質により近く、なおかつ素晴らしいモノであったように思われるので、そういう部分を「継承」して自分の芸としてくれよう、とまあ決意を新たにするのであった。

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September 15, 2004

エミュレーション

版元の旦那に「火の鳥のごとくドラマチックな話を書くのだ」と迫られたあたしは考えた。

「21世紀の現代に手塚先生のようなドラマは求められているのか?」と。

まあ、対象を一般人にまで拡げれば、当然のように需要はあるだろう。が、幸か不幸か今われわれがやっている仕事は「大きいお友達」、つまりオタを対象としたものである。オタが手塚調のドラマを必要とするか?

今現在存在する「萌え」の要素の大部分は、手塚先生が手ずから作ったか、手塚先生のアイディアを発展させて完成させたものかのどっちかである。何せこの方、動くモノには何にでも欲情できるという特異体質(偉大すぎる)なのだったから。

しかし、結局オタどもは手塚作品に登場するさまざまな「異形の美少女(中にはムーピーのタマミのように女どころか人間の外見さえ持っていないものも結構ある)」の外見だけは継承し、発展させたのだが、「そういうものにマジメに欲情する」という本質の部分を継承したものは皆無だった。

皆無であるからこそ、ほどよくまとめれば、それは意味のある作品となるやも知れない。剥き出しのまんまで送り出すと、単にお客さんを引かせる結果にしかならないとも思うが。

実際問題として、身も心も手塚先生の再来となり、同じレベルで異形のモノに欲情しまくる、ということは不可能だろう。だが、手塚先生という先人がいるということを前提にすれば、その思考・発想をエミュレーションすることは何とかできるのではないか。

とまあ、ここらまで考えたら何となく、仕事として完成させることができるように思えてきた。

あとはこれが「商品」として赤字にならんぐらい売れてくれるかどうか、というとこの検討ですわね。

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September 11, 2004

24時間

ある意味、PCというか、デジタルデータを扱う機械はタイムマシンである、と言える。

自分なども、これがあるからこそ、並程度の才能しかなくても、強制的に執筆文章量を拡大し、何とか食いつないでいくことができているのだ。つまり、文字入力の速度を高めることによって、相対的に労働時間を引き伸ばしている、というわけだ。

ただしこうした方向でデジタル機器を使うことができるのはほとんど「仕事」方面に限られる。「遊び」方面に使おうとした場合、「タイムマシン化」は非常に困難になる。デジタル保存された音楽や動画を、より高い効率でもって人間の脳味噌に押し込むことが不可能であるからだ。できるのはせいぜい、エロビデオのドラマ部分を高速サーチで送ってしまう程度だろう。

PCの性能が向上すると、より高品質のデータをより大量に扱うことができるようになる。で、世の多くのエンジニアが消費者を巻き込んで「そういうのが求められている」と勘違いするようになる。つまり、どんどこデータの品質を高めていくと、それに応じて市場は右肩上がりに無制限に拡大していく、と思いこんでしまうようになるのだ。

ところが、人間に与えられている時間というのは例外なしに1日24時間で、高品質のデータをどかどかと与えられても、それを作り手の思い通りに消費することはできない。無理に消費しようとすると、社会一般との接続を断ち、その手のデジタル機器の前に貼りつかなければならないのだ。要するに、「ヒキオタ」状態になるわけね。

まあ、この手の人種の一部は、消費(多分に浪費)する情報量が多くなればなる程に、その世界におけるステイタス(つーか、脳内階級だが)が高まっていき、得も言われないカタルシスを味わうことができるようになるのだが、社会全体から見ればどんどん「いてもいなくてもどうでもいいヤツ」にしかならない。そりゃそうだ。外界との接触を持たないんだから。

何が言いたいのかというと、現在あっちこっちのテレビ局とか家電メーカーとかが押し進めようとする「高画質・多チャネル化」の路線というのは、ほどなく壁にぶち当たる、ということが言いたいのね。およそ人間は、人間である以上喰って寝て排泄してセックスする時間が必要だし、ヒキオタ以外の場合、これに加えて労働に自分の時間を割かなければならなくなる。シュミとか道楽に使うことのできる時間というのは、案外短いのだ。で、家電とかPCとかの機器は、消費者の持つこのわずかな時間を奪い合っているのだが、「高画質」を売りにして余暇を独占する戦略というのは、単にヒキオタを増殖させるだけで、社会全体に対してはあまりにも不健康な結果しかもたらさないからやめといたらどう?と考えてしまうのだ。狙うべきは、「高画質・多チャネル」ではなく、「並列処理が可能な、妥協できるレベルの品質・多チャネル」じゃねえかなあ、とまあ、かように思っているわけである。

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September 10, 2004

次回作

現在、ちょこちょこと意味不明な小説を出さして貰うようになった出版社の社長は、ガ□(←一応伏字)の編集者あがりというある意味凄い過去を持っている人である。

具体的にどのあたりが凄いのかというと、今では伝説になってしまっているあーいう漫画家とかこーいう漫画家とかと実際に顔をつき合わせただけでなく、「原稿よこせ」と催促をしたというあたりが凄い。

伝説に残るような漫画家というのはやはり私生活においてもかなりの○ちがいであり、○ちがいであるからこそ、原稿用紙を突き破って読者のハートを鷲づかみにするような迫力の作品が作れるのだそうだ。

まあ、その凄い過去をそのまま美しい思い出にしてくれるといいのだが、そうなってはおらず、現在付き合いのあるライターに向かって「あの漫画家のようになれ」と迫ってくるので多少困ってしまっている。ちょっと前の書き込みに、「浮気しろ」とか言われたとか書いたが、あれは冗談でも何でもない。本気でそう迫ってきているのである。本気だということが分かったから、こっちも真剣に可能かどうかを計算してみた(結論は「今は無理」だった)のだけれど。

で、その社長に12月発売予定の小説のネタを考えて持っていった。この版元の場合、ごく最近のヒット作が「えろたん」という本であるから、やっぱこういうのを買う人を対象にせねば、と思ってロボメイドが出てくる話を考えたのだ。ただし、こちらはオタにケンカ売ってさんざん叩かれた人間であるからして、ごく普通のオタが期待するような話は作らない。ロボメイドの飼い主のイタイところをこれでもかと描き、最後に腐女子と結ばれるように仕組んだ(テーマは「オタク・ミーツ・腐女子」)のだが、あっさりとダメ出しされた。「これは現代の『青い鳥』なんです。ロボメイドは最初青い鳥のように見えたけど実はそうではなく、隣の家に住んでいた30前後の、今どきガンダムWの同人やっててすべての友達を失くしたような腐女子こそが本当の青い鳥だったんスよ。現実をありのままに見ればいくらでも幸せは転がっているんだってことを、世のオタどもに知らしめましょう。」と熱弁を振るったのではあるが、ダメという結論に変わりはなかった。

何でダメなのかというと、オタにケンカ売っている姿勢が問題なのではなく、キャラ設定だけで話が完結しており、「雄大なストーリー展開」がないからダメなのだそうだ。社長曰く、小説なんだから、例えエロだろうと(エロだが)、読者の心に届くような何ものかが話の中に込められていなければならない、と。最終的には「『火の鳥』や『ブレードランナー』に迫るようなダイナミックなストーリーを描ききって欲しい。」てな感じのことを言われてしまった。

自分ではそんなことできるとは昨日まで思ってなかったのだが、やれと言われてしまえばはいそうですかと受けざるを得ない。しかしこうなると分かっていたんなら、ロボメイドが出てくるようなプロット(ロボメイドみたいなキャラは手塚作品には多く出てくるから残せ、と言われた)は考えなかった方がよかったかな、とちょっと後悔したのであった。

取り敢えず、明日からは弱音は吐かずに言われた以上の作品作るようにしますんで見ていてください>社長。あと、他の版元の編集者さんで、上の元のネタで書かせてみようと思う人いたら連絡よろしく。

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September 09, 2004

リアリズムの追求

うちには子供がいるんで、しょっちゅう教育テレビの子供番組を見る。

子供相手のヒーローというと、比較的お気軽に空を飛んだりするのだが、最近では単に飛ぶだけではなく、それなりにリアルさを追求するものであるらしい。

何でこんなことを言い出すのかというと、こないだ連続して二つのお子様むけヒーローが大気圏再突入をやらかしたからだ。

そのヒーロー、片方はストレッチマンで、もう片方がアンパンマンである。

公式設定によると、ストレッチマンのあの黄色い服のように見えるものは皮膚であり、彼はいつも全裸でブラウン管に登場しているのだそうだ。ということは、年中あの人は全裸で大気圏突入をやらかしているということになる。

もう片方のアンパンマンは、言うまでもなく顔がパンである。ジャムおじさんは、大気圏突入しても燃えつきない材質のパンを作ることができるらしい。さすがは自分の創造したクリーチャーの脳味噌を見ず知らずの人に喰わせまくることを考えついたレクター博士も真っ青の親父だけはある。

いったいこれらの製作者は、上司の目の前でザクに乗ったまま燃えつきて死んだクラウンのことを何だと思っているのだろうか。面白いからこんどは豆腐とかクラゲとかに再突入させてほしいものである。

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September 04, 2004

エロの素の補充

いつものようにまずトンデモ理論を紹介しよう。

PCというのは、使われ方からすると「人間の文章作成能力をどれぐらい加速してナンボ」なとこのある機械だ。

んじゃ、どこら辺まで加速することができるのか?

あたしの経験からすると、気力体力充実状態の人間が必死になってやれば、一日あたり原稿用紙で150枚ぐらいはいく、と思われる。これ以上の速さで入力しようとすると、たぶん「破滅の音」を聞くことになるだろう。これを仮に「物理的限界」と名づける。

だが、多くの人の場合、物理的限界に達する前に、のうみその中から入力すべきフレーズが出てこなくなる。これをあたしは「論理的限界」と名づけた。

で、「限界」はこれだけかっつーと、その下に「感情的限界」てのがあると考えてるのね。これは何かっていうと、自分の書いた感情的な文句に自分の心を喰われ、それ以上理性的な思考ができなくなる状態のこと。理性的な思考ができなけりゃ、文章なんざ書けません。

フリーテーマで文章書かせると、大抵の人はこの感情的限界にひっかかり、そっから先は文字を打っても文章にならない状態に陥るわけっすね。事例は2ちゃんとかに腐る程ある。佐世保のネヴァダも実はこのクチでしょう。

あたしの場合、一応商売でモノ書いてるんで「感情的限界」にひっかかったことはねえです。だが、去年あたりまで、「論理的限界」にひっかかっていたことはよくありますた。この状態になった後は、何だか無性に活字が読みたくなる。で、枯渇した脳内フレーズがある程度補充されると、また文章が書けるようになる、と。

が、どうもこの春あたりから、あたしの「論理的限界」というのは消えちゃったようなんですな。理由は何でか知らないけれど、「フレーズの補充」せんでも物理的限界まで書くことができるようになった。

その代わりに立ちはだかってきたのが「エロの限界」とゆーヤツだったりして。

いや、普通の文章書いている分には「エロ」の要素なんぞどうでもいいのだが、今ははずみでエロ小説書くようになってしまったので結構これがバカにできないのですよ。こっち方面の仕事する時は、もう性犯罪者すれすれのところまでのうみそをピンク色に染めなければならんのです。

が、いくら365日発情期の人類のはしくれとはいえ、読んだだけで他人を勃たせたり濡れさせたりするような文章を書けるだけのエロさを常に維持するのは不可能というもの。特に今年の夏は暑過ぎでのんびり発情とかもしてられなかったので、エロい文章がなかなか書けませんでした。で、今日担任の先生…じゃない版元の社長に「今回どうもエロくありませんね。どうしました?」と言われてしまった。

と言うわけで「エロの素の補充」てのをしなけりゃいかんのだが、リポD飲むだけではダメかな?

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September 02, 2004

オタとののしられること

昨日書いた「ちょっとほめられたサイト」には、あたしの正体を知っていると称する人間の書き込みがあった。

知っている、ったって

「高安ってデブのキモオタじゃん。」

と一言書いてあっただけなのだが。

別にこのことに腹立ててたりするわけではない。そんなことで腹立てることができるような年齢ではなくなってるし、デブなのは逃げも隠れもできない事実だ。

というか、40になってもなお「オタ」と罵られるのは誇らしいことのように思えるがどうか。

たとえば、このオタと罵った人当人が40になった時、周囲から「オタ」と呼ばれるような人間であり続けることができるか?

あたしゃ無理だと思いますよ。

おおむね30代中盤ぐらいまでの独身男だったら、割と簡単になれてしまう「オタ」なのだが、後半になってくるとこれが結構難しいんですから。ある程度努力しないとオタであり続けることもできないのである。オタに限らず、他の何にしたってそうだけどね。

自分の同級生とかを見ても、いまだにオタしてるのはもう二人ぐらいしかいなくなってしまった。無論こいつらは尊敬に値する。その他に、元はオタだったが今ではすっかりただのおっさんになっているのとかがいる。こいつらもすっぱりと自分がおっさんであるという現実を受け入れているので見ていてむしろ清々しい。

見苦しいのは、見てくれも心も完全なおっさんになっているのに、「自分はまだ若い、イケてる」と思ってるヤツ。まあ要するにいい年して現実を受け入れられない人ね。

で、かの罵詈を書いた人なんだが、わずか数行の書き込みであるにも関らず、知っていたこと(うちの会社の名前知ってた)とか、わざわざ人の名前検索かけて目についたとこに書き込みするやり口とかから分析すると、ほぼ誰だか分かっちまっているのである。多分本人は「バレてない」と思ってるんだろうが。ネットの匿名性なんざ、技術的にもほとんど保証されてたりしないのだが、この手の人はどうも技術以前の段階で身元がバレるようなことをしてしまう傾向がある。やっぱ、イタイ所にわざわざ寄ってくる習性があるんだろうか。

まあ、そこらはさておきちょっくら予言させてもらうと、この手合いは40になった時、オタにもなれておりませんな。多分もっと醜い生き物になってると思う。当人は今現在そのことを信じないだろう(たぶん40になっても)けど、周りからの評価はそれ以外になり得ない、と断言させてもらっちゃおう。

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ほめられた(?)

4月にビジネス書に名を借りたオタクウォッチング本を出したのだが、アマゾンとかでこれが実に叩かれまして。完全に「トンデモ本」のレッテルを張られてしまっているようだ。

伝え聞き(とゆーか、自分の名前でぐぐって一部読んだだけなのだが)によると、「高安さん、あんた恥ずかしくないんですか」(と言ってるあんたは誰?)とか書いている人もいたという。というかいた。

まあ、これについてマジに答えてみると、「何で恥ずかしく思わなきゃならんのよ?」にしかならんわな。

叩いている人によれば、あの本には大量の事実誤認が含まれており、オタクと呼ばれる人種を過度にこきおろし過ぎているからケシカランのだ、ということなのだが、あたしゃ単に「オレはこう思う。こう解釈する」ということを書いただけのことで、別にその結論を読者に押しつけたつもりはない。

あの本での最大の間違いは何かっつーと、「絶対にこの世には存在しないだろう強度のキモオタ」を作り、それを読者のみなさんに笑ってもらうことによって、「ああ、オレってここまでヒドイオタクじゃないからまだ更正の余地はあるんだな」と安心して貰おうと思ってたんだが、勝手に読者が存在しないはずのキモオタを自分に投影して恐れおののき逆ギレするのを予測しきれなかったことなんだろう。この「キモオタ」像におびえなきゃならんのは、本来これを生み出した著者自分自身だけだったりするのにね。

しかし、おっさん向けのビジネス書を装ったお笑い本(版元の注文通り)として書いたつもりなのに、かくも多くのオタが買ってしまった、というあたりにまた謎が残る。

ひょっとして、オタのヒトこの本読んで自分もアキバ系ビジネスで一旗上げようとか考えてなかったか?
などと一時は勘繰ったものである。

だが、今日職場の女の子がその謎を解いてくれた。曰く

「オタクはマゾ(かまってちゃん)なので、イタイと思えるものがあるとそっちの方に近づいてくる性質がある。」

だそうな。

てことはこれからもオタクを罵倒しまくり、それを活字にすれば売れるということか?

まあ、それはともかくこういうネタを書き込んだのは、ネット上では大ブーイング状態だったくだんの本を、「おもろいネタ本(これがたぶん正しい読み方だと思う)」と言ってくれたサイトを見つけたからだったりして。

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August 29, 2004

うごけジ・O

なんでも、男を奮い立たせるためには女はあーいうこととかこーいうこととかをしなければならないようだが、見合いでやってきたうちの妻は、仕事に疲れた亭主を奮いたたせてなおも働かせようというつもりはないようだ。

わが家にいるもう一人の女である五才の長女に至っては、父親を仕事に奮いたたせるどころではなく、毎晩「さっさとあたしを抱っこして寝るんだよ」(こんな書き方をするとかなりの量のダメ人間がモニタの前で鼻血出してしまうのではないかと思うが)と言って腕にぶらさがる始末である。

というわけで、浮気でもせん限り女に振るいたたせてもらって仕事する、というのは不可能であるようだ。

となると次に頼るのは、ついさっき金メダル剥奪が決まったハンガリーのあの人のように「薬物」ということになる。

心の底からダメ人間の自称アーティストの場合、各種のハッパとかおかしなキノコとかに頼るようだが、あたしの場合そういう面には比較的潔癖である(タバコも覚えなかった)し、何より金がない。頼るのはせいぜいリポビタンDとかそのあたりである。

リポDはかなり自分の体質に合うらしく、250円ぐらいのやつを買って飲めば大抵の場合すぐ効果が出てくる。先週の木曜と金曜は、それ飲んでなんとかしのいだ。

が、リポDとかの薬物の場合、どうも「元気を前借り」するような性質を持っているようで、後になると飲む前の倍ぐらい疲れてしまうのだ。案の定昨日今日はそのツケが回ってきて、ろくすっぽ仕事ができなかった。さらにリポD飲んで仕事しなかったのは、ここでさらに元気の前借りをすると、さらに恐ろしい目に遭いそうな気がしたからだ。

という感じで、リポDに頼るのもほどほどにせんといかん、という状態になってるのだが、これから下がっていく一方である(という割りに40になって身長が伸びてしまったのだがあたしは)体力という現実を前提にすると、何らかの形で、副作用のない「奮いたたせ方」を考えなければならんらしい。

やっぱ浮気か?版元の社長も「エロ小説書くんなら女遊びしろ」とか言ってたし。

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August 28, 2004

体力の限界

ここんとこ十年、ほとんどアスリートクラスの無茶なペースで仕事をしてきた。

だもんだから数年前から「40になったらがくっと体力落ちて、これまでと同じペースで仕事できなくなるんじゃないか」という一種の恐怖感がアタマの底の方にこびりつくようになったのだ。

ところがこの数年間、出版不況だとかで年を追うごとにギャラの額が下がり、これまでと同じ収入をキープしようと思うと、「いつもよりずっと回しております」状態で働かなければならないようになった。

で、去年の今頃は、「恐らくこれが自分の生涯最高のペースでの仕事ではないのか?と思ってひーこら言いながら本書いていたのだが、今年になってからはそれを上まわるペースでの仕事をこなしちゃったりしているわけだ。

当然、左脳の疲労はこれまで経験したことのないほどのレベルに達する。また、今年の夏は暑かったので、かなり夏バテもしているようだ。特にここ数日、涼しくなった(とは言っても平年並みになっただけだが)ので溜めてた夏の疲れがどっと出てくるようになった。下品な話(下ネタを話せない中年は歌を忘れたカナリアと同じだとも思っているが)だけれど、昨日今日はハンガリーのアヌシュがうらやむぐらい大量に尿が出る。摂取している水分の総量はあんま変わらないので、これまではこの尿のうちのかなりの部分が汗として出ていたらしい。バテるのも当然かなあ。とまあ、そんなワケだから今カラダもアタマもろくすっぽ動かない、というのは納得できるはずなのだ…理屈的には。

しかしまあ、それでも「これは夏のせいとか仕事量が増えたからとかそういうのではなく、年のせいなのだ。オマエもついに右肩上がりで仕事量を増やせない時代に突入したのだ。これからはもう坂道を転がるがごとく、すべてダメになってしまうのだ」という声が聞こえてきたりするわけで。

これが気のせいだったとしても、やっぱいつかは自分に向かって「動け、ジ・O、何故動かん!」と叫んでしまう日は確実に来るんだろうなあ。おっかない話ではある。

でも同級生の中にはもうかなり、嫁さんの待つ寝床で「動け、ジ・O!」とやってるのがいるだろうから、そういうのと比べるといささかマシではあるようなないような。

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August 18, 2004

スパロボ的著述業

ここ一週間は仕事づけでものすごいしんどかった。

夏弱いから、ほっといてもバテ気味になるのだけれど、エロ小説とかセキュリティ関係のムックだとかの仕事が山のようにあり、もう最後の方になると何がなんだかわからなくなった。

特に効いたのは、セキュリティ関係のムックの担当編集が言った、「毎日少しずつ原稿出してください」の一言。

あたしゃ学生時代、夏休みの宿題は9月1日午前零時から始めるような男だったので、「毎日少しずつ」というのが異様なまでに苦手なんですよ。MAXスピードに乗せた時には一日3桁ぐらい書けるけれど、コンスタントに毎日書くのは無理っすね。

どうしてそうなのか、というと、たぶん根性がスパロボ的なんでしょう。相手にダメージ与えたり与えられたりして気力を溜めないと、必殺技が出ないという。

で、一週間の前半は「だめだー暑いー仕事できねー」とへばってたんですが、後半になってちょこちょこやり始め、日曜の夜ぐらいになるとどうやら気力が130超えたみたいで、結構ノって書けるようになり、予定の半分ぐらいまで終えることができました。

明けて月曜、結構肉体の方は疲労(先週から引きずっているから結構ボロボロのはず)してるんですが妙に頭が冴えるようになり、残った仕事が一気に片づきましたとさ、となったのですな。

気力が溜まるだけ溜まったので、爆熱ゴッドフィンガークラスの必殺技が出せたらしいです。

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August 10, 2004

左脳に優しい音楽発見

前に仕事中に聞く音楽の話を書いたが、やっぱりあそこで取り上げたQueenとかブルハとかの歌は、あたしの左脳に負荷をかけていた、ということが本日判明した。

なんでわかったか、というと、それはやっぱり「負荷のかからない歌」を聴いたからなんだな。

その歌は何かというと、尾崎豊の歌だったりして。

ともかく、今日何の気なしに尾崎の歌かけたら、今まで曲を聴いてた時に熱持っているような感じでぼうっと重くなってた部分が軽くなったのですわ。その「ぼうっと重くなる部分」てのは、根詰めて仕事している時に負荷を感じる部分と同じだから、多分「左脳」なんでわないかと思った。まあ、多分に自己暗示が入っているのだろうとも思うけれど。

これってつまりどういうことかというと、あたしの脳は尾崎の歌に関しては「メッセージ性なし」と判定しているらしですね。それも理性レベルではなく無意識レベルで。

ちなみにこんなこと書くと、尾崎のファンに怒られる(怖いからね)のだろうけれど、上記の反応が出るのは「嫌いだから」じゃないですね。好きとか嫌いとかいう水平方向の判断ではなく、多分に技巧的にメッセージ性を持たせることができているかどうかという上下方向の判断から導かれた結論だと思うです。

これは自分自身のメッセージの理解力、感性、表現力なんかとも微妙に絡み合うので、誰にとっても尾崎が「左脳に優しい音楽」になるわけじゃないでしょうね。たまたま自分を基準にしてみれば(他人を基準にすることはできないけど)、尾崎は「左脳スルー」レベルだったということで。だから尾崎に左脳で感動する人は探せば多分結構いるだろうし、その人に対してどうこういうつもりもないです。

あたし自身、尾崎のメッセージは論ずるに値せず、と思っているけれど、尾崎の出す音はどうも好きらしい。赤ん坊の泣き声と同じで、邪気というものがまったくないからだろう。

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August 08, 2004

歴史が作られた2週間

ゆうべは急ぎの仕事もなかったし、疲れ切っていた(夏弱い)ので夜9時からはサッカー見てた。

まあ、日本チームが勝ったこととか、中国の応援のマナーがどうとかいう問題は、多分もう有名なヒトがいろいろ書いているのだろうけれど、蛇足気味にちょっと一言。

何となく、70年ほど前の状況って、やっぱこんな感じだったんじゃないかな~という感じがいたしました。

1930年代の中国って、国内失政のほとんど全部の責任を外敵に転嫁して、そっちとケンカすることによって自己の正当性を保持する、という時代であった、とあたしゃ思ってました。

で、その当時の日本はというと、あんまし中国の政権とはコトを構える気がなかったんで、そういう日本を怒らせて本格戦争に引きずり込むために蒋さんとこも毛さんとこもさまざまな挑発事件を起こし、結局日本はそれにノせられた、てな感じになったんだと解釈しとるんですが、ここ2週間ぐらいのサッカーをめぐるあっちのヒトの反応は、以前から漠然と考えてきたこういうイメージをくっきり具体化させてくれるようなもんだったのですね。

ついでに言うと、その過程でそれまで日本人を敵視していた韓国のヒトが日本べったりになった、つーのもほぼ同じパターンの繰り返しだったのではないか、と思うとります。

違うのは、あっちの政権が見かけ上(あくまで見かけ上)一枚岩であるかのように見えてしまう点ぐらいでしょうかね。だから日本軍に相手を喰わせて漁夫の利を得ようとする集団は出現しないように思われます。あくまで今のところだけれど。

それにしても、いつの間にやら日本のマスコミも、「重慶爆撃」に「大」を付けるようになってしまっているが、渡洋爆撃に使用された機材である96式陸上攻撃機は、生産機数はB-29の約5分の1(ちなみに運用基幹は倍以上)で、爆弾搭載能力は10分の1であることと、九州方面を空襲したB-29の「巣」は、重慶と同じ四川省の成都にあった、つーことはきっちり書いておくべきかと。

アメリカに基地を提供することにより、しっかり仕返しはしとるのですね。あそこの人ら。

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August 05, 2004

続・801への挑戦

昨日からやけにやおい話にこだわっているのだが、そうなった理由は、やおい作品に登場するホモの美少年の一部には、「やおい穴」なる不思議器官が備わっているのだ、ということを聞いたからである。

正直、こういうのを妄想している腐女子がとてつもなくかわいらしいものに感じられた。なんか話としては、世界の果てまで行って来た、と釈迦の手のひらの上で豪語する孫悟空に通じるものがあるような。

まあ、そういうことで「かわいらしさ」を感じたものであるから、どれ、ひとつおぢさんがキミらの喜ぶお話をしてあげようか、という気分になったのである。

んで、色々とネタを考え始めたら、これが結構出てくるもんだ。

どーしてか、と自問自答してみたら、はたと思い当たることがあった。じつはあたしゃ高校生から大学生ぐらいの時、当時のやんごとなきオタクのたしなみとして、少女漫画誌買って読んでいたのであった。

80年代の前半つったらあんた、「花の24年組」がばりばりの現役だった頃である。この24年組の人たちというのは、何を隠そう日本のやおいの一番基礎的な部分(推定される最初の「やおい穴」装着者はたぶん「風と木の詩」のジルベールだろう)を作り上げていった、やおい文化の母というか諸悪の元凶というかそんな人たちである。

ちょっと調べてみたのだが、その後のやおい文化は、どうも24年組の人のネタの劣化コピーになってしまっている側面があるらしいのである。だが、その一方でオリジナルの24年組の人の作品つーのは忘れ去られてしまっているという現実もあったりする。うちの会社のまわりをうろついている若い連中(別名・エロゲ開発事業団)の一人として、日本漫画史上最初の萌え系ねこみみキャラクター「チビ猫」が登場する「綿の国星」を読んだことがなかった、とか、「ポーの一族」を知らなかったとかいうことにはちょっと愕然とした。

で、気づいてみると、24年組の作品を直接読んでいまだこーいう業界に留まってしまっている自分は、ホモの気がこれっぽっちもないにも関らず、やおいの黒歴史の証人のような形になってしまっていたのだ。

そうなってしまったのなら仕方がないので、なおさら精出して(やおいの攻め側は精を出さんが)、やおい話をこしらえてやろうではないか、と思った次第である。

ところで、こういうのを「腐女子萌え」と言うのであろうか。

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August 04, 2004

801への挑戦

めでたいことに萌えエロ小説は発売後2週間にならずに増刷(ちょっとだけど)になった。もうこれで後戻りはできないことになる。それ以前に、ユニット結成して萌えエロ本量産計画を立てた段階で帰ってこれなくなったような気もするが。

このように、冥府魔道に陥ってしまった亭主に対してうちの嫁は「子供ら(今一番上が5才)が思春期になる前に足を洗え」と言ってきた。ちょうど都合がよかったので、思春期になっても足洗ってなかったらどうなるのかな~というのをそのまんま「次回作」にしてやった。まだ書きおえてないけれど、結論は「別に恥ずかしくないもんね」になりそうだ。

それに、嫁はああ言っているけれど、実は微妙に喜んでいる、というのをあたしゃ分かってしまっているのだ。何せうちの嫁、ヒマがあったらライトノベルズ読んでいる腐女子のなれの果てだからして。「ホモものはない!」とは言ってはいるが、それが免罪符にはならないことを亭主はよく理解している。

てな感じで、嫁がちょっと喜んでいるようだし、やってみると面白そうなので、今度はやおいモノに挑戦してみようかなあ、などと邪悪なことを考え始めた。いや、ホモに興味はないのだが、女性にエロシーン書かせてみたら案外新鮮な感動が味わえた(エロオヤジがうら若きオトメに対して「XXXとゆうてみー」というのとはちょい違う)ので、その逆をやると面白がる腐女子の方が結構見つかるんじゃないか、とか思ってしまったからだ。

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August 01, 2004

仕事中の音楽

ワタシは結構仕事中に音楽を聴きまくるタチである。

とは言っても聴いているアーティストはそう多くはなく、クィーンやブルハとかの、70年~80年代にナマイキ盛りだった人間が好んで聴いていたようなのをそのまんまこの年まで引きずって聴き続けているだけで、それに最近ブルハの子供みたいな感じのゴイステやガガガSPが追加された程度のことだ。

日本人の脳味噌は左脳で音楽を処理するらしく、この手のメッセージ性の高い歌詞を持つ曲が結構好まれてしまうらしい。本国えげれすで鳴かず飛ばずだったクィーンが日本で最初にブレイクしたのもまあうなずける。

ちなみに、音楽教師の娘として育ったうちの嫁の脳味噌は、こと音楽処理に関しては西洋人と同じで、これらのバンドのメッセージ性の高い歌詞は完全にスルーされるらしい。嫁はブルハについては、「音楽もどきの絶叫」という評価をしているが、歌詞をまるで聞かないのならそういうことになるのかも知れない。

嫁とは違い音楽処理に関しても典型的な日本人脳であるワタシの場合、当然の帰結として上記のバンドを好むようになったのだが、そこではたと気づいたことがあった。

仕事中にほぼ全開で左脳を酷使しているのに、そこにさらにBGMと称して左脳を使う要素を突っ込んでどうする?

先週はあまりに仕事がきつく、左脳の疲労(左脳は筋肉脳なので酷使すると筋肉疲労によくにた症状が出る)が激しかったので、最後の頃になるともう脳味噌がいつものBGMを拒否するようになり、いきなり「クラシックが聴きたい」と思うようになってしまった。

しかし結局選んだのが、モーツァルトのような「癒し系」ではなくシベリウス。なんかとてつもなく交響曲2番の最終楽章が聴きたくなってしまっていたのだ。

で、Windows Media Playerで検索かけたら運良く見つかったので、5回ぐらい繰り返して聴きながら仕事を続けたのだが、今度は指の方が曲のテンポに釣られて同じ速度でキーボードを打ち始めるようになり、危うく筋肉痛で指と腕を破壊されるところだった。この曲テンポ速いけど全体的にイメージが重厚で、聴いていると後ろから押されるような感じになって思わず同じ速さでキー打たされちゃうのである。完全に曲に合わせちゃうと、頭の中に文章を思い浮かべる余裕がなくなり、脊髄と指だけで思考して文章打つことになるので、かなり異様な感じを味わえた。

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July 28, 2004

偉いぞイーエスブックス

ワタシの書いた「萌え小説(自称)」には、主人公であるところのオタク青年が書いた、という設定でこれでもかという感じの電波小説2本を収録してあるです。

で、そのうちの一本は、「できるだけバカ小説として笑いが取れるのがいいな~。そうだ、バカ映画を参考にしよう」と思い立ち、ゴールデンラズベリー賞受賞の映画の中からネタ拾おうとしたわけっす。

あーだこーだ考えたあげく、ネタにしたのが「レッドソニア」てな作品。簡単に言っちまえば、「女版コナン・ザ・バーバリアン」てな感じです。実際にシュワちゃん出てるし。

ちなみにこれね→レッドソニアRED SONJA

それと話を書く直前にロード・オブ・ザ・リングの「二つの塔」の戦争シーンを見て結構な迫力だな~と感心してたので、これをいっちょエロでやることはできんか、と考えてそれっぽいシーンを追加し、最後に「聖マッスル」をふりかけて仕上げてみました。その結果何かわからんけど迫力だけはありそうな(ありすぎて全然エロくなくなった)正体不明のファンタジーができあがったというわけです。

ヒロインの人は何だかわけわかんないオヤジに陵辱の限りを尽くされるお姫様、という感じだったのですが、書いた後で名前を考えるのが面倒だったので、適当にレッドソニアの主演女優(ゴールデンラズベリー最低新人賞受賞)のブリジット・ニールセンから取って「ブリジット姫」とかにしといたのですわ。

その後今日になってイーエスブックスにアクセスして、自分の本見た後に、「同じカテゴリの本」というのをちょっと漁ったら、「白百合の剣士 2 被虐の姫君ブリジット」とゆーのが出てまいりました。なんかこれ見た瞬間に、妄想がひょーたんから飛び出してそのまま現実になったかのような気がして目一杯笑かせていただきました。まあ、確かに同じ名前の似たよーなキャラクター出てますけど。

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July 27, 2004

「くりぃむレモン」実写化?

なんでもそういうことをやらかした監督さんがおったそうで。

かつてワタシが指摘した通り、40過ぎの連中はみんなオタクなので、金と権力を手に入れるとすぐこういうことをしようとするらしい。

それにしても、キューティーハニーとか、セーラームーンとかだったらまだみんな知ってるだろうが、イマドキの若い人はくりぃむレモンなんぞ知らんぞ-。「みんな知ってる、思い出に残っているハズだ」というのはこの世代の連中だけだ。

実際、田丸浩史が「ラブやん」3巻で「編み上げん」というギャグ飛ばしても(「亜美again」のもじりなんだが、わかんないでしょー、実は分かってしまって自分をしばらく呪ったのだが)だーれもわかんなかったし。

自分も含む40オトコの一番悪いところは、自分こそがオタクの王道を歩いてきた「神」であるということを固く信じて疑ってないあたりだと思う。だが実際には、この数十年の間にオタク業界もなかなかそれなりに凄まじい激変を経て来ているのである。40オトコはその間嫁を貰ったり子供こさえたりして一般人となっていた訳で、数年分の記憶が欠落しておるのですな。知識が完璧じゃないから、「神」なんぞ自称することはもはや不可能になっているのだけれど、それでは悔しい40オトコは、欠落した部分を、遥か昔にあった濃い記憶で補おうとするから、こんなことになっちまう、と。

ところで「萌え小説」シリーズの次回作として、「メイドロボ使ってブレードランナーやってみない?」と版元に持ちかけていたのだが、「アイ、ロボット」の予告編見て、「なんじゃこりゃロボットがメイドでないだけで後は全部オレが考えた話とおなじ(というよりブレードランナーそのもの)やんけ」と気づいたのでネタを捨ててしまうことにした。結局、40オトコの考えることなんざ、太平洋をまたいでいてもたいして違いがねえ、ってことだったりして。

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July 26, 2004

オタクは優しいオヤジがいることに気づけ

先週末に出た「萌え小説」は、実は30過ぎの元オタクというか、オタクを卒業しようかな、したかもしれないな、と思っている連中をメインターゲットにして書いたのだが、どーもアマゾンとかの一緒に買っている本のリストとかを見ると、その層ではなくもうちょっと若いリアルオタどもが中心になってしまっているようだ。

だとすると最初の方で結構イタイ感じでオタクを描写しているんで、それをわが事と勘違いして痛がるヤツが出てくるんじゃないかな~となんとなく思うようになった。まあいいか、最後でちゃんと手を差し伸べているし。

ダメ人間のキリストこと碇シンジが「このままでいいんだ!」と言い放って以来、オタどもはもう胸張って自分に対して外部から働きかけるものをすべて拒否し、ちょっかいかけようとするモノを威嚇するようになった(とは言っても迷子のキツネリス以上に怖くない)。それはある意味「ボクをかまって~」という逆説的なサインでもあるのだが、困ったことに世の中にはそういうサインに反応してしまう人種が存在するのだ。

その人種というのは、オタクが予想している自分に対してだけとてつもなく淫乱になる十七才の生娘とか、二十代前半の優しいお姉さん(オタどもより年下だが、彼らの脳内では自分の年齢は自動的に十九才ぐらいに補正されちゃうので、「お姉さん」で正しい)とかでは決してない。四十過ぎのオヤジの一部が反応するのである。

オタの脳内願望というのは、彼らが「かまって~」と考える妙齢のご婦人方にとってはマクロス以上に現実感のないファンタジーなのだが、ごく一部の四十過ぎのオヤジにとっては「実はオレもそういう妄想に浸っていた時期があった」という結構リアルな思い出だったりするのだ。

で、そういう過去を持ってはいたが、今では何とか滑り込みセーフで嫁などを貰い、子供も作って人並み(?)な生活を送ることができるようになった。そういうオヤジからしてみると、かつての自分と同じように道を踏み外しかけている若いオタクどもが不憫でしょうがないのである。何とか人間としてまっとうな道を歩ませるために、手を差し伸べてやりたいと思ってしまうのである。

とはいっても一般的なオタクは「その年でそれはねえだろ」というような根拠のない自信に満ちあふれているので、そうしたオヤジの差し伸べた手を「うざい」と払いのけてしまうのだ。不幸な話である。

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July 25, 2004

とんでもない粗大ゴミ

実家にほど近いところにあるジャンク屋(だと思う)に、何年も前からとんでもないゴミ(?)が捨ててあるんですわ。ひこうき。

といってもセスナとかのペラ機ではなく、ちゃんとしたジェット機です。たぶん型式はT33。自衛隊でもさんざん使っていた練習機です。

練習機とはいうものの、元々はP-80という戦闘機をベースにしたもんで、どうしてこういう元兵器を道端に転がしておくのだか非常に疑問ではあります。

まあ、ウラジオストックとか平壌とかに行けば、燃料不足で放棄された戦闘機やらフリゲート艦やら潜水艦とかがゴロゴロしているという話ではありますが、うちの実家近辺にもそれがあるということは、あの辺もあの辺と程度的に同レベル、ということになるのだろうか。

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July 20, 2004

忙しかった

巷ではどうやらこの三日間三連休というモノらしかったが、どうもこちらはそれどころではなく、ずっとPCの前に座って仕事しどおしだった。それがついさっき終わったから、今こうやってのんびり(?)日記など書けるようになってるのだ。

しかし、忙しいのは自分だけだ、と思ったら大間違いで、メールとかミクシィとかでエロ小説執筆チームとか、会社に居候しているエロゲ開発チームだとかがひっかかることひっかかること。つまり、彼ら彼女らも、真夏の最初の連休だっつーのに、どこへも行かんとPCの前に座って仕事し続けていたのね。あたしゃ中年だし、長男長女を夏休みを待ちわびていた田舎のじいちゃんばあちゃんに拉致されていたからまああきらめもつくけど、連中まだ若いから多少不憫ではある。

まあそんでも、晩飯喰いにリビングに戻った時に、BS2でやってた神様仏様フレディ様のライブ映像見られた(真夏に汗まみれの全身タイツヒゲ胸毛を見せられると大抵の人は暑さ数倍になるだろうが、ワタシは癒されるのだ)ので、いちおう「充実した休日だった」ということにしよう。

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July 18, 2004

ベタなドラマへの需要

なんか今の日本のドラマってのは、ヘンにオシャレかゲージツ志向になってなきゃならんモノになってしまったような気がしないでもない。ドラマそのものをまるで見たことがないので、間違っている可能性も往々にしてあるが。

間違いの可能性が含まれているのを承知で話を先に進めちゃうが、製作者側がそういうオシャレなものを追求している割に、お客さんの方がそういうのに追いつけなくなっている現状というものがあるのではないか、と。オシャレなドラマの需要がゼロだとは言わないが、そっちばっか強調されると、バランス取る格好でベタなドラマへの需要も高まってくるんと違いますかね。おばちゃんが「冬ソナ」見るのもこのあたりに理由があるような。

んで、若年層に目を転じると、そういう「ベタなドラマ」は何が担当しているのかっつーとこれがエロゲだったりする訳で。

現在40に手が届こうとする連中にとって、エロゲというのは「道具」(何のだ)だったのだけれど、35未満にとってはそうではなく、ベタなドラマとしての側面の方が重要だったりするみたいだ。女の子でごく普通にエロゲ好き、というのは結構いたりするが、それはやっぱり「ベタなドラマ」を求めてエロゲに行き着いたというクチなんだろうと思う。

だがしかし、30過ぎてエロゲやってると「痛い人」扱いされちゃうのもまた事実だ。かつては大学卒業した時点でアウトだったから、これでも多少世間一般に認知されるようになったとは言えるのだが。

また、プレイにかかる時間の方も問題だろう。親に寄生しているプーでなければのんびりエロゲ攻略しているヒマなんぞないはずだ。今後景気がよくなればある程度プーの数は減っていく(今までは、「景気悪くて職ないからねえ」で許して貰えたものが「贅沢言わなきゃ職はあるんだから働け」になる)と思われるので、エロゲ的世界を求めてはいるがエロゲそのものには手を出せない、という連中が増えるのではないか、と思われる。

んだもんだから、30過ぎの人間が何とか買うことができ、エロゲ的雰囲気を濃厚に残しつつ、エロゲよりも短時間でケリが付き、しかもエロゲ並にベタなストーリー展開を持つものを提供すれば売れる、と思うのだが、どんなもんだろうか。

まあ、今週の末に出るわたくし作の「萌え小説」がなんぼ売れるかでその答えはある程度出てくるのだろうけれど。

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ふと思い立ってイメージ検索

Googleのイメージ検索は妙なものがひっかかるので面白い。

で、考えられる限り一番おぞましいイメージを探してやろうと思い、

「フレディ マーキュリー タイツ」

をキーワードに指定したのだが、結果は

「フレディ マーキュリー タイツに該当するイメージは見つかりませんでした」

であった。

あまりにヤバいんで、どこのサイトでも乗っけると即削除になったのだろうか。

調子こいてWeb検索で「セーラーフレディマーキュリー」を探したらいくつかヒットした。さらに、「フレディ マーキュリー 胸毛」でイメージ検索すると、なぜか若い女性の顔写真がヒットした。これ「胸毛のあるフレディみたいな人が好きっ!」という変わった女性のプロフィール紹介だったのだが、写真そのものはそう発言した人のものではなかった。かわいそうに

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運用開始

世の中は三連休だということらしいが、仕事が中途半端に残ってしまったので、家でこりこりやることになった。

でも、オレが仕事している時に他の連中は夏休みを満喫しているんだろうなあ、と思うと全然はかどらない。本当なら、今日は子供を連れて海水浴にでも行くつもりだったのだが、おととい実家から娘の夏休み開始を待ちわびていたじいさんに拉致られたためぽしゃってしまった。

で、うさばらし半分にこういうモノに手を出した、という訳。

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